相生

Delphinium×belladonna Ⅲ

「……」
「……」
セリアとグリーンスピリットは無言のまま牽制し合い、じりじりとお互いの間合いを詰める。
先程の接触で舞った土煙も今は落ち着き、その代わりに重い空気が充満し始めている森の中。
ネリーは膝をついた体勢のまま、軽く喉の奥を鳴らした。地面と水平に握り締めた『静寂』の剣先を少しだけ持ち上げる。
それだけの動きでも敵に悟られてしまいそうな雰囲気だった。背中が崖に触れてしまい、一瞬だけ戸惑う。
気づけば気圧され、乱れた呼吸と共に少しづつ後退していた。

 ―――― りぃぃぃぃん……

「んっぁ」
緊張からか、『静寂』を持つ指先からは微妙な痺れが走り、すぐにそれは全身へと広がっていく。
いつもの、思考に霧がかかってくる感覚が近づいてきていた。心地良い鈴の音のようなさざ波。
再び神剣に自我を奪われようとする予感に、しかしネリーは抵抗が出来ない。
「ん。しっかりしろ」
ぽむ。
「……はへ?」
唐突に目の前に下りた白い戦闘服。流れるような動きで降り立った少女が、持つ神剣の刃を『静寂』に軽く当てる。
するとネリーの視界はあっけなく、すーっと元に戻っていく。見上げると、無表情ながら真剣に見つめてくる瞳。
「あ、あれ? アセリア?」
「セリア、急げ。あまり持たない」
「判ってる……『熱病』!」
同時に、セリアは敵へと殺到している。

「受けなさいっ! はぁぁぁあっ!」
短く切った台詞が、鋭すぎる『熱病』の切先が敵を水平に薙いだ風切音に掻き消される。
びゅうんと重い一撃は防ごうと身を避わしたグリーンスピリットから踏ん張りを奪い、身体ごと浮かび上がらせた。
しかし体勢を崩す事を嫌ってか、流れるに任せたグリーンスピリットは迎撃の姿勢を保ったままで、くるりと斜めに身を捩らせる。
そしてそのまま片手で地面を弾き、反動を利用して小柄な身体を捻り、一撃を放ったままのセリアに長い槍を突き出してきた。
とんとんと軽い拍子を持った攻撃に、今度はセリアの方が自ら転げ、危うい所で致命傷を逃れる。
避わした筈の穂先が腕に掠っていた事に気付いたセリアの背中に冷や汗が流れていた。
未だ燻ぶっている切り傷から読み取れる、圧縮されたマナの威力。予想以上の強敵だった。
一方のグリーンスピリットはもう一度間合いを離れ、ポニーテールの後ろ髪をふわっと片手で掻き上げている。
綺麗なストレートの髪が風に嬲られるように靡き、対峙しているセリアにでさえ余裕を感じさせてしまう仕草だった。
「……くっ」
自分にも憶えのある仕草にセリアは何故か口惜しさを感じ、舌を鳴らす。
たった一合交わしただけで、お互いの力量の差ははっきりと出てしまっていた。
「セリア、支援が必要か?」
「うるさいわね! いいからネリーに集中して、これ以上干渉されたら戻れなくなるわよ!」
「ん」
ぶっきらぼうに心配してくる幼馴染みはこういう場合非常に鬱陶しい。セリアは憎まれ口を叩きながら足元に力を篭め直す。
すると何が可笑しいのか、グリーンスピリットがくすくすと癇に障る含み笑いを始めた。
「クッ……ふふふっ」
「……何が可笑しい」
「変な娘」
「っ! 余計なお世話っ!!」

ガッガガガッ!
決して頭に血が昇っている訳ではない。セリアはセリアなりに冷静に、この場をどう勝ちに持っていくかを考えている。
槍の懐に飛び込む事は出来ると見積もる事は出来た。ただ、相手は体を避わすだけで剣先は完全に見切られてしまっている。
ならばと、出来るだけの連撃を加えてみる。左下から払った刃を振り切る前に翻し、頭上へ。
しかしそれも軽く後ろへとん、と一歩下がっただけで避わされてしまう。セリアは更に空いた右掌に溜めたマナをフェイントに使った。
グリーンスピリットは槍を一文字に構え直し、懐に引き付けながらそれを防ぐ。そこで出来た脇腹の隙を目がけ、渾身の蹴りを放つ。
「はぁっ!!」
「――――っ」
ひゅんという軽い音と共に目の前に緑色が広がった、と思った時には、セリアは背後を取られていた。

「甘い」
「……くっ」
「動かないで。首から上が無くなるわよ」
彼女はセリアが蹴りを放った瞬間、シールドハイロゥでその衝撃を受け、反動を地面に突き刺した槍を軸に180°の円周運動に変換し、
まるで舞うようにセリアの後ろに降り立ち、そして勢いで抜いた神剣の穂先をセリアの首筋に当てていた。
「っ危ない!」
叫んだアセリアが飛び込んで来る。
「ちっ、仕方ないわねちょっとだけ痛いわよ。精霊よ、全てを貫く衝撃となれ――――」
「! アセリア! 来ないでっ!」
グリーンスピリットが置き去りにしていたシールドハイロゥが目の前でぐにゃりと変形し、放電を始める。
それを目の前で確認したセリアは思わず叫んでいた。アイスバニッシャーの詠唱は間に合わない。いや、間に合ったとしても防げるかどうか。
「はああぁぁぁぁっ」
制止が聞こえていないのか、白く刀身を煌かせた『存在』の気配が右後方から猛烈な勢いで迫ってくる。嫌な予感が膨れ上がった。

ネリーは、無意識に口走っていた。
「――――静寂よ我に従え、氷となりて力を無にせしめよ」
「――――エレメンタルブラスト!」
ふっと意識が昏くなるのと何かに引っ張られるように詠唱を終えるのと緑のマナが周囲を満たすのはほぼ同時。
敵の放つ巨大な雷球と編み出された水蒸気の凝縮された塊が激しく衝突し、巻き上がった土煙が爆発して視界を眩ます。
轟音が響く中、高速詠唱を終えたネリーはそのまま崖の壁面を裂け目が出来る程蹴飛ばし、弾丸のように爆発の中心地に殺到した。
「てやぁああああっ!!」
そしてそこにまだ動いている標的を見つけ、『静寂』を振りかざす。型も何もない。ただ、破壊衝動だけが心を満たしている。
しかしぎん、と甲高い音を響かせ、辛うじてそれを受け止めていたのは同じように水のマナを帯びた『熱病』だった。
「しっかりしなさいネリー! アセリア!」
「……んっ!」
かっ。ぶつかり合った二つの刀身の間にすかさず『存在』が重ねられ、細身の『静寂』を挟んで白く輝く。
するとネリーの背中で灰色に染まりかけていたウイングハイロゥは徐々に小さくなり、やがて泡のように消えていった。
「……はふぅ」
「おっと……全く、この場合は助かったって言うべきなのかしら。とんでもない威力ね」
「ん。敵……逃げた」
「逃げたんじゃないわ。見逃されたのよ」
ぐったりと気絶して糸の切れた人形のようなネリーを抱き抱えながら、セリアは憎々しげに唇を噛んでいた。