相生

Lemma Ⅰ

暗い部屋。きいきいと耳障りな音を立て、軋む椅子。体の芯まで沁み込んで来るような薄ら寒い空気。
男は不愉快そうな表情を浮かべ、ただじっと目の前に佇む少女を睨みつけている。椅子の上で組んだ足を、無造作に揺らしながら。

  ―――― こつ

沈黙が続く中、肘掛に置いた指先だけが、神経質そうに固い木目を叩き続ける。
少女にとって、それは拷問ともいえる時間。幻惑するように聞こえてくる単調な響きが神経を苛む。
いつものことだが、対面すると必ず平衡感覚が削り取られ、少しづつ足元が覚束無くなってゆく。
「……それで。尻尾を巻いて逃げ帰ってきた、という訳ですか」
「! は、はいっ! 申し訳ありません、ですが、部隊の被害をこれ以上増やす訳には」
「部隊の被害? 誰が、そんなものを気にしろと命じました?」
「す、すみませんっ!」
からからに乾いた喉から搾り出すように、そして半ば反射的に叫び、頭を下げる。
くの字に折れ曲がった体には先程の戦闘で負った傷がまだ残っており、それだけの挙措でも身体全体が悲鳴を上げ、
俯いた少女は思わずくぐもった呻きを漏らしたが、拍子にぱらりと落ちてきた後ろ髪はその表情を隠してしまう。
しかしこの場合、自分の苦痛がこの相手に伝わるのは必ずしも良い結果を生み出すとは限らない。むしろ隠された事が幸運とも言える。
「そもそも貴女が言い出したことなのですよ。精鋭でもない妖精達の何を庇おうとしているのか、私には想像も出来ませんがね…クク」
「……」
「しかし貴女は仮にも『妖精部隊』の一員。判りますか? 無様な退却が、その名にどれ程の泥を塗る行為なのかを」
「~~ッ」
「私は恥ずかしいですよ、ええ。今回は貴女の意気込みに免じて作戦を許可しましたが……結果を皇帝陛下に奏上するのは私なのでね」

 ―――― こつ

耐え難い時間がゆっくりと過ぎ行く。
男はいつの間にか立ち上がり、不自由な右足を庇うように杖を手に取り、
粛然と押し黙ったままの少女の様子をただ無言のまま眺め続けていた。
しかし怯えきって小刻みに震え続ける細い肩にやや気分を持ち直したのか、
丁度狂人のそれに似た下卑た思念を含む次の口調は意外にも穏かなものへと変わっている。
「……まぁ良いでしょう。しかし、次があるとは思わないことです」
「は……はっ!」
少女はもう一度勢い良く頭を下げ、そして逃げるように部屋を出て行く。
古びた扉が錆び付いた音で閉じられるのを、男は冷ややかな目付きで観察するように見送り、そして再び椅子に座りなおした。
重みに耐えられなくなった椅子が、ぎしっと一際高い嫌な悲鳴を響かせる。
「ふむ、表情がありすぎる。……しかたがありません。ここはやはり、躾が必要ですかねぇ」
やれやれと溜息をつき、大仰に首を振る。しかし、その口元には既に抑えきれなくなった下世話な笑いが深々と湛えられている。
少女は、恐らく覚ってはいなかっただろう。部屋を出る時、その美しい背中はくまなく、爬虫類のような視線によって蹂躙されていた事を。