相生

Delphinium chinensis Ⅳ

シアーはとぼとぼと項垂れながら、ぬかるんで荒れた地面を歩いている。
気をつけないと急に硬い石があるので、躓かないように『孤独』を杖のようにしてしばしば身を支えていた。
がっくりと肩を落としながら、それでも先頭のセリアに遅れないようにと慌てていると、隣のネリーが肘で突付きながら話しかけてくる。
「ね、ね、シアー、まだ落ち込んでるの? おやつ抜き、そんなに厳しい?」
「……ううん、なんでもないの。ごめんね、心配かけて」
こんな時、普段は変に鋭いくせに、妙な所で抜けているネリーをいつもシアーは不思議に思う。
確かにおやつ抜きは辛いが、さすがにそれだけでここまで落ち込む程単純ではない。
だが、神剣に操られている間の記憶が無いネリーに、それをどうやったら防げるかで悩んでいたと説明しても無駄だろう。
「うん、でも、あ、そっか。あのさ……セリア、まだ怒ってるかなぁ」
「……くす。そうだね」
勝手に何か納得しては口元に手を当て、そっと囁いてくる。
いつも通りのネリーにシアーは小さく微笑み返し、足元に注意しながら更に考える。
やっぱり、来るべきじゃなかったんだと。自分だけでも止めるべきだったんだと。

前日の事。
明日の朝には新しい技術者を迎えにいったまま不在の隊長がようやく復帰してくるという夜。
暫く続いた待機状態にすっかり飽きてしまっていた五人組は、間に合わせに建てられた詰所の部屋の中央で車座になり話し込んでいた。
突貫工事で、しかもスピリット用に宛がわれるものとあって普請も乱暴で、木製の壁からはすきま風が絶え間なく入り込んでくる。
冷たい夜の空気が時々突風のように流れ込んではエーテル灯の炎をゆらゆらと揺らし、どことなく不気味雰囲気までをも漂わせていた。
そんな訳で就寝時間はとうに過ぎているのだが、ラキオスにある自分の部屋とは違い何も無い殺風景な大部屋では、
いつまで経っても誰一人としてエーテル灯の灯りを吹き消そうという者が出てこない。
到着した当初は物珍しさもあって昼間にはしゃぎすぎ、疲れてそのまま眠りについたものだが、
予想外に長期的な遠征にも飽きてしまい、そして肝心の実戦でもサポート以外に求められているものも無い。
つまり今や、幼い彼女達全員が軽いホームシック状態になってしまっていたとしても、至極当たり前ともいえる状況。
何をする訳でもなくただじっと炎を見つめているのにも耐えられなくなったのか、『静寂』を弄っていたネリーがぼそっと呟く。
「……ねー、こんなの、いつまで続くのかなぁ」
「……判るわけないでしょ。お姉ちゃん、全然教えてくれないし」
ニムントールの言う通りだった。誰も正確な情報を持っていない以上、ネリーの発言はただの愚痴に過ぎない。
それでも普段なら無言でそっぽを向くような台詞に受け答えをしている辺り、ニムントールにも不満は溜まっている。そしてまた沈黙。
「……ユートさま、御無事なんでしょうか」
「明日、帰ってくるんだよね……」
お下げをしおしおとさせたまま、遠くを見つめるように呟くヘリオンに、確認するようにシアーは答える。
しかし、誰からも返事は返って来ない。そう聞いてはいるが、本当にそうなのかどうかは誰にも判らない。
そして答えるのも面倒臭いと、まるでニムントールの性癖が全員に伝染してしまったかのような雰囲気が部屋の空気を包み込む。

