いつか、二人の孤独を重ねて

いつか、二人の孤独を重ねて

俺は、人間でいたかった。

何処までも、人間でいたかった。
永遠の命も、永遠の強さも本当はいらなかった。
俺自身は、自分が人間である事がむしろ呪わしくさえあった。
だけれども、自分が人間だからこそ周りのひとたちが大事で愛おしいわけで。
こんな俺を、佳織も、佳織の両親も、光陰も今日子も、スピリット隊のみんなは守ってくれた。
何処までも疫病神でしかない俺にシアーは懐いてくれた、好きだと言ってくれた。
あくまでも人間のままみんなを守り続けられたら良かったけど、それは現実が許さなかった。
みんなを守るためには、人間である事を捨てるしかなかった。
俺が人間だからこそ、こんなにもみんなが俺を、俺なんかを信じてくれたのに。
みんなに報いるためには、みんなの愛を裏切るしかなかった。
そして、あろうことか最後までシアーたちを永遠者になるという選択に巻き込んでしまった。
本当は、シアーたちにはそのままで、「ひととしての限りある未来」で幸せになって欲しかった。
だけど、俺にはシアーが俺の服の裾を掴んでついていこうとするのを振り払えなかった。
なぜなら、シアーもまた自分たちの命あるものとしての尊厳のために戦ってきたから。
俺とシアーとみんなの戦いは、命あるものとしての尊厳をこの手に等しく掴むための戦いだったから。
それがわかっているからこそ、シアーの戦いを間近で見てきたからこそ、シアーたちを振り払えなかった。
俺は、いったい本当にどこまで疫病神なんだろう。

俺は、人間でいたかった!
この心の、といだ刃がいつか折れるまで、俺は人間でいたかった!

だけど。

「お兄ちゃんは、みんなの希望を繋ぐ剣」

佳織の、俺に対してその手で開く扉はいつだってヘヴンズドアだった。

相変わらず、そこはあまりにもこの世界に不似合いな空間だった。
圧倒的ともいえる異様さを放つエーテル変換施設の中心部に、そのロウエターナルはいた。
今回の全ての張本人である【秩序】のテムオリンの片腕的存在、【無我】の黒き刃のタキオス。
不気味な黒いオーラのようなものを全身から放ち、悠人と瞬を値踏みするように見ている。
悠人は、目の前の黒い巨躯に圧倒されそうなのをこらえながら言い放つ。

「悪いが、多勢で挑ませてもらう。…あんたはハンパじゃないと聞かされてるもんでな」

タキオスは、ただ静かに言う。

「かまわん。強者と戦えるのであれば、それがいかような形でも俺はそれだけで充分だ」

瞬が、そんなタキオスに向かって心底軽蔑の眼差しを向けて言い放つ。

「三下のチンピラが…偉そうに武人面してるんじゃない」

瞬の挑発にも、タキオスは眉一つ動かさずにただ【無我】を無造作に肩に担ぐ。

「大丈夫か?…心配するな、俺たちは援軍だ」

両膝をついて苦しそうに肩を上下させるボロボロの光陰を背後に見やりながら悠人はそう声をかける。

「援軍…そうか、あんたらが時深さんが言ってたカオスエターナルの仲間か」

ぜーっ…ぜーっ…と息を荒げながら、光陰は顔を上げて悠人に応える。
その声と自分を見る視線に、かつてのような親友としての感情が無い事に悠人は胸がしめつけられる。

「…碧光陰、だよな。強さと有能ぶりは聞いてる。もちろん、率いてた稲妻部隊の事も」

一瞬、視線から逃げるように目を閉じながら悠人は光陰からタキオスに視線を戻す。
光陰は服のあちこちに刃による傷こそあれど、決して致命傷は負っていない。
対してタキオスは恐らく利き腕であろう右腕に見た目深い傷があり、そこからマナの霧がのぼっている。

