相生

Delphinium chinensis Ⅷ

真っ直ぐにネリーを追い、森を貫くように駆け抜けていたシアーは、唐突に開けた場所へと出た。
「誰? ……敵?」
そしてそこに、一人の少女が立っている。戦闘服はぼろぼろに切り裂かれ、足元からは細かく金色のマナが立ち込めている景色の中。
なのにそれでも天を仰ぎ、笑っている。それは例えば、雨に濡れているのを楽しんでいるかのよう。
周囲に満ちる水のマナが、緩やかな気流に乗って彼女の神剣に吸い込まれていくのをシアーは何故か幻想的な光景のように眺めてしまう。
少女、グリーンスピリットが何も映し出してはいない漆黒の瞳でゆっくりとこちらを向くまで。

「……見つけた」
「!」
途端、ぼっ、と火のついたような威圧感。『孤独』がびりびりと震えだす。シアーは口を開こうとする。抗神剣魔法を唱えるつもりで。
「ハヴッ~~ッッッ!!」
何が起きたのか、判らない。グリーンスピリットの姿が一瞬揺らいだ、と知覚したときには吹き飛ばされてしまっている。
顎を仰け反らせ、その反動で身体が折り曲がる。驚くべき事に、その間にも迫ってきている、敵の顔。速度に差がありすぎる。
どん、と背中に走る衝撃。そしてそこで、初めてシアーは理解する。腹部が、敵の神剣によって貫かれているという現状を。
「く、あ、あああぁアアァ!!」
一本の大木に磔にされてしまったシアーには、抵抗らしい抵抗が出来ない。ただ、地面に決して届かない肢だけをばたばたと暴れさせる。
ウイングハイロゥが一枚一枚ばらばらの羽となって舞い、消滅していく。そして風に流されていくその光景も、涙でぼやけていく。
シアー自身の自重を伴い、神剣はじりじりと肉を切り裂きながら心臓へと迫り、その刀身へとシアーのマナを吸収しては輝く。
「ああっ! あ、あああっ!」
ぴくぴくと痙攣する全身。『孤独』を握っている掌から、徐々に力が失われていく。痛みを、感じる事が出来ない。
「ネ、ネ、リぃ……」
かはっと吐き出した血が霧になり、降り注ぐ雨に混じる。ああ、死ぬんだ、そんな考えがぼんやりと頭に浮かぶ。
追いかけ続けた、華奢で無邪気な後姿。見慣れたポニーテールが風に流れ、振り向くのは、"静寂"に満ちた歪んだ"黒翼"。

 ―――― 死ね、ない

「死、ね、な、い……シアー、は、まだ……死ねないの!」
「ッッ?!」
ぐっと持ち上げた右手には、まだ僅かながら力が残っている。シアーは震えながら『孤独』を上段へと持ち上げる。
その先で巨大な刃が白く眩しく光を放ち、水滴に反射したグリーンスピリットの驚愕する表情を映し出した。
「うああああああっ!!」
深い心の奥底で。共鳴していた『孤独』の叫びが咆哮となり、そして一気に振り下ろされる。遅れて発生する青白いマナ衝撃波。
鎚のように深々と打ち込まれたそれはシアーを中心に全方向へと時差も無く解放され、威力を遠慮なく迸らせ、地面を削り大気を裂いていく。
寸前で剣を引き抜き飛び跳ねたグリーンスピリットが常に纏うシールドハイロゥに亀裂を走らせ、次の瞬間には粉砕させる。
「ガッアッアアアッ!!」
少女は両腕で顔を庇いながら、さっと身を翻す。ここにいてはいけない、そんな闘争本能が脚を突き動かせる。
そしてその予感は正しかった。襲い掛かるのは、鋭く研ぎ澄まされた閃光のようなマナの緑刃。
つい先程まいたと思っていた例の皮色のライトアーマーを鎧った緑の髪の少女の放つライトニングストライク。
彼女が持つ神剣の鈎爪のように湾曲した部分がすれ違いざま、深く脇腹の脂質と筋繊維を抉り取っていったのだから。

「シアー!」
クォーリンは、眼前の敵よりも瀕死の"友人"を迷わず選んだ。駆け寄り、まだ息があることを確認する。
周囲は、一切が黒く焦げ付いている。蒸発し、空気さえも失われつつあった空間に大気が戻ろうとして、風を結ぶ。
衝撃の勢いからか、放りだされている『孤独』。地面に垂直に突き刺さっているそれからは、未だに噴き出すようなマナが感じられる。
剣から迸る迫力に、クォーリンは躊躇った。まさかこの少女に、これほどの潜在能力が秘められていたとは。
指向性はともかく、破壊力は桁違いで、例えば自分のデボテッドブロックでも上手く完全に防げるかどうか。
「ク、クォーリン?……シアーね、シアー……」
「喋らないで! 喋っちゃだめっ!」
「判ったの……強く、それは……」
躊躇している暇はない。慌てて『孤独』を瀕死のシアーに握らせる。
対象の治癒能力を活性化させる神剣魔法は、所有する神剣と本人が触れていなければ意味を成さない。
「自分も、大事にしなきゃ……いけ、ないんだ、よ。守る……ために。力……ね、『孤独』……」
「お願いだから……喋らないでぇ。木漏れ日の光、大地の力よ――――」
クォーリンは、無我夢中でやや舌足らずになってしまった大地の祈りを唱え始める。
涙を流していた。心の、声が聞こえる。聞こえてくる。どうか、助けて。剣を通じて伝わる、心の共振。
あれほど求めて已まなかったウルカからの問いかけ。見つけたのは、確かに彼女自身の"心"が導き出した祈り。