相生

Lemma Ⅸ

先を急いでいたオルファリルは、急に立ち止まったイオに気づかず森の奥へと駆けていった。
その背中を見送り、別の方角へと、イオは駆け出す。
壁の方から察知した二度目の爆発が、『理想』を通じて彼女に再びの任務を与えていた。
すぐに聳え立つ石壁が開け、その前へと向かい、複数のスピリット達が集まってきている。全て、敵だった。
「上、ですね。ここで逃がすのは、ヨーティア様の本意ではありません……ハアァァッ!」
敵は全員、一目散にある一点を目がけ、駆けつけようとしている。到達が、最終目的であるかのように。
操られている瞳には、感情という色が無い。イオはその全てに焦点を合わせ、光輪を変形させ、"全ての色"を開放する。
緑には、赤。赤には、青。青には、黒。黒には、緑。それぞれの属性を操り、負荷に耐え、唇を噛み締める。
「マナよ、我に従え!」
短く区切った詠唱は『理想』から迸り次々と群がってくる少女達を薙ぎ倒していく。そしてその度に、彼女に掛かった制限が身を蝕む。
頭の中がぎりぎりと細い縄で締め付けられていく感覚。駆ける足が覚束無くなっている。一瞬が、数刻にも思えた。
「――――どきなさいっ!」
血みどろになって襲い掛かるレッドスピリットは『理想』の抉りで打ち払い、
瞬時に身を屈めて頭上を掠めるブラックスピリットの刃はシールドハイロゥで避わす。
追い越し、ウイングハイロゥを広げようとするブルースピリットをテラーで打ち落とす。
その間にも仲間をフォローしようとするグリーンスピリットの眉間はファイヤーボールが焼き尽くしている。

「はぁっ、はあっ……ここっ!」
戦いの中、唯一冷静を保っていた理性が悲鳴を上げている。それでもイオは走り続け、最後の敵を倒した所で膝を付く。
壁までは、数メートル。この地点で間違いは無い。白いローブが泥に塗れ、荒い呼吸が力を奪い去っていく。
限定された力で属性を放出した代償で、余力は殆ど残されてはいない。もう、顔を上げる事も叶わなかった。
無理をして突破したせいか、僅かな時間で身体中では様々な裂傷や火傷が血をマナに変え、皮膚を赤く爛れさせている。
そもそも"現役"である彼女達に対し対抗し得たのは短期決戦だったからで、人間に毛の生えたような程度の持久力はとうに払底し尽くしていた。
だが、まだ、これ位の事は出来る。震える腕で『理想』を地面に打ちつけ、刃を空に向け、両手でがっしりと固定する位の事は。
「っっっ!」
そして、耐えた。直後、落下してきたソーマの身体を『理想』が貫く衝撃に。

どん、という鈍い音。

「……ハァー?! ァ、アァァッ?!」
頭上から響く、断末魔。加速度の加わった重量に、びりびりと震える刀身。
そのすぐ傍で、有り得ないものを見たかのような獣染みた形相の隻眼。ずぶずぶと未だ沈みつつある肉塊。
イオは俯いたままプラチナブロンドの髪を揺らし、ぜいぜいと息を切らせ、小さく一言だけ囁く。
するとまだ生きていたのか、口から細かく淡い血を吐いていたソーマ・ル・ソーマは微かながらにも反応を示す。
「な、に?」
「――――任務、完了、と言ったのです」
「……! お、まえ、」
ばたばたと頭上から降る粘ついた血の雨が、髪や顔や全身を隈なく朱へと染め上げていく。
イオは唇を噛み締め、その陵辱を必死で受けた。ともすれば蘇ってしまいそうな恐るべき過去にしっかりと封印を施そうとするかのように。
ややあって、自分に止めを刺した相手の正体をようやく悟ったソーマは口元を泡立てながら、最後の台詞を放つ。
「あ、あれ程の仕打ち、に会い、ながら……に、にく、憎しみも、も、持たない、とは……ヒャ、ハハ、す、素晴らしい!」
片目だけの瞳に憎悪を剥き出し、空を掻き毟る。その度に『理想』が揺れ、しがみつくような格好のイオの額からはじわりと汗が滲み出す。
「本当に、カハッ、素晴ら、しい! 愚かで……そして、最、高、傑作、で、すよ、……貴女は」
びくり、と大きく全身を痙攣させ、そして永久に光が失われる左眼。
気配が完全に事切れている事を確認し、イオはようやく腕の力を解放し、その場にどさりと横たわる。
「は、あ、熱い……"帰ったら"、お許しを頂かないと……」
雨は止み、雲の切れ間からは陽光も差し込んできている。