相生

Delphinium×belladonna Ⅸ

深い眠りにつこうとして、揺り動かされる。
明晰と、混濁の狭間。その両端に向け、行ったり来たりを繰り返す。
空間と呼べるようなものはどこにもない"空間"。漂いながら、ネリーの意識は呼び止められる。言語ではない、純粋な別の意識に。

≪マナより生まれ出ずる存在≫
「……ネリーのこと?」
≪守りたい、それが衝動≫
「……そうだよ、そうじゃないと、泣いちゃうもん」
≪喜ばせたい≫
「もっちろん! 笑ってくれた方が、ネリーも楽しいに決まってるじゃん」
≪悲しませるのが、辛い≫
「あ、でも最近さ。いっつも寂しそうにネリーを見てるんだ……どうしてなのかなぁ」
≪マナより生まれ出ずる存在が喜ぶべき自由≫
「? それって?」
≪マナを、得る≫
「う~ん……そうなのかなぁ」
≪得る為には≫
「敵さんを、倒す?」
≪答えは自ずから≫
「そっか……そうだよね。それならシアーも守れるし」

猛烈な黒に覆われつつある『静寂』とネリーを前に、アセリアは脂汗を流していた。
合わせた『存在』を介入して同期を得ようとどんなに歯を食いしばっても、拒絶されてしまってそれ以上"進めない"。
このまま時間だけが空しく過ぎ去ればネリーがどうなってしまうかは、あまりにも自明すぎて想像するのも恐ろしい。
平時は滅多に変わる事の無い表情に、珍しく焦りの色が浮かんでいる。
「くっ、うっ」
「……アセリア?」
「アセリア……大丈夫だよ、ね?」
「んっ……難しい」
シアーの治療が終わり、二人が駆け寄ってくる。
だが、振り返る余裕も無い。アセリアは、そのハイロゥリングを精一杯に輝かせながら懸命に精神を集中させていた。
しかし皮肉な事に『静寂』の黒はより一層光を飲み込みつつあり、その対称が芳しくない状況を如実に物語ってくる。
目を閉じたまま横たわっているネリーの髪が次第に黒ずんでいくのを見つけたシアーが小さくひっと悲鳴を上げた。
そっと隣から覗きこんだクォーリンも小さく息を飲み、瞳の色を深刻なものに変える。
シアーは『孤独』を脇に抱えたまましゃがみ込み、そっとネリーの頬に触れる。桜色の肌がじっとりと汗ばみ、震えていた。
「ねぇ、ねぇ! どうしたの?! ネリー、起きてよぉ!」
「これは……共振が。このままでは……シアー?」
「ふぇ?――――ぁ」
半狂乱で泣き叫ぶシアーの肩をそっと叩いたクォーリンが示していたのは、自らの神剣。
「――――うんっ!」
唇をぎゅっと噤んだシアーは大きく頷き、『孤独』を手に取り答える。
そうして神剣を軽く打ち合わせた二人は、そのままゆっくりと『静寂』へと近づいていく。
「ごめんなさい。私はきっと……手助けしか出来ないと思う」
ぎゅ。
「ううん、いいの。それだけで」
シアーはいつの間にか、初めて会った時のようにクォーリンの服の裾を握っている。震えている指まで同じに。
「それだけで……怖く、ないから。だから……シアー、強く、なれるの」
「……いってらっしゃい」
「……うん!」
『孤独』の刃の中程が『静寂』と交わりかちりという軽い音が響く。
そしてそれを最後に、シアーの意識は水と大地のマナによって広く深い"空間"へと送り出されていた。
448 名前: 相生 Delphinium×belladonna Ⅸ [sage] 投稿日: 2007/07/01(日) 13:18:45 ID:e7KIsU2O0

≪守る為の力≫
「欲しい……かなぁ」
≪より強い力≫
「あのさ、強くなったら……シアーをもっと守れる? もう、泣かさないで済む?」
≪委ねる≫
「へ?」
≪我に、心身を委ねる≫
「そうなの? でもそれじゃ、ネリーは?」
≪答えは自ずから≫
「……それで、シアーは笑っていられるんだね?」
≪もとよりマナより生まれ出ずる存在≫
「……っ、……っ、……わかっ」
「――――駄目ぇっ!!!」
「……シアー?!」
「駄目だよぅ、ネリー、負けちゃ、駄目だよぅ!」
「ちょ、なんでここに? なに言ってるのかわかんないよ」
「ネリー、忘れてる。今、何をしようとしたの?」
「何って『静寂』にもっと頑張って貰って……ぁ」
「……思い出した?」
「ぁ、ぁはは……そっか、そうだよね。そっか、駄目じゃん」
「うん……そんなの違うよ。強くないよ」
「う~ん……ネリーがいなくなったら、シアー、泣いてくれる?」
「ッッ! 駄目だよぅっ!!」
「あははっ、やっぱそっかぁ。……うん。じゃあさ、シアー、手伝って?」
「……辛い、よ?」
「うん、頑張ってみる。シアーとずっと笑っていたいから」
「ネリー……いく、ね?」
「うん、お願い……ふくっ!? ア、アアアアァァァ――――」