「…本当に凄いんだな。生身の人間の身で、それもたった一人であいつと戦って傷までつけるなんて」

たった一人でタキオスと戦って生きていてくれた事もだが、光陰のそんな強さが悠人は素直に嬉しい。

「おだててくれるなよ。…へッ、一人でクソ意地はってみたけど格好悪いったらないぜ」

その巨大な刃にわずかなヒビが確認できる【因果】を杖にして光陰はゆっくり立ち上がる。

「いや、俺は碧光陰という男は本気でカッコ良いと思う。…それは、ズルいくらいにな」

光陰が真横に並ぶのを感じるのをまた嬉しく感じながら、悠人は本心からそう褒める。

「岬今日子とクォーリンは?いつも一緒じゃないのかい!」

「おお、最愛のカミさんと最高の参謀ならラキオスを任せてあるぜ!」

「悠人、碧っ!貴様たちが仲いいのは勝手だがそろそろ無駄話は終いにしたらどうなんだ!」

男三人が同時にそれぞれの神剣を構え、科白と同時にタキオスへと突っ込んだ。

「来るがいい、若きエターナルたちと強きエトランジェよ」

タキオスが、突っ込んでくる三人を一度に撫で斬りにしようと【無我】を無造作に振るう。
生じた剣風を、瞬は下をくぐり抜け、光陰は上を飛び、悠人は【聖賢】の刃をあわせるように振るう。
暴力的な威力を誇るタキオスの【無我】の剣風が悠人の【聖賢】のオーラフォトンに弾かれ霧散する。
瞬が【薫り】にオーラフォトンを込めアッパーを繰り出し、光陰が【因果】を脳天めがけて振り下ろす。

「ふんッ!」

瞬間、タキオスは裂帛の気合いを全身から放ち、ただそれだけで瞬と光陰を吹き飛ばす。
床を転がされる瞬と光陰、【聖賢】を大上段に構えて一直線に突撃する悠人。
ガギィン、と【無我】と【聖賢】が黒と白のオーラフォトンを火花と散らしぶつかりあう。

「うおおおおぉッ!」

「ぬうぅぅぅぅんッ!」

【無我】と【聖賢】が互いに何度も激しく刃と刃をぶつけあう。
右から瞬が、左から光陰がタキオスの死角にまわりこんで隙をうかがう。
ややあって、悠人がタキオスと鍔迫り合いの形に持ち込む。
巨躯を誇るタキオスは難無く悠人を強引に押すが、悠人はそれに逆らわない。
するり、と【無我】を受け流し、そのまま身体を前に押し出して悠人はタキオスに頭突きを見舞う。
頭突きの反動を利用してバックステップして後ろに間合いを取る悠人、わずかによろめくタキオス。
左の死角から光陰が【因果】を全力で横に振るう、タキオスは左手に障壁を集中して掴んで受け止める。
右の死角から瞬が【薫り】を狼の首から半身に変化させ、タキオスの右腕をその狼牙にとらえる。
一気にタキオスの右腕を食いちぎって右手の中の【無我】ごと床に転がす瞬。
【無我】を握っていた右腕を失った事で神剣の加護を失くしたタキオスは僅かに眉を歪める。
悠人はその隙を見逃さない、容赦なく迷いもなくタキオスの左胸に【聖賢】を深く突き刺す。
ごふっ、と汚らしい血反吐を吐いて黒き刃のタキオスは黄金のマナの霧と散っていった。

不浄の森のミトセマールは、その手に持った【不浄】を連続で地面に何度も叩きつける。
そのたびに【不浄】より放たれる衝撃波が凶暴な威力を持った幾つもの黒い球となってエスペリアを襲う。
エスペリアは【聖緑】をピタリと両手で下段に構え、当たる寸前で衝撃波を全て見切って避けていく。
すでにその場は町だった名残もないほど破壊され抉られ尽くしており、エスペリア自身も満身創痍。
だが同時に、ミトセマールもまた全身に無数の切り傷と刺し傷を負い、マナの霧と散りかけていた。

「ふぅ、ふぅ…うっとおしいねえ…とっとと惨めに潰されてしまいなよォ!」

苛立ちと屈辱が繰り出させた、狙いを定めていない衝撃波が唸りをあげて地を走る。
それを放った瞬間に、ミトセマールがぐらりと頭をおさえてよろめいたのをエスペリアは見逃さない。
エスペリアが、そのたった一秒にも満たない僅かすぎる程の虚をついてミトセマールの懐に飛び込む。
両手の中の【聖緑】には、全てを灰燼に帰せる威力を秘めた緑のマナとオーラフォトンが満ちている。
その緑のマナとオーラフォトンの濁流を、大自然の怒りと変えてエスペリアは解き放つ。

「ネイチャアァァァァー・フォオォォォースッ!」

途端、その場に局地的な緑の竜巻が巻き起こり、何もかもを巻き込んでズタズタに切り裂き潰していく。
もろに、いわば根元から喰らったミトセマールは断末魔の悲鳴さえ出せないままマナの霧と散っていった。
やがてネイチャーフォースの威力が静まったあと、そこにはボロボロの姿で膝をつくエスペリアだけがいた。

