修羅場から早々に退散を決め込んだオルファリルは表に飛び出すと、草に足を取られない程度の駆け足でとある目的地へと向かっていた。
『理念』をくるくると気楽に回しているのは警備に当たっている人間の兵士達に対して軽い舌打ちの対象にもなったが、気にも留めない。
今朝小規模な戦闘が行われたばかりに張り詰めた空気がそこら中に満ちていたとしても、オルファリルにとってはどうでもいい事だった。
崩れている民家の壁をひょいと飛び越え、ラキオスよりはやや冷たい異郷の空気を思いっきり吸い込むと、懐の中を何やらごそごそと漁りだす。
「ん~~……あ、あった。これこそソナエアレバウレイナシ、だよねぇ」
悪戯っぽい呟きと共に取り出したのは、この土地でしか取れないという柑橘系の果物。
やや酸っぱいがその中に僅かなすっきりとした甘味があり、厚い皮が剥きにくいという難点を除いても、初めて食べた時からのお気に入り。
普段から厨房でエスペリアの手伝いなどをよくしているので、こういう食材をこっそり掠めても誰にも不審がられない。
既に昼にほど近い時刻。
先ほどハリオンに言付けられた「お使い」がなければ一度戻って用意されている筈の昼食を食べればいいだけの話なのだが、
ずっと正座しっぱなしだったため無駄に余っている落ち着きの無い元気が外で身体を動かす事を強要する。しかし反面、お腹は空いている。
そんな訳で、オルファリルは積み上げられたまま朽ちようとしている資材の山を乗り越えながら、役得の"へそくり"を頬張る。
口中一杯に広がっていく良い匂いと甘さが清々しい。
最短距離を突っ切ると、そこには物々しい装置が見えてくる。
エーテルジャンプ施設。
戦場で、いかにも突貫工事で建造された代物にふさわしく見た目はまるで重視されておらず、外壁は所々剥げ、割けた生木の白さが目立つ。
脆い造りはこの時代の一般的な建築平均をも下回り、もしも敵に襲われでもしたらたちまち崩壊しかねない。
だが内部はかなり精巧で、巨大なマナ結晶体が放つ透明な青さが室内を満たし、一種荘厳な感じさえ醸し出しているなどとオルファリルは聞いている。
しかし実際に訪れるのは今回が初めてだったので、「お使い」も二言返事で快く承知していた。もしかしたら見学出来るかも、そんな淡い期待感がある。
「よ、オルファか、遅かったな。聞いたぞ、今朝は大変だったんだって?」
だが、待ち合わせの当人は既に到着し、施設の前の土が剥き出しのまま整備も放置されている空き地のような場所で、
何やらにやにやと笑みを浮かべながら、オルファリルに向かって手を振っていた。
身長にそぐわないややだぶついた白衣。その中に乱暴に着込んだシャツと紺のパンツ。
ぼさぼさに伸び放題の黒い髪の毛をがしがしと掻き、鼻の上に乗せた小さな眼鏡をくい、と癖のように持ち上げる。
その容姿は紛れも無くラキオスが招聘した大陸一の――自称――天才科学者、ヨーティア・リカリオンその人。
見学出来るかもという目論見が外れたオルファリルは少しだけ落胆の表情を見せたが、すぐに思い直すと満面の笑顔で両手を振り、駆け寄る。
「ヨーティアお姉ちゃん、お久しぶり! えっと、どうやって来たの? ……まさか、だよねぇ」
言いながら、ヨーティアが丁度背後に背負っている巨大な建造物を見上げてみる。太陽の光を反射して輝く屋根が眩しい。
「いや、さすがのあたしもこれには乗れないよ。ちゃんと馬車さ。途中遅れそうになったから、新発明の装置でエクゥにちょいと発破はかけたがね」
「あ、あはは~」
それで陸路にしてはやたらと時間に正確だった訳が解かりはしたが、それ以上は聞けないし、聞かない。
一体どれだけの無茶をしたのだろうと、ただ大粒の汗だけが困ったような笑顔に加算されてしまうオルファリルである。
「えっとそれで、今日はどうしたの? お城でレスティーナお姉ちゃんのお手伝いが大変なんじゃ?」
取り合えず、用向きを訊ねる。
スピリットと違い、エーテルジャンプ施設を使えないヨーティアが遠路はるばる駆けつけたのだから、何か重大な使命があるに違いない。
その伝言を承るべくオルファリルはここまで「お使い」に来ている。しかしヨーティアはそんなオルファリルに対し、意外すぎる受け答えを返す。
「ああ、それだ。あー、本当はイオが先行している筈なんだが……知らないか?」
「イオお姉ちゃん? イオお姉ちゃんも来てるの? うーんでもオルファ、ずっとセリアお姉ちゃんのお説教聞いてたから」
「あっははは、そうかいそうかい。ま、いいさ、用があるのはオルファ、お前さんにだよ。あたしはその為にラキオスからはるばる、ここまで来たんだ」
「――――はい?」
オルファリルが首を傾げると、お下げを纏めた黄色い髪留めもくるくると揺れる。
唐突に現れた天才(自称)科学者の唐突な一言に、思考は一旦完全に停止していた。
既に、エーテルジャンプ施設を見学したかったなどという欲求はすっかり抜け落ちてしまっている。