相生

Delphinium chinensis Ⅹ

虫の知らせ。
眼前で、大きく羽ばたくウイングハイロゥ。
シアーは真っ先に確認し、そしてほっと息を付く。翼の向こうで自由に靡くのは、見慣れた鮮やかな蒼のポニーテール。
「……うんっ」
頷き、即座に重心を低く取る。両手で握った『孤独』を水平に保つ。
大きく身体を捻ると、たちまち風は切り裂かれ、水のマナをたっぷりと保ったまま、砲塔のように旋回する刀身。
先程の戦闘中、半ば無我夢中で放った技。
それがフューリーと呼ばれている、属性を"練りこんだ"非常に高度な剣技であるとは、シアーは知らない。
「! シアー、それはっ!」
「大丈夫……だよっ!」
背後から投げかけられるクォーリンの切迫した声色を、はっきりとした口調で抑える。
シアーには、確信があった。それは、"自分の剣技は未熟である"、という唯一点。
とてもの事、ここまで膨大に集積してしまった『孤独』の全ては制御出来ない。
暴れまくる気流が渦を成し、圧縮して熱を放つ。両手持ちの柄で、接触した部分からは焦燥のような意識が流れ込んでくる。
ごめんね、シアーは心の中でそっと謝る。
こんなにも巨大な潜在能力を秘めながら、主の能力に制限されている『孤独』の意志に。
こんなにも巨大な破壊力を持ちながら、未だ強制らしい強制を働きかけてこない、優しく利発な意志に。
「でも……いつかっ」
凝縮され、具現化し、もはや質量まで持ち始めた青と白の粒子の塊。
神剣との相互干渉により目まぐるしく体内を駆け巡るマナが自然と生み出したウイングハイロゥを大きく広げ、輝かせる。
「てやあぁぁっっっ!!」
残像を捉えきれた者が果たして何人その場に居たのかは判らない。
しかし確かにシアーは左側へと大きく跳躍し、着地した地面を大きく削り、無数の砂礫を舞い散らせていた。

シアー達は法皇の壁を背に敵と対峙し、つまりは出立してきたケムセラウトの方角へと体を向け、
右手と前方に大きく切り立つ崖に囲まれた袋小路のような窪地で拠点防衛戦闘を行なっている。
ただし拠点単独では意味は無く、戦略的な観点でのみその価値は評価され得るべきもの。
一方、レッドスピリットは地勢上、左手街道方面にしか進撃は出来ない。そういった立場を保ち、ナナルゥは依然防御を続けていた。
壁を神剣魔法で破壊し、侵入してしまうのは簡単だが、構造物の爆発で目立つ上単騎突入では各個に待ち受けられ、戦線自体が崩壊する。
むしろナナルゥとしては、何故こんなにも敵に後方に回られてしまったのか、そして重圧が時と共に増していくのか、
そういった疑問の方が先刻から幾度と無く脳裏に浮かび上がり、仮定を繰り返しては消えていた。
ただ、スピリットである以上、与えられた使命を全うする。それが最優先事項なのには変わりは無い。
その為に、底を尽きそうになる自らのマナと相談しつつ最も効率の良い撃退法を考えるので精一杯だった。
「……なるほど」
しかし、そのナナルゥでも思わず意表を突かれ、唸らされてしまうほどの意外な解決法が、目の前に提示されようとしていた。

「てやあぁぁぁぁぁっっ!!」
一足飛びに仲間と離れたシアーは渾身の力を篭めて『孤独』を振り切る。
目標は、まだ見ぬ気配を殺した敵が多数潜んでいると思われる、せり出した崖に群生している木々。ただ、完全な指向性は期待できない。
飛び去りつつあるネリーの翼を指標にしながら、そのすぐ下方を左右に割るような勢いで『孤独』を咆哮させる。
妖精部隊の反応は、速かった。しかし、砲弾のように撃ちこまれたフューリーは彼女達の肉体よりも、精神に衝撃を与えてしまう。
シアーの身長程にも膨れ上がったマナ結晶は剣先の動きに呼応するかのように、最初に打ち込まれた崖の岩肌から右へ一文字を描き、
その途中で葉を散らし、枝を圧し折り、幾人かの不幸な逃げ遅れた妖精部隊の四肢を奪い去っていた。
更には氷の炎がその通過点の一切を薙ぎ払い、後に残るのは黒々と刻まれた燻りのみ。
龍の鈎爪で引き裂かれたような大きな溝と、焦げ臭い匂いが場の空気を一時的に沈黙で支配する。
しかし、その程度の事で残存する妖精部隊の濁った瞳の奥に蠢く神剣の欲望は止まらない。
被害を防いだ大勢がシアーに憎悪と攻撃の焦点を定め、前傾姿勢から崖を足場に踏み出そうと脚に力を篭める。

  ズ……ズズ、ズズズ、ズズズズゥ……――――

「……ッッ!」
集団が、集団ごと錯乱を生じてしまうシステム。
それは、極微細なきっかけが増幅しながら伝播してしまうパニック。
足に、力を。敵の思惑は、根底がまず崩れ出す。朝から振り続けていた雨は、地盤を緩み切らせてしまっていた。
自重に耐えかねた彼らが"引金"を引かれる事によって決壊する堤防のように自由落下を選んでも、なんら不思議は無い。
直後、些細な崩れは波のように広がり、崖を形成している土や石や接触しているあらゆる物へと次第に拡大し、伝わっていく。
真っ先に異変を感じ取り、振り返ったレッドスピリットは落下してきた岩石に頭蓋を割られた。
降り注ぐ土砂にシールドハイロゥの間に合わなくなったグリーンスピリットは鋭く折れた大木に背中から貫かれた。
速度を生かし、土砂崩れを逃れようと飛び出したブラックスピリットはクォーリンの鎌のような神剣の餌食に。
抗神剣魔法を唱える暇すら与えられなかったブルースピリットはナナルゥの炎で焼かれ、そのまま強制的に土葬され、マナへと還る。
そうして、轟音と、押し殺された悲鳴と、舞い上がる土煙と、視界の悪くなった戦場と――――後に残るのは、大きく変化した地形のみ。

惨劇が生じる直前、シアーは小さく呟いている。
「クォーリン」
「……あ、は、はい?」
「ごめんね……後はお願い」
告げるや否や、シアーはウイングハイロゥを羽ばたかせていた。
崖の上、強烈に自己主張を繰り返している複数の気配。『孤独』が鋭敏になっている今だからこそ判る、幾つかの感情。
短く刈り込んだ髪の隙間からきらきらと輝く水のマナが、眼下で金色に変わる敵の姿と混ざり合う。
ぐっ、と、せりあがりそうになる嗚咽を喉の奥に抑えようと、必死だった。