相生

正門は、砕かれた。
突如内部から突出してきたたった1騎のブルースピリットの為に、小隊ごとに密集していた妖精部隊の陣容は見事に覆えされてしまっている。
名状し難い混乱が遂には同士討ちまでをも呼び込み、街道を次々と黄金色へと彩っていく中、悠人とエスペリアは夢中で駆けた。
マナの渦が舞い上がる、その中心で銀のつるぎを風のように踊り振るう仲間の元へと。
「……アセリアっ!」
「ユート、こっち」
「行きますっ!」
合流した3人は、同時に頷く。
壁へと突入する直前、悠人は振り向き、一度だけ大きく『求め』を振りかざした。
エトランジェの持つオーラを一筋の光として大気中へと放出する。それが合図となっていた。
隣で支援を行っているエスペリアがシールドハイロゥで防ぎ、舞い降りたアセリアが敵の最後の殺到を蹴散らす。
「……よしっ! アセリア、もういいぞ! エスペリア、壁の構造は判るか?!」
「勿論です! こちらへ!」
侵入した、薄暗い石造りの内部。陽光も届かない硬質な空間で、『献身』が淡く緑色に灯る。
柄を脇に抱えたエスペリアが軽く微笑み、先を促す。アセリアは黙って頷き、入り組んだ奥に隠れる階段へと先導する。
悠人はぽん、とエスペリアの頭を撫で、大きく頷く。少し驚き、そしてはにかみながら、エスペリアも続いた。

「呆れるわね」
まだ抵抗を続ける残存部隊。その戦闘意欲に感心を示した訳ではない。
その一人、地盤もまだ定まっていない残骸の中から飛び出してくるブルースピリットの一撃をシールドハイロゥで弾きながら、クォーリンは呟く。
肉体は大きく損傷し、戦闘に回せるマナももう殆ど残っては居なかった筈。なのに、あの活き活きとしたウイングハイロゥはどういう訳だろう。
先ほどのフューリーといい、あの小さな身体の一体どこにそんな力が、と苦笑せざるを得ない。
体勢を崩したブルースピリットの足元を巧みに攻め、氾濫し、そして干上がった川の跡のようになった斜面へと押し付け、当身で気を失わせる。
「……次っ!」
度重なり持続する戦闘は、収束を見ない。従って、マナの無駄遣いは一切出来ない。存在必要マナの制限が迫っている。
威圧するようにびゅんっ、と鋭く振りぬく神剣は気性が荒いという程ではないが、マナが枯渇すればスピリットとしての戦闘力は失ってしまう。
「マナよ、炎のつぶてとなれ 雨の如く――――」
「駄目っ! ハアアッ!」
シアーが引き起こした崩落で、集団戦術の取れなくなった妖精部隊を虱潰しのように倒していくのが、戦略レベルの欲求。
それでもクォーリンは、効率良く敵を殲滅出来る神剣魔法を唱えようとするナナルゥを制し、自ら前に出ては体術のみで叩き伏せる。
「共鳴……そう、心って……強いのですね」
シアーの『孤独』はネリーの『静寂』に呼応して、強くも弱くもなっている。その振幅が、クォーリンには羨ましい。

屋上へと続く石段を警護していた数人の妖精部隊に進路を阻まれた光陰の表情には、焦りの色が浮かぶ。
「くそ、我ながら、間抜けすぎたな」
抜け道を潜り抜けた壁の内部は酷く狭く、こちらの方が多数なのにも拘らず、その一部しか戦闘には参加出来ない。
今、敵ブラックスピリットの相手をしているのはヒミカだが、スピリット同士の戦いに必要な空間はそれで精一杯。
巻き込まれての同士討ちを考慮に入れれば後に控えるセリアには補助魔法を打ち出す自由も与えられず、見守る以外に手の打ちようがない。
皮肉にも衝撃に充分耐えうる壁下部の複雑すぎる構造が奇襲を成功させ、そして敵の遅滞行動にも一役買っている形となっている。
「俺もまだまだだぜ、ったく。寡兵をもって集兵を防ぐ……この位は、戦術じゃ基本中の基本だろ」
殿を務めるファーレーンが追撃してくる妖精部隊を斬り防いではいるが、事実上の挟み撃ち。
すぐ目の前に活路が開かれているというのに、団子のように固まったその中央で歯噛みしている自分に自虐的な笑みを浮かべる。
「いっそ『因果』で壁を……いやだめだな、巻き込まれたみんなを同時に守れる程の力は残っちゃいねぇ」
「な~にぶつくさ言ってんのさ」
すると気配を悟ったのか、側に立つ今日子が背中に肩を預け、耳打ちしてくる。

