相生

Bidens atrosanguineus Ⅵ

「あ痛たたぁ……もうナナルゥさんってば、容赦が無いんですから」
未だに残る二の腕の痣をさすりながら、ヘリオンは呟く。
浴場に篭る湯気は疲れや筋肉痛を癒してはくれる。が、しかし柔肌に残る青い跡までは消してはくれない。
溜息をつきながら恐る恐る足の爪先だけを一度湯船に浸し、お湯の温度を確かめ、大丈夫だと判断してから慎重に浸かっていく。
脹脛までは痺れるような熱さを感じて飛び上がりそうだったが、我慢して身を沈めてみると腰の辺りから大分楽になってきて、
肩口を埋める頃には開放感とじんわりとした染み込んでくるような安心感に身を委ねることも容易になっていた。
「……ふあぁ……。ああ、気持ち良いなぁ~」
目一杯に両腕両脚を伸ばし、頭の後ろだけを縁に預け、軽く浮かぶ。仮設とはいえ、浴場には充分の広さが設けられている。
それはスピリットという種族が元々人間よりも病気には弱いという体質を保有している為その環境には特別の配慮が施されているからで、
一方ではたまたまラキオスの建設技術者に凝り性の者が居たのが発端だとかという噂もあるが、どちらにせよ構わないとヘリオンは思う。
たとえそれが戦力としての厚遇だとしても、四肢をめいっぱいに広げてもまだ余りある湯船に浸って周囲を眺めてみれば、
瑞々しい香りを放つ木造の壁や天井や丁寧に繋ぎ合わされた木目の隙間、綺麗に磨かれた床等など致せり尽くせりで申し分ない。
ラキオス産の香草を使った白濁色の湯を両手で掬ってみると森の香りが更に広がり、気分を落ち着かせてくれる。
常に戦いと訓練の中にいるのにラキオスのスピリットが皆肌理細かい肌を持ち合わせているのは、一つにはこの環境のおかげでもあった。
「……ふぅ……んっ」
手を交差させたまま指先を絡め、ゆっくりと天井に向けて伸ばす。今は下ろしている黒髪が少し絡んでいるその隙間に見える青い痣。
湯気の向こうでぽちゃんと滴り落ちてくる水滴が丸い肩に冷たい。そうしてヘリオンはぼんやりと考え込む。

「私って弱いんだなぁ……まだまだ……」
唯一自信を持ちかけていた速さ。それがあっけなく打ち砕かれた今日の訓練もだが、特に思い知ったのは今朝の戦闘。
振り返ってみれば迷子になったり助けられたりしてばかりで、結果的に敵は退いたものの、それはこちらに強力な援軍が来たから。
神剣に支配されかけたネリーを止めることも出来ず、シアーがいなければ誤認した『静寂』に最悪殺されてしまっていただろう。
「ネリー、強かったなぁ……あんなんでも第八位ですし。『失望』は第九位……はうっ」
自分で言っておいて情けなくなり、しょんぼりと項垂れる。
そもそも最初から位だけで言えばケムセラウトに着ているスピリット隊の中で、『失望』より劣る位の神剣の持ち主などは一人も居ない。
しかしヘリオンは勝手に凹み、顔を半分湯船に沈め、ぶくぶくと泡立たせてしまう。窓から流れてくる風がゆっくりと湯気を払っていく。
「ユート様は位なんて関係ないって仰って下さいましたけど。でもでも、ネリーにも勝てないんじゃいつまでたってもお役に」
「ふにゃぁ~ネリーがどうかしたぁ~?」
「はい、ネリーに勝て……ってきゃああああっ! ネ、ネリー、いつからいたんですかぁっ?!」
ざばぁっ!
見通しが良くなったその奥に、湯当りを起こし、仰向けで目を回しているネリーの蒼い髪が水面に散らばっていた。
やや扁平になった胸まで赤く染まってしまっている。
「ふぇ~いつからってヘリオンが入ってくる前かrごぼがぼげぼがぼ」
「うわわわわちょ、答えなくていいですからっ! 沈まないでくださいぃぃぃっっ!!!」
沈没していくネリーの細い腕をあやうく引っ張り上げながら、体型は一緒なのに、とヘリオンは別の意味でも切なくなってしまっていた。