ネリーは、切り刻まれていた。
かつて新調した青い戦闘服も、その肌もズタズタに切り刻まれていた。
ポニーテールも完全にほどけ、青い髪は雑に乱れて疲労と傷で消耗した顔をわずかに覗かせている。
全身と、【戦車】と【静寂】にさえも無数の切り傷とヒビが走っている。
いつの間にか沈もうとしている夕陽を背に、ネリーから儚い黄金のマナの霧があまりにも綺麗に揺れる。
瀕死のオルファを連れて下がったニムたちから火急の報を聞いて駆けつけたミュラーも血塗れで立つ。

「全く物好きにも程がある方々ですね。いつかは必ず消えて無くなる世界のためにここまで頑張るなんて」

死んだ魚のような濁って淀んだ瞳で水月の双剣メダリオは両手の【流転】を構えもしないで淡々と言う。
メダリオの全身にも、ネリーやミュラーと等しく無数の切り傷刺し傷、【流転】にもヒビが走っている。

「負けない…そっちがどんなに強くても、ネリーたちは絶対に負けないんだから!」

「物好きで結構だけどね…こういう状況で必死になって悪足掻きするのも決して悪くはないんだよ?」

二人の科白にやれやれ、とあくまでだるそうに呟きながらメダリオは足元に魔方陣を展開させる。
流水の暴力、と称されるメダリオの神剣魔法…水刀の激流【流転】がネリーたちを襲う。
激流に飲まれたが最後、決して助かる事は絶対にありえない。
だが、剣聖ミュラー・セフィスはあえて、その絶対に助かる事のない激流に自ら両腕を差し出す。
激流の威力の流れる方向に合せ、見た目にもますます血に赤く染まる両腕を同じ方向に流す。
瞬間、激流が真紅に染まり、そして全くの暴力を発揮する事なく、あくまでもただ赤く弾けて霧散する。
激流の晴れた向こうで、その淀んだ瞳を見開いて立ち尽くすメダリオにネリーが翼を展開して殺到する。
あ…、とやっと何が起こって、自分に何が起ころうとしてるのか理解したのも遅く。
青いマナとオーラフォトンに満ちた、【戦車】ごと突き出されながら射出される輝く短槍に顔面を貫かれる。
一本こっきりのパイルバンカーを失った【戦車】を引き手戻し、メダリオだったマナ霧に包まれネリーは呟く。

「えへへ、やったぁ…くーる♪」

心を、もう保てない。

腕の【星光】で【孤独】を支える形で盾にして、青いオーラフォトンの障壁を張り巡らし、マナを注ぎ込む。
それでも眼前に其れは異様な威容をもって浮遊する業火のントゥシトラの【炎帝】を凌ぎ切れない。
降り注ぎ、嘗め尽くし、這いより、喉もと目掛けて飛びかかる、過剰なまでの大熱量の炎を凌ぎ切れない。

心を、もう保てない。

せっかく強くなったはずなのに、何も出来ない。
せっかくエターナルになったはずなのに、何も戦えていない。
せっかく最後まで悠人についてゆく事に決めたのに、何も守れない。

心を、もう保てない。

身体中が火傷で痛い、手が痛い、足が痛い、皮膚が痛い、目が痛い、鼻が痛い、口が痛い、心が痛い。
自分の弱さがあまりに悔しくて情けなくて悲しくて、涙があふれて止まらない、その涙で余計に痛い。
一生懸命頑張ったのにとても叶わなくて、一生懸命戦ったのにとても勝てないのが、何よりも痛い。

障壁にマナを必死に注ぎ込む向こうで、ントゥシトラが巨大な一つ目を愉悦に嗤わせるのが見える。

ヘリオンたちは完全に下がってくれただろうか、アセリアは無事だろうか、それさえも今はもうわからない。
ただわかるのは、ここまで這い上がってこれておきながら自分は確実に死ぬのだという事実。
まだ何も知らなかったあの頃、いつも漠然と抱いていた死の予感が可笑しいくらい現実的になっている。

周囲の温度が、また急激に上昇していくのを感じる。
それに伴い、ただでさえ薄くなっていた障壁がますます薄くなっていく。
何もかもが陽炎にゆらゆらと揺れて、自分自身さえも陽炎に溶けて消えていくように思えてくる。
がくがくと膝が笑っていた足がくずおれて、両膝をぺたんと地につけると、また燃えるように熱い。
すーっと張り詰めていたマナもオーラフォトンも落ちるように抜けていく。

