相生

Bidens atrosanguineus Ⅲ

「ひ、ひえぇぇぇぇ……」
必死になって敵から逃げてきたヘリオンは、唐突に後方で起きた爆発に背中を押され、よろけながら振り向いてみた。
するともうもうと噴き上げる黒煙の中ではひしゃげた樹々の間に蒸発しかけた金色のマナがきらきらと輝いており、
燻ぶった地面の上でまだ動ける数名がこちらを睨んでいる。目が合うと、数段上がった殺意を浴びて腰が抜けそうになった。
「ち、違います! わたしじゃないですよぅ~っ」
若干後づざりながら、そんな言い訳を試みる。覚えが無いどころか、今のが本当に援護なのか、それすらも判らない。
何しろ一歩間違えれば自分も巻き添えになり、今頃はその辺に舞っている金色の仲間入りをしていたのかも知れなかったのだから。
しかし今はそんな事を深く追求している余裕は無い。ヘリオンはじりじりと近づく敵に警戒しつつもう一歩だけ後ろへ下がる。がら。
「……ふぇっ?!」
そして、そこにはもう、地面は無かった。
「はわっ! はわわわわわわ~~~!」
こうしてヘリオンは崖からまッ逆さまに落ちていった。

急速に近づいてくる地面に対して、ヘリオンは実に無力だった。
こういう時こそウイングハイロゥを展開すればいいのだが、残念ながらそういう思考的作業がこういった場合には一向に働かない。
ただ無意識の生存本能がそうさせるのか、両手両脚を意味も無く鳥みたいにばたばたと羽ばたかせてはいる。
ぐるぐると回る視界に何だか赤いものが見えたような気もしたが、認識する暇もなくそれはみるみる大きくなり、
「どいてどいてどいてどいてドイテドイテドイテドイテドイテクダサーイッ!!!!」
「ちょ、来ないでぇ~~!」
そしてもう一度、崖の上の方で巨大な炸裂音。ヘリオンは熱風に背中を押されるように、地面にランデブーを敢行していた。

 ―――― ズウゥゥゥゥン……

「きゅぅ~~」
「……あ、あれ?」
思っていたような衝撃が来ない。恐る恐る目を開けてみると、胸の辺りには柔らかい感触。どうやらそれがクッションになったらしい。
のろのろと身を起こすと、すっかり土まみれになってしまった赤毛が転がっている。傍らには巨大な神剣も落ちていた。
「……って、オルファ?!」
ヘリオンは下敷きになってしまっていたオルファリルの上から慌てて飛び退く。
「えっ、えっ何で? 何でこんな所にぃ?……わわ、どうしようっ」
驚きで両のお下げがぴん、と逆立ってしまっている。
四つんばいで近づいてみると、オルファリルはすっかり気絶してしまい、頭に数匹のひよこを飼い始めていた。
こういう時には揺らさない方がいいのかなどと手を付けかねていると、背中からいきなり声をかけられる。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃありませんよぉ!」
反射的に振り向いてから、気が付いた。そこに立っているのが『消沈』のナナルゥだという事に。

ナナルゥはしゃがみ込み、軽くオルファリルの首筋に細い指を当て、様子を窺っている。
「問題ありません。気絶しているだけです」
「あのぉそういった問題じゃなくてですね……ところでナナルゥさん?」
「なんでしょう」
「えっと、その、さっきの」
ヘリオンは控えめに、出来るだけ慎重に訊ねる。対して振り向くナナルゥは全くの無表情。
「さっき? ああ、敵でしたらもう心配はありません。全て倒しました。全力で」
「全力で?」
「ええ、全力で」
「やっぱりナナルゥさんだったんですかぁ~~!!」
「? 何をそんなに驚いているのですか?」
「驚きますよぅ!……はぁ~もういいです」
色々と抗議をしようとして、ヘリオンは諦めた。
こういう人なのだと無理矢理自分を納得させ、盛大に溜息を付く。拍子に手元に目をやり、
「あ……あれ? あれ? 『失望』?」
思わずうつ伏せ、目を白黒させながら周囲を探すも見つからない。
「無いっ! 無いですっ!」
「ところで少々訊ねたい事があるのですが」
すると今度は四つんばいになったヘリオンを不思議そうに眺めていたナナルゥが控えめに問いかける。
「な、なんですか! 今それどころじゃないんですけどっ!」
「どうやら『失望』を失くしてしまったようですね」
「ふぇ? あ、判ってるなら一緒に探してくださいお願いします!」
「それでも貴女は、ヘリオンなのですか?」
「……へ?」
ひゅー。二人の間に言いようの無い摩訶不思議な空気が流れていった。