地面に落ちた拍子に腰を強く打ちつけてしまったヘリオンは、痛みの為に暫く動けなかった。
「痛たたたた……」
どうやら着地に失敗してしまったらしい。打ち所が悪かったのか、視界がまだ少しぐるぐると回っている。
四つんばいになったまま涙目になり、お尻の辺りをそろそろと擦ってみる。と、そこでようやく何も握られていない両手に気が付いた。
「わ、わわわ! ないですっ!」
慌てて周囲をきょろきょろと確かめる。すると丁度今落ちてきた樹の幹に、斜めに突き立っている探し物。
ほっと胸を撫で下ろし、落ちた時に刺さったらしいそれを引っこ抜こうと急いで駆け寄り、
「よかったぁ……はぅっ!」
―――― どすん! びぃぃぃぃん……
そしてそのまま、硬直してしまう。
突如出現した銀色の槍のようなものは鼻先を掠め、ヘリオンの目と鼻の先で樹木に突き刺さると、
空気との摩擦でぱりぱりと奇妙な音を立てつつ小刻みに振動しながら、細かいマナの粒子を惜しげもなく大気中に舞い上がらせていた。
『失望』に手を差し伸べかけた及び腰のような変な格好のままどっと背中に大量の脂汗が流れ、
反射的に開いたウイングハイロゥが感電でもしたかのようにぴんと固まり、羽の先端まで動かなくなる。
ぎぎぎと錆び付いた首を懸命に反対方向に捻り、視線を無理矢理薄暗い草叢へと向けてみればそこには。
「あ、あ、あの、そのこれにはですね」
ぽっかりと、無数の眸が浮かび上がっていた。どれもこれも、皆爛々と赤く殺気を漲らせて。
「深いわけがありまして、ってぇ!」
「逃がすな! 散開ッッ!!」
「ふぇぇぇ~ん! 何でこんな目にぃぃぃぃぃっっ!!」
敵だ、と認識するやいなや、ヘリオンは一目散に逃げ出した。『失望』が置いてけぼりだった。
「はぁはぁ、はぁふぅ、えっと……えっと」
追ってくる気配を数えてみるとどうやら5人以上は存在し、そして恐るべきことに、まだ増えようとしている。
しかし幸いにしてブラックスピリットは少ないらしく、まだ追いつかれそうな様子は無い。
だがそんな事よりも今の"テンぱってしまった"ヘリオンには、状況認識というものが全く上手く出来なかった。
例えば上方から観察してみれば、無駄にジグザグな逃走経路を取っている事からもそれが良く見て取れる。
大体にして肝心の神剣が手元に無いので敵の数を確認した所で戦いようも無いのだが、
それすらも念頭からはすっぽり抜け落ちてしまっているのだろう。
時々その速度が0になるのは恐らくまた何も無いところですっ転んでは赤くなった鼻を押さえているのに違いない。
「……ふぅ」
この付近では一際高い樹の頂点でようやくヘリオンの気配を見つけたナナルゥはそんな風に様子を窺い、
そして殆ど自我を失っている筈の彼女自身にも理解不能な溜息というものを漏らしていた。
「……先に『失望』を回収するべきなのでしょうか、それともヘリオンを回収するべきなのでしょうか」
仲間の救出という任務の本質からいえば、ヘリオンの回収こそが当然最優先事項のように思われる。
しかし、とナナルゥは顎に手を当てる。『失望』を持たないヘリオンはヘリオンたり得るのだろうか。
神剣を失ったスピリットが人並みの力しか持たないのならば、それを"仲間"と呼ぶことに果たして矛盾は存在しないのだろうか。
ナナルゥはいつの間にか木の枝に腰掛け、赤いニーソックスに覆われたすらっと形良く伸びた長い肢を組み、
膝に『消沈』の柄を水平に乗せ、両刃に付いた水滴をぼんやり眺めながら、深き哲学的考察へと没入していた。
―――― た~す~け~て~……
何やら切羽詰ったような雑音が聞こえてくる。
すると不思議なことに、それに呼応して上がってしまう心拍数。これ以上の模索が不可能な程の。
「……仕方ありませんね。マナよ――――」
何故か無視する気にもなれず、ナナルゥは一旦思考を中断させ、そしてようやく神剣魔法の詠唱に取り掛かっていた。