障壁が消えるのと、身体が横向きに地面に墜ちるのが同時だった。
全てを諦めて、目を閉じて、死ぬのを待つ事にした。
だけど、いつまでたっても来るはずの死は来なかった。

「遅くなって、ゴメン」

聞き慣れた声が聞こえたのに気がついて、自分の身体の痛みがひいていくのにも今初めて気づく。

「時深から緊急神剣通信を聞いて、急いで駆けつけたんだ」

目を開けると、空では清らかであくまで柔らかく優しい瞬きを星が示していた。

「俺が、シアーを守る」

見慣れた陣羽織を羽織ったハリガネ頭と、いつもの赤い星が同時に見えた。

「今までシアーたちに守ってもらったぶんは、せめて必ず守る事で少しでも返す」

悠人が、いてくれた。
ただそれだけで、嬉しさと幸福感で胸がいっぱいになって熱い涙がますますあふれてくる。

悠人は、オーラフォトンの障壁をはりながらシアーを両手で抱きかかえている。
いわゆる、お姫様だっこの形に抱きかかえながらシアーの火傷を癒し続けている。
シアーの顔は、ひどい火傷で皮膚も変色していてあまりにも哀れな状況だった。
悠人は迷わず無言で、、シアーの唇に自分の唇を重ねる。
二人の身体が淡く青く輝いて、シアーの顔の火傷も更に急速に癒えてもとの状態に戻っていく。
周囲の温度がいきなり急上昇して土さえ発火して燃え上がるけれども、悠人の護りは決して揺らがない。
シアーの身体に活力が、シアーの心に安らぎが満ちていく。

やがてシアーからそっと唇を離して、悠人に無言で強く頷く。

悠人はシア-を下ろして、二人で業火のントゥシトラに向き直る。
巨大な、浮遊する一つ目の異形の永遠者は忌々しげに自分の周囲から、ごう、と熱波を吐き出す。
悠人の足元に魔方陣が、シアーの背中に純白のウィングハイロゥが同時に展開される。
悠人がントゥシトラへ向かって跳躍し、シアーが一直線に同じ方向に飛翔する。
ントゥシトラの眼前に悠人が、背後にシアーが回り込む…逃げられない、逃がさない。

「コネクティドゥ…ウィル!」

「うぅ…いやあぁぁぁぁっ!」

悠人のコネクティドウィルとシアーのヘブンズスウォードが同時に放たれる。
暴虐の限りを尽くした業火のントゥシトラは【炎帝】もろとも砕かれ、成すすべもなくマナの霧と霧散した。

「テムオリンは、取り逃がしました」

全員が集合しているラキオス城謁見室で、時深が苦い表情でそう告げる。
集まっているほぼ全員が、ボロボロに切り裂かれ焼かれ尽くした姿。

「現在、テムオリンはソーン・リームのアジトに立てこもっている様子です。
 その方角から、異様なマナの膨れ上がりを感じます。
 …どうやらこの期に及んで、【再生】を用いてまだ何かたくらんでいるようです」

時深の厳しい表情でそう語る様子に、場は緊張して静まり返っている。

「テムオリンに時を与えてはならない、のですが…全員、あまりに疲弊しきっています。
 ロウエターナル幹部と直接ぶつかりあったのですから当然なのでしょうけれども…。
 今の時点で突入しても、テムオリンに辿り着く前にミニオンの軍勢で限界に達してしまうでしょう。
 ですからここは、あえて一度休息をとって体勢も布陣も全て整えた上で最後の戦いに赴きましょう」

その言葉に、悠人もシアーも誰も彼もが重く頷いた。

やがて全員がぼちぼちとその場を立ち去りはじめた頃、時深が悠人を呼び止めて耳に口を寄せる。

「悠人さん、決して自分一人で全部背負おうとだけはしないでください。
 あなた自身、重々承知しているとは思いますが…この場合の自己犠牲なんて決して美しくありません。
 …どうしても前々から見えてしまっているのです、あなたがマナの霧に散って本当に消えてしまうのが」