「たっだいまぁ~」
そこへきぃ、と軋んで鳥肌が立ちそうな嫌な音が響き、僅かに開いた扉の隙間からオルファリルが滑り込んできた。
彼女は部屋に入るなり這いずるように置いてあった『理念』を手に取り輪に加わると、やや興奮した口調を抑え気味に囁き出す。
「あーすっきりしたー……ねね、にゅーすだよっ」
「え、なになに?」
そしてこういう時、必ずといっていい程食いついてくるネリーが興味津々といった感じでずずいっと身を乗り出す。
隣に座っていたシアーはたまたま目が合ったヘリオンと、思わずくすっと疲れたような笑みを交換し合った。
灯りに照らされたオルファリルの頬っぺたが赤く染まり、その瞳がいつも以上にきらきらと輝き出している。
ニムントールも相変わらず無関心を装って手元の『曙光』をこねくり回しているが、興味はあるのか聞き耳は立てている様子だった。
「うん、今廊下で聞こえたんだけど。すぐそこの森で、敵さんのぼーえーらいんが見つかったんだって」
「ぼーえーらいん? なにそれ」
「もー、ネリーは鈍いなぁ。森に一杯敵さんが居るんだよ」
「なんだとーっ! ……へ? 敵?」
「あのぉ、ここ敵地ですし、別にそんなの珍しくないのでは?」
「そうだよね。不思議じゃないよね~?」
比較的良識派のヘリオンとシアーが半ば疑問形になりながら首を捻る。別に珍しくは無い。
それをアセリア達第一線のメンバーが撃退し、それを後方確保という名義で自分達がこの詰所を守る。
しかしここで戦闘が行なわれた事はないし、実質的にはただの待機。
たまにオルファリルが召集されるが、殆ど予備戦力としてウォーミングアップ代わりにスフィアハイロゥを展開だけして戦闘は終わる。
でも、とシアーは思う。でも、戦わなくて済めばそれでいいと。しかしオルファリルの話はそこで終わりではなかった。

「……で、戦力は?」
「うん、さっすがニム、話が早いね。それでその敵さん達が、どうやらすっごく弱いみたいなんだよ」
「! ま、まさか良からぬ事をお考えでは」
「んふふー。もしオルファ達だけで敵さんやっつけたら、パパとかお姉ちゃん達褒めてくれるかなぁ~?」
「あ、そ、それわたしの台詞ですっ、じゃなくて、だめですよぅ、怒られますよ?」
「ふーん何だか判らないけど面白そうっ。ネリー、賛成! ね、シアーもそう思うよねっ」
「え? あ、う、うん……でも」
「ヘリオン、いいチャンスじゃない。ユートのどこが良いのか知らないけどさ」
「ニニニニム何を言って!」
『ちょっといつまで起きてるの? 早く寝なさいっ』
「やばっ! ヒミカだっ」
どん、と激しく扉を叩かれ、誰かが慌ててエーテル灯を吹き消す。
それを合図に全員は、まるで蜘蛛の子を散らすように自分の寝床に戻り、息を潜めた。
「……」
「……」
やがてこつこつと乾いた音を響かせながらヒミカの足音は遠ざかり、代わりにオルファリルのぼそっとした声が聞こえてくる。
「じゃ、決まりだね。明日は朝が早いんだから、寝坊しないでよ。特にネリー」
「なんだとー」
「ちょ、喧嘩は止めましょうよ、また怒られちゃいますよぅ」
「今度こそ、お姉ちゃんに……」
「……はぁ」
夜露に少し湿ったような冷たい布団の中で、シアーはこっそり溜息をついていた。

「で、誰が言い出したのかしら?」
前を歩いていたセリアが唐突に振り向いたので、考え事をしていたシアーは危うくぶつかりそうになった。
隣を窺うと、ネリーのポニーテールが引力に逆らうようにぴん、と斜めに硬直してしまっている。
シアーもこれから一体どんな詰問が始まってしまうのだろうと考えると、自然に『孤独』を握り締める手に力が入った。
しかしそこで、眩しそうに前方を眺めていたハリオンがどことなく独り言のように呟く。
「あらあらぁ~、ユート様達がいらっしゃいますぅ~」
「ん。ニムントールもいる」
「そうね。話は後にしようか、セリア」
「……仕方がない、か」
歩き出すアセリアとヒミカに敢えて逆らう理由も無いらしく、溜息混じりで付いていくセリアに、シアーは心の底からほっとした。
そしてそれは当然ネリーも同様だったらしく、隣で胸に手を当て大仰に息を吐き出している。
「ふいぃー、助かったぁ」
「くす。良かったね、ネリー」
「……命拾いしたわね」
「!」
「!!」
すたすたと歩いていくセリアの背中越しの呟きが再び二人の神経を直接凍りつかせ、顔色を失わせていた。