「結果的に敵の陣容は乱れ、防御線にも多大な影響を及ぼしています」
今後の作戦方針を決める会議の壇上で、エスペリアは指摘する。
「この機を逃がし、帝国に猶予を与えるのは得策ではありません。従って、早急な進撃作戦を提言致します」
「それはつまり、すぐにでも行動を起こした方がいい、って事かエスペリア」
戦略地図が広げられたテーブルを挟んで座っている悠人が訊ね返す。
「はい。……ですが」
「問題は、嬢ちゃん達だな。あの調子じゃ懲りてはいないだろ。連れていくのか?」
特に意味もなく窓の景色を眺めつつ目を細めていた光陰が口籠もるエスペリアを引き継ぐ。
「……打撃を受けたとはいえ、ここは帝国領土。補充は充分と見るべきでしょう。我が軍も、当然これ以上の戦力の削減は避けるべきかと」
「俺は反対だな。こんな事は言いたくないんだが、今の彼女達じゃ足手まといにしかならない」
「特にあの、ネリーだっけ。あの娘、このまま戦い続けたら――――」
「……」
「……」
今日子の発言が、部屋に沈痛な空気を垂れ込めさせる。
悠人が深く腰掛け直した木製の椅子が軋み、響かせたぎしっという音が問題の深刻さを物語っているようだった。
それまで光陰の隣で沈黙を保っていたクォーリンがエスペリアに問いかける。
「想定される戦場は、街道正面のみなのでしょうか。つまり、作戦上の遊撃や囮を今回は必要とされるのですか?」
「え? はい、あ、いいえ。そのプランはありません」
やや慌てたような仕草で地図の上に置いた駒のようなものを動かしながら、エスペリアは答えていく。
「我が軍は、多くても五部隊の編成。これを更に割くよりは集中して一点のみに重圧を与える方が有利と思われます」
「マロリガンで、俺達がやられた戦法だな。守る側は全ての進路を抑えておかなければならない。だが、攻める側は自由だ。あの時はまいったぜ」
「はい……あ、いえ申し訳ありません。……そこで今回は街道を進み、壁の手前で左手に広がる森へと侵攻を開始します」
「森? なんでまたそんな進み辛い進路を選ぶんだ?」
「おいおい悠人。まさか馬鹿正直に敵の主力が待ち構えていると予想される正面から殴りこむつもりじゃないだろう?」
「ほんっと考え無しなんだから、悠は。そんな事してたらかえって時間を無駄にするでしょうが」
「ゔ、なんだよ二人とも。俺はただ素直に疑問に思ったから」
「はいはい。バカ悠は大人しくエスペリアお姉ちゃんのお話を聞いていまちょうねぇ~」
「誰がバカ悠だっ!」
「ふふ、それにエスペリアさんの考えでは、緑の加護の多い森の方が死傷者が出にくい……そう、お考えなのでしょう?」
立ち上がりかけた悠人の前で、それを制するようなタイミングを捉えたクォーリンがエスペリアに微笑みかける。
「え、ええ。それもありますが、他のマナの動きを抑える意味もあります。その、水、などの」
「ちょっと待った、それは後で考えるとして。その進路からで、法皇の壁に直接侵入は出来るのかしら?」
「お、今、今日子がいい事を言った。どうなんだエスペリア、その辺の調査は済んでいるのか?」
「はい、コウイン様。丁度というか、オルファ達のお陰でセリアとファーレーンが潜入出来ました。上空からの情報だけですけど」
地図の中央を一本貫かれた街道から、やや外れた向かって左側。一見何も記されていない壁の一部をエスペリアは指差す。
「ここに、壁の崩れた部分があります。恐らくは過去の戦闘で破損したまま復旧が間に合わずに残されたものかと」
「ん? 俺が留守の間に、そんな事までしてたのか?」
「ああ悪いな。お前の指示無しだが、勝手にやらせて貰った。このまま膠着していても埒が明かないからな」
レスティーナとヨーティアの要請により、止むを得ず悠人がケムセラウトを離れている間に、戦況は一変している。
光陰と今日子の奮戦により法皇の壁へと続く街道上にずらりと並べられていた敵の布陣は大方一掃され、
その最後の防御線も今朝の小競り合いで乱れ、効力を喪いつつある。
とすれば次の段階を考えるのは代行とはいえ指揮官としての義務。悠人はぽん、と光陰の肩を軽く叩いて頷く。
「いや、いいんだそれは。エスペリアにも相談済みなんだろ? 二人とも無事だし申し分無いよ。たださ」
言いかけて、悠人は黙り込む。上手く言えないが、とんとん拍子に進みすぎた状況が、却って部隊に負担を強いてはいないか。
そんな事がふと浮かんできてしまい、連想されるように今朝アセリアから聞いたネリーの変化をも思い出してしまう。
エスペリアから報告されたオルファリルの不安定さやウルカから聞いたヘリオンの慌てっぷり、
先程今日子から受けたニムントールの先走る性向やクォーリンの話すシアーの怯えや心配など、不安要素は尽きない。
「……俺はすぐにでも帝国を、そして瞬を攻めたい。佳織に会いたい。だけど、それだけじゃもう、意味は無いんだ」
「うん……そうね。よく言ったわ悠。成長したじゃない」
「ちゃかすなよ。悠人、それは五人を置いて行くという隊長としての最終意思決定と解釈してもいいんだな?」
「ああ。みんな無事で、帰る。絶対に。まずはそれからだ。佳織も、瞬も」
「エスペリアさん、早速作戦の修正を。微力ながら、お手伝いさせていただきます」
場の空気を機敏に掴んだクォーリンがすかさず身を乗り出し、光陰の口調もからかうようなものに変わる。
「お、流石は話が早いなクォーリン、任せたぜ。エスペリア、クォーリンがその気になれば百人力だ。元稲妻部隊隊長として保障する」
「コ、コウイン様、そんな」
「いやいや、これで名参謀なんだぜ。前の戦いでも、俺は指示を出していただけだしな」
「へえ。そうなのか? 光陰」
「ああ、大将がキレてからは殆どクォーリンが一人で部隊の指揮や作戦の遂行をしていた」
「はうぅ~」
「腕もたいしたものよ。アタシはよく覚えていないけれど。……そうだ、今回、クォーリンも参加させられない? 悠」
「そうだな。っていうか、頼めるか? クォーリン」
「え、あ、でも」
「ふふ、それではクォーリン、お願いします。作戦の決行は明日ですから、急がなければ間に合いませんよ?」
自分が起草しようとしていた作戦は見事に否決されてしまった形のエスペリアだが、何故かその表情にはすっきりとした笑みが浮かんでいる。
「じゃ、俺はレスティーナに神剣通話で掛け合ってくる。後方輜重……なんだっけ? そんな部署のままじゃ話にならないだろ?」
「あ……は、はい! 宜しくお願いしますっ!」
笑いかける悠人に、クォーリンは勢い良く頭を下げていた。少し癖のある緑色の髪の上で、ハイロゥが活き活きと輝き始めている。