それだけ言って立ち去る時深の背中を見ながら、悠人は軽く下唇を噛んでうつむいていた。


木の下に背もたれて、ただ二人で夜空を見ていた。
悠人は、もう決して二度と離さないかのように小さい身体を両手で背中から抱きしめる。
星たちの瞬きは何も言わないけれど、二人にとって残酷な事も決してしない。
太陽の光は暖かいけれど、まぶしすぎて古傷も生傷も暴いてしまう。
月の光は優しく隠すけれど、何処か静かに凍てつかせるような冷たさがある。
星の光は何も言わないけれど、道しるべを示してくれる。

今の二人には、星の光こそが良かった。

木の下に背もたれて、ただ二人で夜空を見ていた。
シアーは自分の背中を、今自分を抱いてくれてる人を感じたいからその胸へ沈める。
星たちの瞬きは何も言わないけれど、二人にとって残酷な事も決してしない。
太陽の光は暖かいけれど、まぶしすぎて古傷も生傷も暴いてしまう。
月の光は優しく隠すけれど、何処か静かに凍てつかせるような冷たさがある。
星の光は何も言わないけれど、道しるべを示してくれる。

今の二人には、星の光こそが良かった。

「…随分と、ここまで長くかかったもんだ、よな」

今までの長い長い全てを思い出し終えて、悠人は感慨深そうにそう呟く。
悠人に抱きついたまま、その胸の中でシアーは軽く頷く。

「俺が初めてこの世界に来てから…ちょうど二年になるのか。
 なんかさ、色々変わったようで変わらないままで…変わらないようで色々変わったよな」

シアーを抱きしめる両腕に、ぎゅっと軽く力をこめる。
見上げた夜空では、いつもと何も変わらず赤い星と青い星が寄り添って瞬いていた。

斬る。

横一文字に斬る。

縦に真っ直ぐ斬る。

斜めに袈裟懸けに斬る。

足を重く奪う雪を強引に踏み砕きながら、殺意だけの心失きマナの群れをただ斬る。

其れは邪悪なる【秩序】の傀儡たるエターナルミニオンどもを斬って斬って斬り抜けて駆け征く。

全員、三人一組で基本を何ら外れることなく戦術戦略戦法に忠実に一丸となってソーン・リームを征く。
悠人の両脇を、右をシアーが、左を瞬が固めて…互いの死角をカバーしあいながら決戦場を斬り征く。
アセリア、エスペリア、オルファが征く。ヘリオン、ミュラー、ネリーが征く。ウルカ、時深、イオが征く。
ヒミカ、ハリオン、ナナルゥが征く。セリア、ニム、ファーレーンが征く。今日子、光陰、クォーリンが征く。

ついぞ誰一人唯一人欠ける事なく喪う事なく、まっこと全員で最終決戦場をまっこと一丸となって斬り征く。

…そして、辿り着いた。

迷宮の最深部、異様な空間の中心に、【秩序】の法皇テムオリンはいた。
常識を越えて巨大すぎる【再生】を背にして、不快なまでに無邪気な笑みを浮かべて浮遊している。
いざ対峙してみると、本物の邪悪というものが実に言葉にならないくらい洒落にならないのを実感する。

相手はただ神剣を構える事もなく、ただふよふよと浮かんでいるだけなのに勝手に圧倒されてしまう。
無理やりな例えでこじつけるなら、生命が自分より上位の存在を本能的に知覚し本能的に屈するのか。
悠人が、そんな怯えを無理やり心の中で鼓舞している隣を、時深がすぅっと前に進み出る。

「法皇テムオリン。…あなたたちの全ての企みは完全に潰えました。この世界から消え失せなさい」

テムオリンは、ただ無邪気な笑みを浮かべたままで、無言で後ろへ遠ざかる。

「さっさと舞台から降板しろ、三流以下の無能子役…貴様は大根役者にさえもなれないんだよ」

イラつきを隠さないままに、瞬がテムオリンを罵倒する。

「無知蒙昧な捨て駒が、ずいぶんとボキャブラリーを身につけましたこと」

テムオリンは、ただころころと笑いながら、ゆっくり、ただゆっくりと遠ざかっていく。
悠人は、テムオリンが真っ直ぐ遠ざかる背後に【再生】が浮かんでいるのをふと見て、悪寒を覚える。

【再生】の刀身には、テムオリンと同一の存在感を放つ一本の杖が刺さっていた。

全てが、揺れる。
大地が揺れる、大気が揺れる、マナというマナが揺れる。

「私、大変むかついていますの。…だからいっその事、みなさんを道連れにしてやりますわ。
 この私自身を媒介にして【再生】に外界の生のマナを送り込んで…一種の爆弾にしてやりますわ」

