相生

It's raining hard

喩えるならば、龍の咆哮。
大地を震わし轟く地響きは、法皇の壁を挟んで向かい合った両軍から発せられる生死とプライドを賭けての狼煙。
人は守るべき家族を想い、自ら猛る武勇を誇り。スピリットは護るべきカゾクを慕い、その為にこそ自らの剣を振るう。
ただ一様に思うのは ―――― いつになれば終わるのだろうか ―――― その馬鹿馬鹿しくも真摯な問いかけ。
西方に聳えるエト山脈。そこに眠る魔龍シージスの魂。彼(か)の呪いなのではないかと気弱な兵士は呟く。
だが24年前から、その問いに答えられる者はこの大地のどこにも存在しない。
ただ一人、ソーンリームの奥地で目を光らせている監視者のみを除いては。

昨朝の濃霧が呼び寄せたのか、ケムセラウト上空は暗雲が垂れ込め、雨が降り続いている。
時折激しくなる雨粒は土を容赦なく穿ち、跳ねさせ、たとえ気をつけていたとしても足元をたちまち泥だらけにしてしまう。
これから正に決戦の場である法皇の壁へと赴くにしては、部隊の背中に凄愴感が漂ってしまうのは、この天候のせいでもあるのだろうか。
街の城壁を出立するスピリット隊を見送りながら、柄にも無い、そうヨーティアは吐き捨て、傍らのイオへと話しかける。
「なぁイオ、本当にこれで良かったと思うか? あたしは何か、大きな間違いを犯そうとはしていないだろうか?」
「珍しいですね、ヨーティア様がそれほどまでに気弱な態度を取られるとは」
「いやぁ、そんな殊勝なもんじゃないよ。ただ科学者たるもの、常にまず自らを疑えってね。だが今回は……いや、今回も、失敗は許されないんだ」
「……例の仮説、ですか」
「そうだ。もしそれが正しければ、この戦いの後には必ず“ヤツら”が現れる。間違いなく、この世界に対しての厄災として。それも、そう遠くない未来に」
「……」
イオは、珍しく多弁な主を好意的なまなざしで見守っている。
まるで預言者のような佇まいを纏い、鋭い光芒を宿し、どこか虚空を眺めるようにして語る横顔は、いつ見ても凛々しい。

「この戦争で消耗しきってしまっては、ヤツらの思う壺だ。国力が落ちた所を狙って併呑する。戦略の基本さ。もっともあたしは軍政屋じゃないが」
「ですが、政略の面からもその御指摘は正しいかと。次代を担うべき彼女達を“保護”するのはその為でもありますし」
「ああ。訓練士に言わせりゃ戦場で鍛えさせるべきらしいがね。馬鹿な話さ、未熟な精神で戦えば神剣に支配されるだけだというのがまだ判らないらしい」
「しかし流石にレスティーナ女王は聡明でした」
「当然だ、そうでなければあたしはラキオスの招聘に応じてはいない。だがこの聖断で、現に部隊の戦力は大幅に削られている。問題はそこだ」
「不安、ですか? 戦いに敗れることも、可能性として或いは……」
「あるだろうな。だけどなイオ、ここだけの話だが、あたしはあのボンクラを信じている。根拠は非科学的だが……可笑しいか?」
「ふふ……いえ。ヨーティア様らしいと思います」
目を細め、楽しそうに囁くイオに、ヨーティアはそうか、と呟き泥だらけになった白衣の裾へと視線を移す。この先は、イオにもまだ話してはいない。
それは戦慄すべき仮説。もしもこの戦いの終幕までも、織り上げられたシナリオ通りの展開ならば。
クェドギンが生前主張していた、操られている世界の運命。その"物語り"から人が依然外れていないのならば。
少なくともこの局地戦での結末は、当然ラキオスの勝利、と書かれていることだろう。例えあの胡散臭い妖精趣味の男が阻害しようとも。
四神剣の伝説は、後世への重大な警告となっている。『求め』と『誓い』が相食み合わなければ、綴る意味は無いのだから。

「結局は掌の上、ということか」
「え? 何か仰いましたか?」
「ああいや、なんでもない。あたしはな、イオ。誰にも死んで貰いたくないだけさ。まぁ今更"人"であるあたしが言えた義理でもないんだがね」
「……ヨーティア様、これ以上濡れては風邪を引きます」
雨はますます激しく、地面を叩きつけつつある。
それがまるで今から始まる滑稽劇の幕開けを皮肉る天の啓示のようにも思え、ヨーティアは重い溜息をついた。
どうも感傷的になっていけないな、と気を取り直し、首を振る。
「……すまないな、イオ。あたしはまた、お前に辛い役目を命じなければならない」
「……どうか、お気になさらず。それがヨーティア様の御命令とあれば」
イオは、携えていた『理想』を心持ち斜めに翳しながら頷く。
イオ・ホワイトスピリット。
その特徴でもあるプラチナの髪の下、レッドスピリットよりも尚赫く輝く双眸に白銀のマナを漲らせつつ。