相生

Bidens atrosanguineus Ⅶ

数刻前、ヘリオンは、法皇の壁へと出撃する仲間達を街の城壁まで見送っている。
隊長を筆頭にマロリガンから参戦したコウイン、キョウコのエトランジェ3人、ラキオスの蒼い牙と恐れられるアセリア、
元サーギオス妖精部隊の隊長にして漆黒の翼の異名を馳せるウルカ、元マロリガン稲妻部隊屈指の使い手クォーリン。
それにエスペリアが率いるラキオスの精鋭達が揃っている。おおよそこの大陸で考え得る最強の部隊編成かもしれなかった。
それらが一気に法皇の壁へと押し出していく。
その荘厳さにヘリオンは身震いする程の、一種異様な感動を覚え、『失望』を握る手が微かに震えてしまっている。
畏怖、という表現がこの場合には当てはまるのだろうが、今の彼女には理由も判らず、勿論震えを抑えようという発想も無くただ呆然と佇む。
「……ヘリオン殿、後は頼みます」
ぽん、と軽く肩を叩かれ、我に返る。
顔を上げると、雨で燻ぶる景色の中、澄んだ微笑を浮かべているのは濡れた銀色の髪をやや無造作に掻きあげているウルカ。
日差しがないせいか、ふとその表情にどこか透き通ったような儚いものを感じ、何か言わなくては、とヘリオンは焦る。
「あ、あのあの、ウルカさん」
「必要なのは、強さではありません。強さを求めようとする、その意味を剣に聞くのです」
「え、聞く?……剣に」
「はい。ヘリオン殿なら、恐らくはすぐにでも。ですから申し上げました。後は頼む、と」
「ふぇ……ぁ、」
実のところヘリオンは、禅問答のようなその問いかけの十分の一も理解出来てはいない。
しかし激しい雨音にも掻き消されず、はっきりと強い意志が秘められたその響きだけはすんなりと耳に飛び込んでくる。

「は……はいっ!」
訴えるような、それでいて穏やかな瞳に見つめられ、激しく頷いていた。
確認したウルカは一度慈しむように目を細め、そして後は何も言わず、立ち去っていく。
「……ねぇ『失望』、わたし、ウルカさんみたいに強くなれるのかなぁ」
じっと黒鞘に納まっている自分の分身へと訊ねてみる。しかし雨粒が跳ねるだけで、剣の声などは全く聞こえない。
空を見上げると、分厚い灰色の雲だけが見える不透明な景色。痛いほどの雨が頬に当たる。濡れた髪が重たい。
「……帰ろっか」
先ほどの興奮は、いつのまにか身体の芯まで沁み込んできそうな寒気にすっかり流されてしまっている。

帰り道は、長かった。
海の中をずっと潜っているような錯覚に囚われそうになった所でようやく宿舎が見えてきて、ヘリオンはほっと息をつく。
それは、ぱしゃっと泥を跳ねて転びそうになり、わたわたとバランスを取った拍子だった。何かを訴えかけるような闇のマナの波動。
「……『失望』?」
ざわっ、と背中を走る悪寒。何か今見過ごせば、この先ずっと後悔してしまうような予感。
ヘリオンは黙って瞳を閉じ、じっと心の奥を空っぽにしようと試みる。すると今度は微かに感じられる、確かな"震え"。
「……ネリー!」
来た道を、再び駆け出す。ウイングハイロゥを開くことも忘れて。