オルファリルとヨーティアの二人は施設を離れ、街の外周をぐるりと取り囲む城壁に沿うように歩いている。
「なるほどねぇ、こうして耐久性を向上させた訳か。弾性は減るんだがな……ふん、それなりに工夫が施されてるじゃないか。凡人にしちゃよくやってるよ」
「……お姉ちゃん、壁に向かって何ぶつぶつ言ってるの?」
「うん、いい質問だ。オルファ、天才は常に凡人を撫育しなければならないという重大な歴史的役割を担っているものなのさ」
「? ブイク……? レキシテキ?」
「ああ、そうだな。解かり易く言えば、オルファはいつもエスペリアを手伝って皆の食事を用意しているだろう?」
「え、あ、うん。オルファ、お料理好きだよ。パパに美味しいって言われるとすっごく嬉しいんだっ」
「そこで、だ。もしもエスペリアもオルファも忙しくて料理が出来ないとしたら、どうだ?」
「う~ん……みんなお腹空いちゃう。そんなの可哀相だよ」
「そうだろう? つまり、エスペリアやオルファは食事作りをさぼっちゃいけないんだ。でもそれは、強制されたものなのかい?」
「え、う、ううん、ううん! オルファ、好きだからやってるだけだよ?」
「つまり、そういうことさ。あたしは好きで凡人の撫育をしているんだ。こうして創造物をチェックしてね」
「う~ん……やっぱり難しすぎて、オルファにはよく解かんないよ」
街の城壁とはいえ、その規模はかなり大きい。二人はもう半刻程は話し込んでいるが、まだ外周の1/4にも到ってはいない。
ヨーティアは先ほどオルファリルに分けて貰った果物をあっという間に平らげてしまっていたが、味ついての感想などは一言も無かった。
ただそれは勿論、彼女が元々サーギオスの出身だった為にその種の果物は別に珍しくも無かったというだけの話で、他意は無い。
「どうだいオルファ、戦場は。怖くはないか?」
「ふぇ? ううん、楽しいよ?」
相変わらず壁を熱心に見つめながら、時々そんな質問をヨーティアはしてくる。
そしてオルファリルは、そんな彼女の白衣の背中を追いながら適当に答えていく。
「ほう、そうか。それで、どんな風に楽しいんだい?」
「そうだね……ん~例えばね、みんなで敵さん殺して遊ぶんだ」
「――――っ」
短く息を吸い込んだヨーティアが歩みを止めた事に、頭の後ろに手を組みながら空を見上げていたオルファリルは一瞬気がつかなかった。
「――――いいかいオルファ、よくお聞き」
ヨーティアは慎重に、そして優しく細身の肩へと手を添える。
人間の、同年代の少女となんら変わる事の無い、年頃の娘らしい華奢な丸みと高めの体温。
そこから伝わる温もりはいかにも脆く感じ、服越しにでも確かめられる滑らかさはほんの少し力を篭めれば儚く砕けてしまうようにも錯覚させる。
しかしこの細い2本の腕が一たび覚醒し――もしもこの仮説が正しいならばと戦慄を禁じえない想像が走る――咆哮してしまえば、
並みのスピリットなどでは比類にならない程の破壊と再生をこの大地にもたらしてしまう。この、無邪気に見上げてくる愛くるしいPeigon's Bloodの瞳によって。
「戦いは、遊びじゃない。遊びじゃないんだよ。……オルファは、誰も死なないように頑張っているんだろ?」
「う、……うん」
懼れているのは世界の崩壊か、それとも為したその後、自責の念に押し潰されるのが目に見えている幼い心か。
どちらにせよヨーティアにしてみれば、科学者としての矜持としても、ここで言葉を選び損ねる訳にはいかない。
そして彼女自身の人生において、二度目の過ちを繰り返さない為にも。
「ああ、それは正解だ。だけどな、少しでいいんだ。少しだけその気持ちを、敵にも向けてはあげられないか?」
「敵さん? なんで? 敵さんやっつけなくちゃ、オルファ達が殺されちゃうんじゃないの?」
「そりゃそうだ。うん、そうだな、オルファは正しい。それが正論ってもんだ。でも、そうさね……オルファの剣は、『理念』だろ?」
「へ? うん、そうだよ」
「意味は解かるか? 『理念』っていうのは、つまり簡単にいうと、ここだ」
ヨーティアはゆっくりと、朱色の戦闘服を指でなぞっていく。
辿り着いたのは、紫の刀身を両手で握り締めているオルファリルの身体の中心。
「――――心臓?」
「そう、心臓だ。オルファにも、あたしにも大事なもの。人もスピリットも、ここを潰されれば死ぬ。急所ってやつだ。だけど大切なのは、他にも理由がある」
「理由……他にも?」
「そうだ。オルファは、大事な仲間のここを守る為に頑張ってる。それは何故か。これは、1人に1個しか無いものだからだ。失われれば、それでおしまい」
「……うん」
「だから、必死になって守る。それは敵も味方も同じだ。大事にしない奴から死んでいく。あたしはな、オルファ。お前さんに、そんな風になって貰いたくないんだよ」
「……」
「……」
「オルファ……大事にしてないの、かな?」
「ああ、違うよ。そんなことはないさ。オルファ、言ったろ、『理念』なんだよ。戦争をしているんだ、殺すな、とは言わないし、言えない。だけど」
急にしょぼくれたように俯いてしまったオルファリルを、ヨーティアは優しい瞳で見つめる。
心臓を指差していた掌は、今は自然に日差しに赤く映える小さな頭の上を静かに撫でながら。
「……そうだな、お前さんはスピリットだ。そうだろ?」
「う、うん」
「あたしなんてただの人間さね。こうして説教たれているだけでも、実は命がけだ。気に障ったなら、いつでも殺していいんだよ。お前さんにはそれが出来るんだから」
「っ! そ、そんな! 出来ないよっ! オルファ、ヨーティアお姉ちゃんに怒ってなんかないもんっ!」
「じゃあ、怒ったら殺すのかい?」
「殺さないよぅ!……ぁ」
「そう、それが正常な思考だ。普通、感情が『理念』を越えない限り、人は人を殺しはしない。あたしはスピリットもそうだと信じている。例えそれが、敵でもね」
「敵さん……ヨーティア、お姉ちゃん?」
「考えて欲しいんだ。軽々しく扱ってはいけない、という事をさ。奪えば、代償は必ず訪れる。経験則じゃないぞ。これは、真実だ」
「うん……解かったよ。ううん、本当は難しくてよく解かんないけど。でもね、オルファはヨーティアお姉ちゃん、好きだから」
「……いい子だな、オルファは」
「え、……えへへ」
言葉で、理屈で人が動くことは無い。
それは過去の経験からも、ヨーティア本人が一番良く知っている。しかしそれにもかかわらず、これ位の説得しか出来ない。
笑顔で手を振るオルファリルの影が小さくなっていくのを見送りながら、ヨーティアは寂しそうに呟く。
「撫育、とは我ながらよく言ったものさね。所詮科学者なんて、無力なものだよ。……なぁ?」
日光に反射した『理念』の紫が鮮やかに映え、懐かしい研究所の平和な一風景が目に飛び込んでくる。
それが幻だと理解するまでに、暫く時間が必要だった。