「あー、帰ったらエスペリアのハーブでも飲みたいな」
蜜に群がる蟻のように巣から溢れ出て来る敵に、悠人は呆れながら軽口を叩く。
「ふふ、とっておきを淹れて差し上げます。疲れが取れる薬効の」
「うげっ。それってこの前のやたらと苦かったやつじゃないだろうな」
雨が上がり、視界は良くなった。
しかしそれは逆に、今までどれほどの敵が門前に伏せていたかをも明らかにしてしまっている。
どう見積もっても、想定の数倍。予想の甘さは常に事態が顕われてから、危機という形でその身を襲う。
「くすくす、どうでしょう。また、当てて下さいましね」
「ちぇ、またそうやって。俺をからかって楽しいか?」
アセリアが去ってから、既に数刻。
同じように背中合わせの体勢は保ってはいたが、二人とも服は焼き爛れ、全身は無数の裂傷と泥と土埃に塗れと、酷い格好である。
「ええ、とっても。お悔しいのでしたら、早くリクェムを食べられるようになって下さいな」
切り裂かれ、最早戦闘服としては役に立たなくなっているメイド服の隙間から見える火傷に手早く治癒魔法をかけながら、エスペリアが囁く。
長かったスカート部分は、動きの邪魔になるからといって自ら引き裂いてしまっていた。メイドキャップは弾かれ、どこに飛んだか判らない。
「いや、あんな苦いもの、食べなくたって生きていけるって」
所々血のこびりついた羽織りを肩の動きだけで脱ぎながら、悠人が言い訳を試みる。
爆煙と雨と泥でべたべたになってしまった髪をわしわしと掻き毟ると、砂に混じっていた金色のマナが手の中で消えていく。
「またそんな、オルファみたいな我儘を言って。いいですか、リクェムは」
「おっと待った、その話は"後"で聞くよ。……まだ、大丈夫か?」
「はい。たった今、約束を頂きましたから。必ずですよ、"後"でしっかり聞いて頂きますから、ね?」
「……ああ。もうちょっとだけ、頑張ってくれ。頼む」
悠人は、東の方角を睨む。森の奥、残り少なくなった敵の気配の中、弱々しく移動する味方の気配。
立ち聳える法皇の壁を望む。雲が晴れ、合間から差し込む陽光。そして、その中に感じた。力強く輝く7色を。
「勝たなきゃ、な」
「……当たり前、です」
目を瞑り、こつん、と頭を背中に預けたエスペリアが合図。
「……行くぞっ!」
「はいっ!」
門の前に密集している敵へと並んで突入しながら、どういう訳か二人は戦いの先に見える勝利を確信していた。
ニムントールは、何故か光陰に膝枕をしてしまっている。
「あー、もう身体が動かねぇ」
「ちょちょちょちょっと! 離れなさいよ!」
「ちょっと光陰、嫌がってるじゃないの」
「今日子、お前は労いって言葉を覚えた方がいいな。もう限界なんだよ~、ニムントールちゃん」
「くぅ~~~~っ」
「ふぅ、何が労いだか。勝手になさい、知らないから」
「でも珍しいわね、ニムがここまで気を許すなんて」
「ゆ、許してなんかないぃっ!」
「そんな真っ赤になるほど嫌なら、振り落とせばいいじゃない」
「セリア、そんな乱暴な。ニムも好きで大人しく座っているのですから」
「お、お姉ちゃん?!」
「ぷるぷると震えて、何だか微笑ましいですねぇ~」
「うわっ、うわっ、そうなんですか? ニム、いつの間にコウイン様と」
「だから違うって! これはその、し、仕方なくなんだから!」
「またまた、恥ずかしがる事なんか無いぜ。なにせこれで俺達の仲はファーレーン公認と」
「~~~! こ、こ、このぉ~~」
「あ」
「あーあ」
「ごっ! ちょ、待っ! 許しぶべらっ!!」
「馬鹿じゃないの! 死ねっ! やっぱりコウインは、クトラ死ねっ!」
「あああニム、止めなさいっ! それ以上は本当に死んでしまいます!」
「じゃあ、ホントに死んじゃえぇっ!」
「ああああぁぁあぁぁっぁぁ……――――」
「……馬鹿。言わんこっちゃない」
「……馬鹿?」
「馬鹿ね」
「お馬鹿さんですねぇ~」
「あわわわわコウイン様がお星様に」
「敵……そこっ!」
アセリアは単騎、螺旋状の階段に弧を描く粒子を撒き散らしながら、滑空していた。
たまに遭遇する敵を『存在』の一撃で打ち払いながら、門を目指す。『静寂』から吸収したマナが咆哮を呼び込む。
「てやああぁぁぁっ!」
アセリアの場合、戦場では、スタンドアローンで動いた方がより"青き牙"としての本領を発揮する事が出来る。
ましてや今回はこの殺所に到るまで殆ど戦闘をしていない。いわば温存された水のマナが惜しげもなく放たれていく。
「――――ハァッッ!」
気合を入れる度、轟音と共に亀裂が入る壁。
途中、酷く不愉快に思えた空室を衝撃波だけで吹き飛ばしていたが、別に剣に支配された訳ではなく、ただ何となく。
そこが腐臭漂うソーマの部屋だったとは、知る由も無い。1階に降り立ち、T字廊下の左右を鋭く見据える。敵は、居ない。
「ん、待ってろ」
両肩に力を込め、最大限のウイングハイロゥを展開する。即座に室内を光で満たす白銀の『存在』。
踏み込んだ石畳がぼこりと放射状に凹む程の勢いで、身長をゆうに超える翼を舞い躍らせ、見通しの良い通路を迷わず西に飛翔する。
間を置かず見えてくる、街道へと通じる唯一の連絡口、大手門。数人のスピリットが驚いてこちらを振り向き、剣を構えているのが判る。
アセリアは、躊躇せず飛び込む。くすんだ分厚い門扉の向こうで奮闘を続ける、良く知った気配を2つ確かに感じながら。
漫才みたいなやり取りの末ぼこぼこにされた光陰は急に真面目な顔を作り、殊更声を低くする。
「いいか、ヘリオンちゃんもニムントールちゃんも、ここで待機だ」
「何格好つけてんのさ、頭こぶだらけにしてるくせに」
「痛てっ! ちゃかすなよ今日子。……こほん、ともかく。これ以上戦闘に参加させたら、俺が悠人に殺されちまう」
「わ、私、まだ戦えます!」
「ヘリオン殿、手前が言った事を失念してはいませぬか?」
「あぅ……」
「いいわね、ニム」
「……うん」
「よし、もう作戦もへったくれも無いが、とりあえずは突入だ。多分、敵ももう残り少ない」
「うん。悠が引き付けてくれているわ。こっちもくたくただけど……行くわよ!」
光陰を先頭に、頷いたセリア、ハリオン、ヒミカ、ウルカ、今日子の順に歩き出す。
皆振り返らず、そのまま壁の内部へと吸い込まれていった。ふと、顔を上げたヘリオンが呟く。
「ぁ……雨が」
「……いつの間に」
ニムントールが猫のように目を細め、手を翳す。陽光が、雨に濡れた草葉を眩しく照らし出していた。
戦いは、終局へと向かう。