皆が、吼える。

誰かが剣を振るう、誰かが炎を放つ、誰かが雷を呼ぶ、誰かが氷を射る、誰かが風を叫ぶ。
全員で今まででもっとも手加減なし容赦なしでテムオリンに全てをぶつけるも、一向に揺らがない。
悠人が【聖賢】でテムオリンを寸断しようと、全力で横に薙ぐ。
限界を越えて膨れ上がった【再生】の危険すぎるマナを得ているテムオリンは、それを素手で払う。

「…つくづく、何処でどうして完璧だったはずのシナリオを外れてしまったのでしょう?」

「じゃあ聞くが、そのシナリオの主役は誰だ?」

「もちろん、高嶺悠人…あなたですわ。
 本来なら、ヒロインはそこのアセリアだったのですけれど」

「だったら教えてやる!
 本当の主役は決して俺なんかじゃない、みんなだ!ここにいるみんな全員だ!」

「…そう…まさか、雑魚スピが主役だったなんて思いもよりませんでしたわ」

そこで初めて、テムオリンの顔が屈辱に歪んだ。

「とおぉぉぉぉっ!」

悠人の背後から、ウィングハイロゥを全開したシアーが【孤独】を振り上げながら躍り出る。
テムオリンがちらりとそれを見とめて、右腕の人差し指をぴくりと動かす。
シアーの頭上に幾本もの大小種類様々の永遠神剣が出現し、雨と降り注いでシア-を穿とうとする。

「させないんだからっ!」

しかし、【戦車】に護りの障壁を集中して傘状に展開させたネリーが神剣の雨へ突っ込んで、力技で弾く。

「猛々しき水流、獰猛なる突風、容赦なき氷雪!
 青きマナは病毒と苦痛を和らげると同時に命の証を灰燼に帰しもする…
 神剣の主が命ずる…【孤独】よ、眼前の敵全てを氷塊と貫き砕いてえっ!」

シアーのウィングハイロゥが六枚の翼になり、【孤独】とそれを握る【聖光】が激しく青く輝く。
控えめに瞬いていた青い星は流星と空を駆けて、一度Uターンしてテムオリンへ真っ直ぐ突っ込む。

「スプレマシースラストッ!」

純白のダイヤモンドダストを散らして、その一撃はテムオリンの障壁を完全に砕いて失わせる。
シアーのスプレマシースラストの最中に魔方陣を展開させていた悠人が不可視の門に手をかける。
悠人が行使するそれこそは、まさしく永遠のオーラ。
異世界への門を強引に開き、別世界から超絶的な力を引き出し味方に等しく与える最強無比のオーラ。

「マナよ、オーラへと変われ。我らに宿り、永久への活力を与えよ…エタアァァァナル!」

そしてそれは、本当ならこの時にただ一度しか振るえないシアーの奥義を再び可能にさせる。

「スプレマシイィィー、スラストオォォォォォォォォォッ!!」

「…っ!そん、な、わたくし、が、こんな雑魚スピごときに、たお、され…!」

青い煌きがあくまでもダイヤモンドダストを散らし、全ての守りを失い無防備だったテムオリンを貫く。
シアーの六枚の翼がゆっくりと消えて二枚に戻ると同時に、【秩序】の永遠者は散って消え失せた。

法皇テムオリンを倒した。

しかし、【再生】から感じるマナの膨れ上がりは止まらない。
すでに流れ込んでいる生のマナは止まっているものの、すでにキャパシティを超えていた。
誰もが疲弊しきって息を荒げながら、なおも膨れ上がる【再生】を歯噛みしながら見上げる。

「トキミ様…どうにかして、止める方法は…」

エスペリアのすがるような視線と声に、時深は完全に諦めた表情で首を横に振る。

「そんなぁ…ここまできて、全てがおじゃん?げーむおーばーなんて、くーるじゃないよ!」

ネリーが、その場にぺたんと力なく座り込む。
シアーは、呆然と何も言えないで【孤独】をその場にこれも力なく落とす。

全員が、ただ無力感と絶望に打ちのめされ、場を重い沈黙が支配する。
不意に、それまで感じていたマナの波が変わる。
誰彼もが、漠然とした疑問に感覚を【再生】へと向けると。

