相生

Bidens atrosanguineus Ⅹ

勾配の中腹、樹木の高低差にはっきりと区切られた右手から飛び上がるように発生した旋風(つむじ)のような緑色の残像。
そして、少し離れ、樹にもたれかかり休んでいた筈のニムントール。
それぞれが前面に押し出したシールドハイロゥは正面から激しく衝突し、弾けたマナが眩しく飛び散る。
目前で畳み掛けるように展開される事態に意表をつかれたヘリオンは、半ば呆然と対処も出来ず佇む。
大気が歪む程の波が空気を伝播しつつ土を削り、土砂を巻き起こし、次の瞬間には旋風に身を突き上げられてしまう。
「きゃあっ! あ、ああっ!」
そこでようやく悲鳴らしきものが唇から飛び出した。
何が起こったのかが、理解できない。咄嗟に片手で顔を庇い、利き腕で『失望』を掴む。
脚を踏ん張ると、腕の隙間から垣間見える、きりきりと回転しながら吹き飛ばされる"物体"。

「――――ニム?!」
互いが持つ防御壁の反発力がそのままの威力でそれぞれの肉体へと返っている。
敵のグリーンスピリットとニムントールはぶつかりあったゴムマリが丁度見せるような物理現象に実に忠実に、
接触した角度の分だけ回転力へと変換されたシールドハイロゥの威力により独楽鼠のように錐揉みを繰り返し、
衝撃の際に砕けたマナの欠片に全身を切り刻まれながら、突入したのとはほぼ逆方向へと吹き飛び、深い崖へと吸い込まれていく。
ヘリオンの眼前で渦を成しているのは、その余波で生じた緑色の切れ端、赤い霧。
そしてそれらが紛れも無くニムントールから"ばら撒かれた"戦闘服や血液だと悟ったその刹那。ヘリオンの思考は停止した。

「う……うわあああああっ!」
ハイロゥリングを白翼へと変化させ、大きく羽ばたかせる。無我夢中で、地面を蹴った覚えすら無い。
黒い戦闘服が残像を残し、残された空間へと大気の流れを急がせる。『失望』の鞘の末端から、乗せきれなかったマナが溢れ、迸っていた。
襲撃してきたグリーンスピリットは空中で豹のように身を翻し、大木に着地すると同時に膝で衝撃を逃がし、
屈んだ姿勢から神剣を突き出すように構え直し、反動に撓む樹木から砲弾のように勢い良く撃ち出されようとしている。
まだ遠心力に従う直前の血液やマナが飛び交う中で、全身に深手を負いながらも爛々と獲物を追い求める姿は、獰猛な猛禽類を連想させていた。
「はあああっっっ!!!」
ヘリオンは確かに、"彼女"を視界の片隅で、静止画像として捉えていた。
しかし構わず背を向け、飛ぶ。すると即座に頭の中で鳴り響く声。珍しく高揚した『失望』の強制力が働き出す。

  リィィィィン……――――

それが背後からの脅威に対しての警告だとは、判っている。
しかし、ニムントールの意識が途絶えているという事をも同時に理解していたヘリオンは、
殆ど反射的に、生まれて初めて『失望』の声よりも自らの意志を優先させる事を選んでいた。
「! 『失望』、ごめん! お願い!」
――――追撃を受けるのならば、追いつかれなければよい。
一層加速度の加えた身体が気圧に耐え切れなくなり悲鳴を上げ始め、長く伸びたツインテールがぴん、と真っ直ぐ後方へと引っ張られる。
崖の上空で仰向けになり、止まっているように見えるニムントールに追いつくと、両腕で小さな頭を抱え込むように抱き締め、翼を捻った。
所々鋭い岩が剥き出しになっている崖の壁面を削るように滑空し、衝撃を逃がしながら減速しつつ上昇する。

  リィィィィン……――――

「はぁっ……はぁ、はぁ」
どさっ、と投げ出されるように丘の上にまで戻ってきた時には、ニムントールを庇った両腕とニーソックスはずだずだに引き裂かれていた。
まだ濡れている土や草が、小石までもが潜り込んで傷だらけの四肢を鋭く刺激し、痛ませ、呻き声を漏らさせる。
「ふぅ……いたたぁ……ニム?」
「……ゔ……ぅ」
血の滲む腕の中に収まっている、小さな身体を覗きこむ。
ニムントールは頬にも痛々しい裂傷が走ってはいたが、その睫毛は呼びかけにぴくりと反応を返した。僅かだが、呼吸も確認出来る。
「ほっ……良かった……"あの子"は!?」
出来るだけゆっくりとニムントールの身体を横たえながら、急いで顔を上げる。
上半身を起き上がらせるだけで支えの両腕に激痛が走ったが、不幸中の幸いというか、焦りが痛みを棚上げにしてくれている。
「ふぇ……あれ? え? なんで?」
垂れ下がった両お下げの間には、意外な光景が顕われていた。

「もーっ! 怒っちゃったんだからぁっっ!!」
いつの間に現れたのか、敵の突進を受け止めた巨大な紫の刀身が大気を圧倒するように旋回している。
丁度、地面すれすれに高速運動を繰り返すスフィアハイロゥがぶおん、と重い音で目の前を横切っていった所だった。
神剣魔法の詠唱が風に乗って流れてくる。遅れてやってきた猛烈な突風を浴び、ヘリオンは咄嗟に前髪を抑えていた。
『マナの支配者である神剣の主として命ずる――――え?』
しかしそこで突然詠唱は中断してしまう。そして何故かその背中には動揺が走る。
「っいけない!」
慌てて片足を立て、居合いの構えに移行する。『失望』の柄越しに、傷だらけになってしまった白い膝小僧が見えている。