相生

Bidens atrosanguineus Ⅸ

気を失っていたヘリオンは、頬を叩かれる感触に薄っすらと瞼を開いている。
耳元では、いやに間延びのする聞き覚えのある声が囁かれ続けていた。
「ヘリオンさぁん、起きて下さいなぁ~。起きないと、あぶないですよぉ~」
「ぅ、あ? ハリオン……さん?」
目覚めると、緑色の光。癒しのハイロゥ。心地良さに、目を細める。すると、ゆらゆらと歪んだハリオンの顔が覗き込んでいた。
「ふぁぁ~。ニャヒュゥゥございまふぅ……」
「あらあらぁ、知りませんからぁ」
「ヤシュウゥじゃないわよ」
「あゔっ!」
セリアの肘がまともに後頭部へと突き刺さる。

「あたたた……あれ? セリアさん。私……あっ!」
「ようやく目が覚めたようね」
目から火花が飛び散る程痛い。しかしそのお陰で意識ははっきりとしてきた。
肩の痛みが引いている。見ると、ほっとしたような顔のハリオンとセリアが並んで転がっていた。
「……転がって? なんでそんな所で寝てるんですか?」
「……寝起きの所悪いけど、冗談に付き合っている暇はないの。寝てる訳じゃないわよ」
「私もぉ、セリアさんもぉ、敵に吹っ飛ばされてしまったんですよぉ~」
「吹っ飛ばっっ……こほん、悔しいけど、間違ってはいないわね。私は丁度良いクッションがあったけれど」
そう不貞腐れるセリアの肘は、未だにヘリオンの後頭部の上に乗っかったままである。
「治癒魔法の使いすぎで、もう疲れちゃいましたぁ~」
「はへ?……あ! そうですっ!」
がばっと立ち上がり、もう一度見渡す。目の前には焼けた一本道が広がり、その奥には小高い丘が拓けている。
『失望』に頼るまでもなく、敵の気配が明滅を繰り返していた。肘を下ろしたセリアが疲れたような口調で漏らす。
「仕方ないわね。どうしてここに来たのかは後でしっかり聞かせて貰うけど……後は、任せたわ」
「……は?」
「敵さんはあと少しですからぁ~。早く壁を陥とさないとぉ、ユート様達が大変ですぅ~」
「あ、は、はいっ! わかりました!」
状況はいまいち理解しきれていない。しかし、為すべき事は理解できた。
ヘリオンはぴょんと敬礼らしきものを見せ、セリアが飛ばされて来た焼け野原の上をウイングハイロゥで滑空していく。

見送ったセリアは心底嫌そうな顔でハリオンを見つめている。
「それにしても。当分貴女と二人きり、なんてね」
「いいじゃないですかぁ~。動けない者同士、仲良くお話でもしましょう~」
「……だから、何でそんな呑気な顔でいられるのよ、こんな切羽詰まった状況で」
「信じていますからぁ~」
「……」
「ん~?」
「……くす。そうね」
「はいぃ~」
スピリットは類い稀なる能力の持ち主とはいえ、その持久力には限界がある。
神剣魔法も斬撃も、マナが枯渇しては個体の維持すら覚束無い。そして、二人の存在必要マナは、もうぎりぎりの所まで来ていた。
エトランジェに救われ、ニムントールの支援によりある程度は回復したが、それまでのダメージの蓄積が
次々と現れる新手の敵に対して対処しきれなくなり、マナを惜しんだ防御の隙間を狙われ、今はこうして草叢の中、横たわっている。
そのお陰で偶然倒れているヘリオンと遭遇する事は出来たが、ハリオンがアースプライヤーを唱えた所が限界だった。
肝心な所で動けなくなり、こうして待つだけの身が歯痒く、そしてこんな時にまで泰然としているハリオンが頼もしいとセリアは思う。
前方から響く轟音や振動に身を任せ、そっと目を閉じた。『熱病』を握り締める手に冷たい汗を滲ませながら。

「おっ……っと、危ね。あー、こりゃやべぇな」
展開している精霊光の盾が、急速に縮んでいく。黄緑に輝くそれを恨めしく眺めながら、光陰は『因果』を脇に引き寄せた。
こちらは消耗し、相手は新鮮になる。とんでもない持久戦だった。敵は、残り少ない。しかし、こちらも体力が残り少ない。
ファーレーンとヒミカは一人の敵に手こずっている。相手も手負いだが、それ以上に彼女達の動きも緩慢だった。
「てやああぁぁぁ!」
ウルカはまだ気絶したまま。今日子は坂を縦横無尽に駆け回っているが、もう雷撃は放てない。
細身のレイピアのような形状の『空虚』ではマナを纏わずに敵に止めまで刺すのは難しく、自然防御が多くなる。
そして自分に向けても、今は四方からじりじりと敵が迫って来ている。体術を駆使しても、急場を凌げるかどうか。
今日子を助けに行きたくても、ここをまず突破しなければ話にもならない。
細かく計算すればするほど八方塞りとなりそうな展開に、光陰は舌打ちをする。
「ちぇっ。本来俺は、こういった役回りには向いていないんだけどなぁ」
「……文句、言わない」
とん、と背中を押す体温に、我に返る。そう、もう一人居た。傷だらけのくせに、変に強情を張る妹みたいな少女が。
光陰は、へへっと口元を緩ませる。すると、小さな頭は軽くこつん、と再び背中を押してくる。
「ニムが、守ってあげる。それとも、不満?」
「とんでもない、上等だ。ニムントールちゃんがいるなら百人力だぜ」
「ヒャク……? 良く判らないけど、ちゃんって言うな」
「まいったね。こんな所でへばってる場合じゃないってか?」
「ん~?」
「痛っ! 悪りい悪りい、ただ、ちょっとな」
少しでも会話を流すと背中合わせの姿勢からでもぐりぐりと『曙光』の柄を押し付けてくる。
判り易い感情表現に、何となく気分が解れてきたような気がして、光陰は笑う。
『因果』を握る手に力が戻る。まだ、動ける。身体に沁み付いた修練の成果も、ちゃんと足を肩幅と同じ自然体へと保っている。
「アイツの気持ちが判っただけさ。勝てなかった訳だ……行くぜっ!」
「あ、ちょっと。……思い切り、いく。悪く思わないで!」
同時に、最初に間合いに入ったブルースピリットへと、神剣を振るう。黄緑のオーラと緑のハイロゥが、少しだけ大きくなっていた。

「たああぁぁぁっ!」
混戦の中に飛び込んだヘリオンは、まずファーレーンとヒミカを翻弄しているブルースピリットを鞘ごと振りぬいた『失望』で気絶させ、
派手に土砂を撒き散らしながら急制動をかけ、反転して木の間を抜けると今日子が切り裂いたシールドハイロゥの隙間から、
突然のブラックスピリットの闖入に驚いたグリーンスピリットが繰り出してきた蹴りを避わしつつ、膝で顎をかち上げている。
「――――ヘリオン? どうしてここに?」
「話は後です! 神剣よ、我が求めに答えよ、彼の者に潜み、その力を抑えよ!」
反転しながらマインドブレイクを唱える。目の前に黒い球体が複数浮かび上がり、次の瞬間には無軌道に飛びまわり、
それぞれが光陰とニムントールを追い詰めていた残りの敵の神剣に吸い込まれ、マナを拡散させながら崩壊してゆく。
「おっ、助かる!」
「……やるじゃない」
唐突にマナを失い、肉弾戦を余儀なくされた敵は怯んだ隙に、『因果』の旋回によってあっという間に叩き伏せられていた。