相生

Delphinium chinensis Ⅲ

「ふわぁ~」
言われたとおりに神剣魔法の詠唱に入ったシアーは、それを終える前に終了してしまった戦闘に感心の溜息を漏らしていた。
間に合わなかった青白いマナが目の前に翳した『孤独』の刀身から白々と朝靄の中に蒸発していくのをただ呆然と眺める。
「これで全部?」
「ええ~。疲れましたぁ」
「何よ、だらしないわね」
「わたしは燃費が悪いんですぅ。ヒミカと違って栄養が必要ですからぁ~」
「燃費って暖炉じゃないんだから……ちょっと、そこで何で胸をそらすのよ」
二人は既に臨戦態勢を解き、互いに軽口を叩き合いながらそれぞれの神剣をチェックしている。
周囲への警戒は解いてはいないものの、スフィアハイロゥやシールドハイロゥは消えうせ、それぞれのハイロゥリングに収まっていた。
戦闘で負った傷など、どこにも見当たらない。それどころか、消え行く敵のマナがなければ戦闘自体がまるで夢のよう。
「二人とも……強いんだね」
シアーの口からは、ついそんな言葉が漏れてしまう。俯いた視線の先にある自分の手がやけに小さく感じられる。
しかし独り言のつもりだったその一言に、ヒミカとハリオンは反応し、同時に振り向いていた。
「は?……馬鹿ね、当たり前でしょ?」
「……え?」
ぽん、と頭を軽く撫でられて顔を上げたシアーのすぐ目の前に、屈むようにシアーの顔を覗き込んでいるヒミカがいる。
「位が違うんだから、そんな事で落ち込まないの。大体シアー達は戦いなんかに強くなっても仕方が無いのよ」
「で、でも」
「そうそう~。こういうのは、お姉さん達に任せておけばいいんですよ~」
「そういう事。……って、そんな話は後回し。今はそうね……ふふ」
「んふふ~」
「え? あ、あのえっと」
シアーはつい及び腰になる。
さっきまでの優しい雰囲気はどこへやら、急に含み笑いを始めた二人からは妖しい気配が漂い始めていた。
しかしいつの間にか背中には大木の壁。追い詰められたシアーの顔から血の気がさーっと引いていく。
「さぁ~。どうしてこんな事になったのか、きっちり説明して頂きましょうかぁ~」
のんびりとした口調で微笑むハリオンの仕草がこの上無く怖かった。

「……あっ! ネリー!」
あわや詰問される寸前で、シアーは唐突にネリーの事を思い出した。
気絶する直前までは確かに居たのに、姿が見当たらない。同じように居ないヘリオンも気になるが、取りあえずは気配を探る。
しかし結果から言えばそれは徒労だった。同時に身を起こしたヒミカが目の前の草叢に向かって声をかけていたのだから。
「お疲れさま……って、どうしたの?」
「どうしたもこうしたもないわ。……重いわね」
「セリア……酷い扱い」
そこから現れたのは、やけに髪がぼさぼさになったセリアとアセリア、それに
「ネ、ネリー? どうしたのぉ~!!」
「きゅう~」
首根っこを掴まれながら目を回し、ずるずると引き摺られているネリーだった。

「ア~スプライヤ~」
ハリオンの緑色のマナがきらきらと周囲を照らす。
細かく負った腕の傷が塞がれていくのを確認して、セリアはほっと溜息をついていた。
「助かったわ。いつもありがとう、ハリオン」
「いいええ~、どういたしましてぇ。ですがまさかセリアさんまで怪我をするなんてぇ~」
「そうね。シアー達には治療が必要だとは思っていたけど」
「うるさいわねヒミカ。確かに意外な手練れだったけど、アセリアの手が塞がってなければこんな傷負わなかったわ」
「……ん?」
ヒミカがネリーとシアーを後ろ手に指差し、セリアが口を尖らせる。
ぼーっと街道の方を眺めていたアセリアは急に話を振られてもぼんやりと振り返り首を傾げるだけ。
「で、その手練れだけど。どっちに逃げた?」
「ごめんなさい、わからないわ。ネリーを留めるので精一杯だったし」
「……ん」
「でもぅ~、アセリアさんがぁ~、他の神剣に同調する事が出来てぇ、本当に良かったですぅ~」
「そうね。一対一でセリアが敵わない敵も気になるけど取りあえず目的は果たした訳だし」
「べ、別に敵わないって訳じゃないわよ」
「まぁまぁ~。後は他の皆さんにお任せしちゃいましょう~」
「ん」
「……そうね。ヒミカの言うとおり、取りあえずの目的は果たした訳だし」
「ネリー……ネリーぃ……」
一斉に、振り返る。その先ではシアーが、未だ目を覚まさないネリーの手をしっかり握り締めていた。
ハリオン、ヒミカ、セリア、アセリア。それぞれの色を持つ瞳が一瞬とても柔らかいものに変わる。
「……あら? ところで『失望』は?」
「持っていったぞ」
「……いつの間に」
「さすがですねぇ~」