「…え、ユート様!?」

シアーは、巨大な【再生】に【聖賢】を突き刺し無理やりしがみついている悠人を見とめた。

 -自己犠牲なんて、美しくなんかない。

悠人はさっきまで【秩序】が刺さっていた穴に【聖賢】を無理やりねじ込み、マナの流れを掴む。

 -だけど、諦めは決して覚悟じゃない。

【再生】の荒れ狂うマナの奔流に、【聖賢】を通じて手を伸ばして自分のマナを同調させていく。

 -何より、あんなに一生懸命頑張って報われないなんて、理不尽以外の何物でもないじゃないか。

テムオリンがやっていたのとは逆に、自分を媒介にして【再生】のマナを外界に逃がす。

 -クェド・ギン…俺は決してあの時のあんたを受け入れるつもりは無いけど…今なら気持ちがわかる。

【再生】から自分に流れ込んでくるマナを利用して、より広い不可視の異世界の門を開く。

 -だけど、あんたは自分から孤独に閉じこもってたよな。だから、やっぱり間違っていたんだよ。

悠人は更に【再生】のマナ性質を利用して、【聖賢】ごと自分を構成する情報を強引に書き換える。

 -俺は、どうせならこういう背負い方を選ぶよ…ま、何処が違うと突っ込まれても困るけどさ。

【聖賢】をいわばストローかパイプに、自分自身をエーテル変換施設に、とイメージする。
開かれた、それはまさしくエターナルの門へと【再生】の危険なまでに過剰なマナが吸い込まれる。
エターナルへ吸い込まれていく【再生】のマナの流れの速さが増していくごとに、【聖賢】にヒビが走る。

悠人自身の両手両足顔面全身にヒビが走る。

【聖賢】ごと悠人の全身から金色のマナの霧が散り始めるも、悠人は決してその行いを止めない。
あらかじめ展開していた障壁を、誰かが扉を激しくノックするかのように叩いているのを感じる。
障壁を展開させるのに回すマナ量を、意識して更に増やす。
誰かが、泣いているのを感じた。誰かが、泣き叫んでいるのを感じた。

 -ごめんな、シアー…。

すでにヒビだらけの悠人の頬を、涙が伝った。

【再生】のマナを逃がしている間も、【再生】のマナの膨れ上がりは止まる事はない。
むしろ残酷なまでに、膨れ上がる速度はどんどんまさしく爆発的に増していく。
それを追うかのように、悠人が【再生】のマナを逃がす速度もどんどん増していく。
しかし、速度が増す毎に【聖賢】よりも悠人の全身をどんどんヒビが走り、はがれて落ちてゆく。

 -そういやバカ剣が言ってたな、無償の奇跡は存在しないって…本当にその通りだな。

どのくらい、時間がたったのだろうか。
文字通り考える事をやめて、ただ自分自身をマナ放出装置と化す事にだけ意識を集中していた。
【再生】から流れ込むマナが、いつのまにか先ほどまでの荒れ狂う激しさを静めていたのに気づく。
ゆっくり、自ら閉ざしていた視覚を本来の状態に戻すと、【再生】は実に穏やかな姿になっている。

「ユート様?」

不意に意識に直接響いてきたシアーの声に、右隣りを振り向くとやや離れたそこにシアーがいた。
シアーは、【星光】に納めた【孤独】を悠人がそうしているのと同じように強引に【再生】に突き刺していた。
シアーの背中から展開されている六枚のウィングハイロゥから、【再生】のマナが門へと放出されている。

「我慢できなくて…まねっこしちゃった」

少しだけ悪戯っぽく笑って、ぺろりと可愛い舌を出す。

「…バカ」

悠人のそんな声に、シアーは柔らかく優しく微笑むだけ。

「馬鹿はいったい誰ですか」

また不意に聞こえてきた声にギョッとして振り向くと、そこにも全く同じ事をしている者たちが。
声の主は、エスペリア。ネリーがギロリと睨む。時深がこめかみに青筋浮かべて微笑む。瞬は無表情。

「ちゃんと謝れば、あとでお尻を百回叩くだけで許してさしあげます」

そんなエスペリアの言葉に、悠人は不覚にも泣きたくなった。

突如、【再生】の全体に亀裂が走る。
ぱぁん、と軽い音と共に【再生】は力なく、本当に力なく、弾けて散った。

それと同時に、支えを失って【聖賢】ごと真下へ落下していく。

落下していくと同時に、【聖賢】を握っていた両手が音も無く砕け散る。
先ほどにもまして、全身がヒビから砕けてぱらぱらと落ちて散っていく。
落ちてゆく悠人を、ウィングハイロゥを展開して飛翔するシアーがそっと抱きとめる。
ひとつ羽ばたき、ふたつ羽ばたき、ゆっくりと二人で落ちてゆく。

