相生

Delphinium chinensis Ⅵ

「そう……大変だったのね」
シアーの話を全て聞き終えた後でもクォーリンは優しい笑顔を崩さずに、仕草だけで心からの同情を伝える。
スピリットである以上、神剣との関係は切り離せない。それは無意識になのか、いとおしげに自分の神剣に触れている指先からも判る。
「あ、でも……うん。どうすればいいのかなぁ。判らないよ」
シアーはいつの間にか初対面の相手に引き込まれるように、夢中になって一人で喋っている事が不思議だった。
いつもは勝手気儘に振舞うネリーの影に隠れ、言いたい事も上手く言えない自分の気性が嫌になってくるのに、
何故か思いもよらなかった本音のようなものが次々と浮かび、そしてすらすらと口から溢れてくる。
「んー……少し、歩きませんか?」
クォーリンは膝元に視線を落とし、静かに立ち上がるとのびをするように軽く身を逸らした。
細身の身体がしなやかに撓み、胸当ての奥で波打つ双丘が陽の光を微妙に屈折させ、
濃い茶色のワンピースの縁に控えめに施されたエメラルドグリーンの刺繍模様をきらきらと反射させる。
そこから伸びている女性らしい柔らかい曲線を辿ると大きなスリットから惜しげもなく晒している太腿は意外にも日焼けなどが一切無い。
驚くほどしっとりと白く、むしろ透き通るような肢は脛の所できゅっと締まり、そして服と同じ色の皮製のブーツへと吸い込まれていく。
肌色もだが、肌理の細やかさまで保たれているのがシアーにはとても羨ましく見えた。
「……ね?」
そうしてぼーっと見上げていると、ついさっきと同じような構図でクォーリンは屈み、そっと手を差しのべてくる。
「……うん」
逆光になって翳った彼女の微笑みに釣りこまれ、シアーはその手を掴んでいた。

マロリガンの敗戦の後、光陰達と一緒に投降したクォーリンは、そのままラキオス軍の編成に組み込まれた。
ただ、エトランジェとは違いただのスピリットである彼女に対し、いきなり実戦部隊に配属する程軍令部というものは甘くは無い。
光陰と悠人の友誼をレスティーナ女王が知っているせいか待遇自体は決して悪くはないのだが、それでも彼女が任命されたのは後方輜重支援補佐。
元参謀、それも稲妻部隊の代名詞としてその名を轟かせた程の戦闘力を持ちながら、あてがわれたのは曖昧な階級が示す通りの閑職だった。
一緒に投降した仲間達もそれぞれ今までにラキオスが占領した「地方」の治安維持という名目でばらばらに振り分けられ、
煩雑な書類手続きが必要な外出はおろか、日常に於ける唯一の連絡手段である書簡の往復も厳しく制限されている。
唯一の救いといえばここケムセラウトに配置されたという事だが、話しかけられる相手である光陰と今日子はたまにしか帰ってはこない。
同じく一度剣を交わした事のあるウルカにも何度か声をかけようかとも思ったが、その都度何故か引け目を感じ、ためらっていた。
他のラキオスのスピリットとは面識が殆ど無く、また、彼女達も戦いに忙しない毎日を送っているのでどうしても遠慮してしまう。
敗残のスピリットとして当然の事と半ば言い聞かせるように諦めながらも、非常に孤独な日々の中、黙々と任務を果たすだけの日常。
クォーリンは、次第に磨り減っていく自分の中に初めて芽生えた"孤独"という感情をどう扱っていいのか判らず戸惑っていた。
ふと思い立ち、気分転換にと出かけてみた郊外で木陰に蹲るラキオスのスピリットを見かけた時に思わず声をかけてしまったのは、
或るいは初めて"自分の声"というものを聞き、素直に従った瞬間だったのかも知れないが、当の本人は全く自覚してはいない。
彼女にしてみれば、ただ寂しそうに丸める背中に今の自分を重ね、放って置けなかっただけだった。

「この辺も、平時はきっと賑やかだったのでしょうね」
静まり返った街並みを眺めながら、のんびりと呟く。後ろからちょこちょこと付いてくるシアーとの歩幅の違いに気をつけながら。
シアーは何故か、並んで歩こうと速度を落とすと同じ距離を保とうとして後退する。そのくせそれ以上は離れようとはしない。
まだ警戒を解いてはいないのか、小猫のように慎重な視線を背中に感じながら、クォーリンはそれでも独り言のように話し続ける。
「戦えば、それだけ失われていく。それはきっと、人もスピリットもそれ程変わらないのかもしれません」
「……」
「家族、仲間、財産、居るべき場所。それに私達にはよく判りませんけど、恋人、友達……」
「……」
「でも私達は人と違い、逃げる訳にはいかない。戦うのが、スピリットだから。……だけどきっと、それだけじゃありませんよね?」
「……え?」
「人の命令だけじゃない。理屈じゃなく、守りたいものがあるから。守りたい人がいるから。だから戦う。それは、いけないこと?」

「え、え?」
少しづつ反応を示すようになってきたシアーと急に振り返ったクォーリンの、紺碧とエメラルドの視線がぶつかる。
クォーリンは少し照れたような表情で軽く舌を出しながら、恥ずかしそうに神剣を両手で持ち直していた。
「あ、えっとあの、コ、コウイン様の受け売りなのですけれど。助けたいのなら、力ではなく、心を強く鍛えなくてはと」
「?……心、なの?」
急にたどたどしく幼い口調になってしまったクォーリンに不自然さを感じながらもシアーは訊き返す。
今まで、そんな話をしてくれた人はいなかった。
だが世間話のようだった今の会話の中に、どこか自分にとって大切な何かが隠されているような。
そんな漠然とした予感がいつの間にかクォーリンの服の裾をぎゅっと握り締める行為にまで及ばせている。
向かい合うと、明らかにクォーリンの方が背は高い。それでも見上げるシアーの表情に、もう怯えるような色は無くなっている。
「鍛える……心を?……そうすれば、ネリーを守れる? シアーにも守れる…かなぁ?」
縋りつくような口調。細い路地を吹き抜けてきた風が二人の間に心地良い緑の匂いを運んでくる。
クォーリンは頬に貼りついた細長い前髪を軽く掻き分け、そしてしっかりと頷いた。自分の神剣を、軽く『孤独』に合わせてみせる。
「良かったら、お友達になりませんか? 一緒に、強くなりましょう?」
「……うん!」
訪れた時には灰色にしか感じられなかった光景が、ささやかな彩りを添えつつあった。シアーにも、そしてクォーリンにも。