「今日子、気づいてるか?」
「……そうね、こういう時、いつもならちゃんと駆けつけてくれるのにね」
「ああ、俺には勿体無さ過ぎる位の副官だ。判断は全面的に信用出来る」
「つまり、そういう事。外で動いてないんだから、ちゃんと理由があるの」
「判ってるさ。だから、心配なんだ。アイツは頑張りすぎる。くそっ」
「慌てない。あの娘だって気がついている筈。きっと間に合うわよ」
「……チッ、歯痒いぜ。待つだけってのは慣れてないんだ」
じりじりと、少しづつ広がる味方のスペース。確かに時間は掛かるが、味方が優勢なのには変わりは無い。
陽の届かない分厚い石の天井を、光陰は睨む。
屋上に配置されている人間の弓兵。怯懦の塊のような奴らがこの状況で、一体いつまで物見遊山の姿勢を保っていられるのかと。
「……待ってろ」
俺が行くまで、その聡明な頭をフル回転させていろ。どれが保身に結びつく、最良の手段なのかを。
間違うなよ、力尽きたスピリットを多少討ち取ってその場限りの栄誉を味わうのは得策じゃない。
テンぱってうっかり弓の操作を誤ったりすると、怒りにトチ狂ったエトランジェに何をされるか判らないぜ……――――

サーギオス帝国の衛兵は、比較的訓練精度が高い。
しかし法皇の壁は所謂国の外堀も外堀なので、戦争勃発と同時に徴兵された速成の兵士も中には混じっている。
むしろこの、後備とも言える部署に限っていえば、新兵の比率の方が圧倒的に多い。
城門が破られたとの報告を聞きながら、対ケムセラウト方面城壁警備統括である男は、それが気掛かりでならなかった。
地崩れによる土煙を観測した瞬間浮き足立ちかけ、必死に自制を試みたのは男ですら例外では無い。
「構えを解いてはいけない! だが、命あるまでは決して撃つな! これは厳命だ! 背けば死罪とする!」
先程、物見からの伝達でラキオス軍人兵主力が動き出したとの報告があった。
いや、報告を聞くまでも無く、森での戦闘が我がスピリット隊の敗北を意味しているのは、どこよりも高台のここから望んでいるのだから良く判る。
そしてスピリットが無力化されてしまえば戦争自体の継続が不可能、それがこの世界の常識。ソーマも案外だったな、と舌打ちを繰り返す。
「貴様っ!」
「グアッ!」
目の前でぶるぶると震え、あやうく番った指を手放そうとしていた兵を片手で殴りつけ、気絶させる。
からん、と乾いた音を立てて転がる弓矢。雨が上がった為、湿った鏃の弾薬を換装させていたのが仇になったかと振り返る。
どの兵も目が血走り、何が引金になるか判らない。そして少しでも指先に力を篭めてしまえば、制御する術は無い。
後に続く惨劇などは予想も出来ないまま愚かな暴走は始まってしまう。手元に掌握している兵だけでもこの始末。
果たして、手のつけられないこの状況は、正門上部方面ではどうなっているのか。混乱した中、情報だけが不足している。
「……まだか」
軍人として、これ以上は無いであろう屈辱。この上、更に恥の上塗りだけはなんとしても回避したい。
唾を吐き捨て、軍靴で踏み、焦れる。同時に背後で、城壁内部へと続く通路の扉が乱暴に叩き壊される轟音。
男は待ち侘びた恋人を迎えるような笑みさえ浮かべ、振り向く。爆風に身を晒したまま両手を上げ、従順なる降伏の姿勢を示しながら。

真っ先に『因果』を振るい飛び込んだ先に待っていたのは、一斉に武器を捨て、諸手を掲げる兵士達。
一瞬あっけに取られるが、放心し、へたり込む者もいる中で一人毅然と立つ男を見つけ、光陰は駆け寄る。
殆ど目鼻がくっつくような距離で2人の"異国民"は対面を果たしていた。
「……賢明な判断だ、命拾いしたな」
「遅かったじゃないか、エトランジェ」
「悪かったよ。抵抗が予想外だった」
「その言葉、帝国への褒め言葉と受け取っておこう」
「へっ……ヒミカ、ファーレーン!」
「ハッ!」
「すぐに!」
予め指示を受けていたファーレーンがすばやく敵兵の弓を奪い取り、それにヒミカが調整した神剣魔法で火を放つ。
煙はすぐに立ち昇り、やがて大きな狼煙となって青空へと広がっていく。
「光陰! あっちも!」
「なんだ、追いつかれちまったか」
今日子の声に振り返り、正門の方角からも立ち昇りつつある煙を見やり、苦笑いをしてみせる。
セリアとハリオンが降伏してきた兵を一纏めにして拘束していた。その様子を見渡しながら、ゆっくりと壁際に近づく。
この程度の距離なら楽に感知出来るグリーンスピリットの気配へ向け、大きく手を振ってやる為に。