だけれども、悠人が砕け散っていくのだけは決して止まらないままで。

ふわり、ととても優しく着地したシアーの腕の中で、悠人は未だ砕け散り続ける。

「…ユート様」

哀しそうなシアーに、悠人はただ微笑む。
やがて、全員が側に駆け寄って悠人の顔をみんなして覗き込む。
悠人は、何か言いたげでもどかしそうで哀しそうな皆の顔を一人一人確かめて、あくまで微笑んで。

シアーの腕の中であまりに乾いた音と共に、高嶺悠人は、それは気高き黄金色に砕け散った。

シアーの腕の中からこぼれるように、黄金色のマナの霧が霧散していく。
がくり、とその場にシアーが悠人を抱きかかえていた格好のまま両膝をつく。
誰も、何も言えない。押し殺した嗚咽と、すすり泣きが聞こえる。

「…こんなの、ないよ」

シアーがこぼれるように呟く。

「こんなのって、ないよ」

シアーの両目から、大粒の涙がぽたぽたと落ちていく。

「いや…いや、こんなの絶対にいやあぁぁぁぁっ!
 ユート様、ユート様あぁぁぁぁーっ!
 ひどいよ、ひどすぎるよ…あんまりだよ…返してよ、ユート様を返してよ…
 シアーの、大事で大好きなユート様を返してえぇぇぇぇーっ!」

シアーの慟哭が、迷宮の冷たい壁と床と無限の空間に虚しく響く。
その時、不意に久しく感じていなかったマナの波動を感じる。

顔を上げた眼前に、今までになく蒼白いマナに満ちて輝く【求め】がいつのまにか現出していた。

 -…こうなると、思っておった。
 -思っておったが、今までの状態では何をすることも出来なかった。
 -そこで一計を案じ、ギリギリまで我が意思を眠らせておいて正解だった。
 -契約者よ待っておれ、今こそ汝の…真の求めに答えようぞ…!

シアーの前に、先ほどの黄金色のマナの霧が集まってゆく。
それは、ゆっくりと、しかし確実に、だんだんと人の形をとってゆく。
ほぼ元の通りにマナが形成されていく毎に、シアーの顔に喜びが満ちていく。

シア-の腕の中に、悠人がいた。

かくして、実に荒唐無稽な理由と方法で、高嶺悠人は蘇った。
穏やかに、寝息をたてる悠人を嬉しそうに嗚咽をもらして泣きながら抱きしめるシアー。

「んー、なんだか、柔らかくて暖かいな…って、あれ?」

目を覚まして、驚いた表情で周りを見渡して起き上がる悠人。

「つーか、バカ剣?」

 -あのようにマナが枯渇してさえいなければ、もともと我はこのような事も不可能ではないのだ。

ふん、と相変わらずふてぶてしく偉そうな【求め】に悠人は、ははは…と乾いた笑いしか返せない。

 -ついでに、汝の恋の悩みというか障害も取り払っておいてやったぞ。

その言葉に、頭の上に疑問符が浮かぶ。
言われてみれば、何だか身体に違和感を感じないでもない。
今までで一番嬉しそうなシアーの笑顔に照れながら、シアーの腕からゆっくり立ち上がる。

服…が無いのは、まあ仕方が無いとして。
ぺたぺたと、所在なさげに片手で前を隠しながら自分の身体を触って確かめてみる。
しかし、特にこれといって今までと変わっているようには感じられない。
うーむ、と首をかしげながら、不意にシアーと目が合う。

そこで気がつく、確かにシアーと同じ位置に立っているのにシアーと目線が全く同じ事に。

「…エスペリア、つかない事を聞くが…今の俺は一体何歳くらいに見える?」

周囲からクスクス笑いとひそひそと何やら面白そうに話しているのが聞こえるのに肩を震わせながら聞く。

「はい、ユート様。…そうですね、ちょうど人間の通う学校の中等部に通っているくらいの年齢でしょうか」

物凄く上機嫌なのがよく伝わる声で、はっきりとエスペリアは真実をありのままに伝えた。

 -良かったな、ロリ契。

「そこに直りやがれ、バカ剣。良いから、そこに直れッ!【聖賢】、【聖賢】は何処だあぁぁぁぁっ!」