「……落ち着いた」
「……もう、大丈夫ですね」
お互いの額に浮かぶ汗を見つめ合いながら、アセリアとクォーリンは呟く。
辺りには4本の神剣から迸ったマナの余韻が粒子となって立ち込め、息苦しさの替わりに細胞の隅々までもを活性化させていた。
先ほどまで細かく痙攣を起こしていたネリーの身体は今は落ち着き、穏やかな呼吸を繰り返している。
散らばってはいるが、髪も寄り添うシアーとお揃いの、鮮やかなサファイアへと戻っていた。
やがて同じ色の睫が同時に震え、2人はゆっくりと瞳を開く。目覚めるタイミングまでもが一緒だった。
「んぁ……ふああ」
「あむ……ヤシュウゥ……」
「起きた」
「ふふ、ヤシュウゥ、シアー」
「あれ? アセリア。それにクォーリンも?……そっか、ネリー」
「ん。ネリー、よく頑張った。偉い」
「あ、はは……えへへぇ」
いきなり褒められ、頭まで撫でられ、ネリーは照れた。その隣では、シアーがじっと黙ったまま様子を窺っている。
起き上がり、『静寂』を掴もうとして視線に気づいたネリーはそっと手を差し伸べる。まだ少し、震えていた。
「……うん。もう大丈夫。みんな、ごめんね。ネリー、もう負けないから」
「良かった……良かったよぉ……」
「わっ、わっ、と、ちょ、シアー?」
裾を握り締め、それから抱きついてきたシアーを慌てて受け止めるネリーの片手で、『静寂』が柔らかく輝いている。

「……クォーリン」
「そうですね、行って下さい」
二人の様子を相変わらずのぼーっとした表情で見つめていたアセリアが、突然ぴくりと反応を示す。
門の方角を睨み『存在』を構えなおすその態度に、同じように気配を探っていたクォーリンも同意を示して頷く。
「彼女達は私が。急がないと、正門の方が危険です」
「ん……頼む」
言うや否や、アセリアは壁廊を西へと飛び去っていた。後には白い羽だけが舞い残される。

「ネリー、少し良いですか?」
「ふぇ、なに?」
これまでの経緯を簡単に説明されながらシアーから貰った予備の結い紐で後ろ髪を縛り付けていたネリーは、
癒しの詠唱を施された後、クォーリンに訊ねられている。彼女は緑色の前髪を指で弄りつつ、どこか少し躊躇いがちに囁いていた。
「正直に言いますと、今はこれ以上貴女達を戦わせたくはありません。ですが、その」
「……? ネリー、もう大丈夫だよ? ね、シアー?」
「う、うん……『静寂』の気配、もうおっきくないの」
「あ、えと、心配はしていないのですけど。いえ、心配は心配なのですけれど、そうじゃなくてですね。ええと……ウイング、ハイロゥ」
「ハ?」
「……?」
ネリーとシアーは顔を見合わせ、そして再びクォーリンを見上げる。
すると何故か彼女の顔は茹蛸のように赤くなっており、しずしずと伸ばされた細い指が遠慮がちに二人の翼を指していた。
「あったりまえじゃん。どしたの、今更」
「う、うん……クォーリン?」
「えっとですから……わたし、飛べないんです」
「え?」
「実は今、丁度この下でナナルゥが頑張っているというか、私が置き去りにしてきたせいなのですけど元はといえばシアーを助ける為にやむを得ず」
「……良く判んないけど、急いで飛び降りて助けないといけないんだよね」
「あ、はい! その通りです!」
「でもクォーリン、飛べないの」
「はうっ」
「はは、変なの~。そんなの恥ずかしがらなくてもいいのに」
「いいのに~」
「だ、だってそんなの子供に頼むなんて恥ずかし……ぇ」
「行っくよー!」
「ちゃんと、つかまってるの」
「あ、そ、そんな急に、きゃあぁぁぁっ」

問答無用で両脇を掴んだネリーとシアーがウイングハイロゥを大きく開き、そして数秒後、3人は降り立つ。
丁度複数の妖精部隊に肉薄され、そのうちの1人の斬撃を『消沈』で受け止めようとしたナナルゥのすぐ隣へと。
「はああっ」
「てりゃああっ」
「いやあぁぁっ」
地上に着地した3人は同時に敵を切り伏せ、そしてナナルゥを守るように取り囲む。これが本来のレッドを擁したスピリットの戦法。
そして当のナナルゥといえば、突然の味方の支援にも驚きを微塵も見せず、ただじっとネリーの後ろ髪を凝視している。
「なに? ナナルゥ。びっくりしたぁ?」
「貴女は、ネリーですね」
「……ハイ?」
再び訪れる、戦場には相応しくない気まずい空気。
一度小さく頷いたナナルゥの表情には、何故か納得したような清々しさが見て取れる。