「……終わりましたね」
「……そのようですね」
ようやく殺意の収まった窪地の真ん中で。
ナナルゥとクォーリンは背中合わせの格好のまま、同時にずるずると腰を落としている。
まだ濡れている地面が戦闘服越しに湿り気を伝えてくるが、その程度に気を配っている余裕は無い。
精も根も、というが、泥だらけで憔悴しきった二人の表情にはどんよりとくたびれ切った疲れのような、
それでいて何かを達成した者が見せる満足感のようなものが漂っていた。ほう、と小さな溜息を付きながら俯いたナナルゥが呟く。
「……何故、殺さなかったのですか?」
「そうですね……どうしてでしょう。スピリットとしては、失格でしょうか」
同じように俯き、自らの前髪が揺れるのをぼんやりと見つめながら、クォーリンは答える。
周囲を見渡してみても、金色のマナはどこにも見当たらない。ただあちこちで蹲り、くぐもった呻き声を漏らす者達。
「でも、こうしないと怒られるような気がしたんです。……ふふ」
「? 理解しかねます。貴女はもっと冷静な分析力を評価されていたのだと」
「それは買い被りでしょうね。ところで」
「質問ですか?」
「貴女はどうして殺さなかったのですか、ナナルゥ?」
「……不思議です。理解出来ません。私は疲れているのでしょうか?」
背中から伝わる動きで、ナナルゥが本気で首を傾げているのが判る。
堪えきれずにクォーリンは背中を丸め、くっ、くっと苦しげに笑いを堪えた。
どうしてこんなに可笑しいのか。それが少し判ったような、喉のつっかえが取れたような、そんな清々しい気分だけが残っている。
「本当ですね。理解できません、心って……ルゥ」
笑いをようやくのことで収め、こつん、とナナルゥの頭に自分の頭を押し当て、空を見上げる。
するとナナルゥも顎を上げ、共にストレートの髪が微かな音色で擦れ合う。
「……終わりましたね」
「……そのようですね」
暗く覆っていた雨雲が嘘のように澄み渡る青空。大きく斜めに区切る、法皇の壁。
その境界線から一筋の狼煙が立ち昇り、間を置かず、屋上部分から小さな人影が現れる。
身を乗り出して手を振っているその人物に、クォーリンは微笑んで見せた。見えないだろうな、と思いながらも。

街道の後方で待機していたラキオス軍兵士が一斉に動き出したのを確認して、悠人はほっと腰を下ろす。
実に戦闘が始まってから数時間、久し振りの地面の感覚は、石のひんやりとした冷たさが実に心地良いものだった。
アセリアに指示を出していたエスペリアが身繕いをしながら近づき、遠慮がちに報告を始める。
「この方面の制圧は完了いたしました、ユート様。ダスカトロン方面からの反撃も予想通りその動きは無さそうです」
「ああ、そうだろうな。主力は当然ここに固められていた筈だから」
「ええ。スピリットの多くは戦線を縮小し、首都や秩序の壁へと撤退します。事実上、法皇の壁は全体が陥ちたとみなしても宜しいでしょう」
「うん。……ふう、エスペリア、お疲れ。ところで」
「はい。……アセリア!」
「ん。まだ少しいる。でも、……ん、大丈夫」
「もしもご心配でしたら、わたくしが行きましょうか?」
「そうだな、いや、でももう、認めないか? 確かに命令違反だけどさ、みんなも仲間なんだ」
「もう……ユート様は、甘すぎます」
「ユート、甘いのか?」
「はは。だけどさ、どのみちここからは遠すぎる。もっと近い所にもいるじゃないか」
改めて森全体の気配を探り、ぼんやりとした敵の衰微しつつある勢力を見つけ出し、空を仰ぐ。
目に痛いほど澄み渡った青に織り重なる強い意志が、彼女達へと急速に近づくのを感じながら。

「俺はさ、きっと、信じたかったんだよ。エスペリア」