「さて、そろそろ他の皆とも合流しなければなりませぬ。もう敵の気配もこの一帯にはありませぬゆえ」
目を軽く閉じたまま、何かを探っていたようなウルカが顔を上げる。
それを合図に正座させられていたヘリオンはようやくのろのろと腰を上げかけた。
するとスカート部分をくいっとオルファリルに引っ張られて呼ばれ、そっと顔を寄せてみる。
「……どうしたんですか?」
「あの、ね。今のナナルゥお姉ちゃんのお説教……判った?」
「えと、実は……全然」
目の前でそっぽを向いたまま動かないナナルゥの様子を窺いながら、こっそりと返事をする。
言いたい事を全部言って満足したのか、その横顔には何だか清々しささえ漂っているようだった。
「難しい言葉が多すぎましたし……それに気のせいかも知れませんけど、ハイペリア語も混ざっていたような」
「やっぱりぃ? オルファ、おかしいと思ったんだ。まるでパパが初めて来た時みたいだったよ~」
オルファリルは大粒の汗を一滴流しながら苦笑いを浮かべている。
先程まで、少し時間がありますからその間を効率良く使いましょうとか言い出したナナルゥのお説教は延々と続いた。
それはいいのだが、肝心の何が言いたかったのかという部分がヘリオンにもさっぱり判らない。
てっきり勝手に出撃して来た事を怒られると身を竦ませていたのだが、始まったのはまるでハイペリア語講座。
≪古来より、イノナカノカワズ、とも言われています。オノレヲカシンスルコトナカレ等……≫
こんなに饒舌なナナルゥを見たのは初めてで驚いたが、正直頭に浮かぶ疑問符の数を数える方が大変だった。
「ところでスエゼンクワヌハオトコノハジ……って一体どんな意味なんでしょうね?」
「う~ん……後でパパに聞いてみようよ」
「あ、それ、いいアイデアです!」
ぴょこん、とお下げが楽しそうに揺れる。
こんなささいなきっかけでも気楽に思いつけるオルファリルに、第一詰所暮らしが羨ましいと密かに思いながら。
結局オルファリルを先導にして、街道方面へとぞろぞろ歩きだす。殿を務めるウルカにそっと
「あの、『失望』、ありがとうございました」
「いえ、これが手前の役目ですから」
お礼を述べても逆に慇懃に頭を下げられ、どうしていいのか判らなくなるヘリオンである。
朝靄が抜け切った上敵の気配が消えたとはいえ、森が戦場なのには変わらない。
神剣への力を抜かないように一応の警戒態勢を保ちつつ、悪い足場の中で次の一歩を慎重に進める。
そうしていつの間にか地面と睨めっこになって俯いていたオルファリルの視界の隅を、一瞬だけ白い影が走り抜けていく。
「あっ!」
「きゃっ! どどどどうしました?!」
突然の声に思わず身構えたヘリオンに答えず、オルファリルは傍らの草叢の中へと飛び込んでいく。
「え、え、どこへ?」
「問題ありません」
「え? あ」
「ほう、これは」
「えへへ~、ちゃんとまだ生きてたんだねっ」
ナナルゥに引き止められたヘリオンの前に、すぐに満面の笑みを浮かべたオルファリルが戻ってくる。
その腕の中には一匹のエヒグゥ。真っ白な体毛がやや泥で汚れていたが、鼻をひくつかせ、特に外傷も見当たらない。
確かにこの戦場で、巻き添えを食わなかったのは幸運といえるだろう。
「へぇ~、可愛いですね」
「でしょ、オルファが見つけたんだよ~」
「ふむ、まだ子供のようです。親から逸れたのでしょうか」
妙に感心したようなウルカが呟く。
戦場で見かけるという意味では珍しい生物という程でもないが、実際に改めて観察するというのはまた別で、
ヘリオンも同様に物珍しさからつい声が上擦ってしまう。覗き込んでみると長い耳がぴくっと反応して面白い。
「うわぁ、これで子供なんですか。近くで見ると意外におっきいんですねぇ」
「オルファリルの身体が相対的に小さいだけでは」
「はは、で、オルファリル殿。エヒグゥをどうするおつもりで」
「うん、オルファ、この子のママになるんだ!」
「ママ?」
「ママ?」
「ハイペリア語で、母親という意味です」
思わず顔を見合わせたヘリオンとウルカに、何となく得意そうな表情のナナルゥが説明を始めた。