Twinkle fairies

一章:三人で買い物

 後手に回った悠人たちのラセリオの防衛は、結果から言えば成功に終わった。
 完全に虚を突かれたバーンライトの奇策ではあったが、バーンライト兵がラセリオに到達する直前、悠人たちはラセリオで迎撃態勢を取っ
て待機していたラキオススピリット隊と合流し、これを撃退したのであった。
 あと一日、二日遅れていたならば間違い無くラセリオは陥落していたのだ。実に危ないところであった。故に、戦況を覆す機となりえたこ
の作戦が失敗に終わった事が、バーンライトにとっての大きな誤算となった事は明らかであった。

「おっ買い物~♪」
「もの~♪」
 ラセリオの防衛から数日。
 ラキオスは束の間の平穏を享受していた。
 バーンライトとの最終決戦を控えた今。誰もがその平穏を嵐の前の静けさであると理解していたが、大多数のラキオスの人々は自国の勝利
を疑ってはいなかった。
 伝説のエトランジェ率いるラキオス軍は次々と各地のバーンライト軍を駆逐し、その快進撃は華々しい戦果と共に知れ渡っていた。今やバ
ーンライトは本陣を残すだけとなっており、最早風前の灯であった。
 国中が、好戦の狂気に中てられていた。
 報告の上ではラキオスのスピリット隊の誰一人として欠ける事無く進軍していたが、その実激戦と辛勝の繰り返しであった。敵地に安寧は
無く、補給は占領地から接収した物資のみ。連勝していたのではない。全てが一度の負けも許されない過酷な戦いであったのだ。

 悠人もラキオスに戻って訓練を重ね、来(きた)る決戦に備えていた。次の作戦は、個々の戦闘能力に秀でるラキオスのスピリットたちがサモ
ドア山道を強行突破し、一気に本陣を叩くと言うものである。
 リモドアでのサモドア進攻の際、山岳地帯戦闘に秀でたバーンライト兵を警戒しながらの牛歩進軍では度重なるゲリラ戦に徒に兵力を消耗さ
せる結果に終わってしまった。これを教訓とし、戦力を攻めの一点に集約し、自軍の被害を最小限に抑え且つ最大戦力を維持させながら進攻す
ると言うのが本作戦の狙いである。
 当然、個々が分担する負担は増え、自身の力が最も要求される事となる。
 生き残る為には、少しでも自分を鍛えるしか他に方法は無かった。
「ユート様と~、おっ買い物~♪」
「もの~♪」
 そして、恐らく最も訓練が必要な人物の一人である筈の悠人は、昼下がりのラキオス城下町で買い物をしていた。
 別段、入用の品があったわけでは無い。寧ろ、部屋で休んでいたかった。否、実際悠人は部屋で寝ていた。
 そこに、飛び込んできた(比喩に非ず)ネリーとシアーから叩き起こされ、街の買い物へと誘われたのである。
「あ、ユート様!見てみて、あそこのお菓子屋さん!すっごく美味しいんだよ~!」
「シアーも良く買いに行くの~」
「そうか?じゃぁ、俺が買いに行くよ。二人とも何が良いんだ?」
 ネリーとシアーの視線の先にある菓子屋を眺めながら、悠人は二人の注文を尋ねた。
「ん~、別に良いよ?ユート様も一緒に行こ?」
「行こ~」
「え、良いのか?」
 この街でのネリーやシアーたちスピリットに向けられる人々の決して友好的ではない視線を思い出していた悠人は二人の意外な意見に驚いた。
先程も、悠人は二人に対する周囲の悪意に満ちた視線を感じ、周囲の人間を警戒していたばかりであったのだ。

「へーき、へーき。ご~っ!」
「ご~っ!」
「わわっ!?二人とも、急に引っ張るなってっ!」
 悠人の静止も聞かず、二人は勢い良く菓子屋の扉を押し開けたのだった。

 カウ・ベルの鐘の音が鳴り響き、同時に悠人の鼻腔を菓子特有の甘い香りがくすぐった。見渡せば、色取り取りの菓子が所狭しと陳列棚に
並べられていた。
 ベルの音を聞きつけて店の奥からこの店の主人らしき男が現れたが、悠人たちの姿を見ても愛想の一つも浮かべてはいなかった。その対応
に、悠人は二人を庇う様にして威圧する様な視線を飛ばした。
「親方~、この人がネリーたちのユート様だよ~」
「おにいちゃんなの~」
 そんな悠人の後ろから、ネリーとシアーが店の主人に向かって親しげな口調で話し掛けた。
「おやかた?」
「うん。あのね、ここでハリオンがお菓子作りの練習させて貰ってるんだよ」
「お弟子さんなんだって~」
 二人の説明に悠人は思わず目の前の『親方』をまじまじと見てしまった。
 岩から削り出したかの様な厳つい顔と屈強そうな体躯。加えて気難しそうな表情と丸太の様に太い筋肉の隆起した腕やゴツゴツした指。と
ても、目の前の艶やかで繊細な菓子を作っているとは到底結びつかない容姿である。

「アンタがネの字を『傷物』にしたって言う隊長さんか?」
「なっ!?」
 突然の親方の言葉に悠人は噴き出した。
「シアーもお揃いだよ~?」
「ほう、シの字もか…。こりゃ責任重大だな…」
 悠人の体から力が抜けていった。
「二人からから話は聞いてるぜ。後、ハの字からもな。変わりモンの隊長が来たってよ…」
 表情は依然としてむっつり顔であったが、親方の目が笑っている事に悠人は気が付いた。
「アンタは…」
 悠人の視線が含むものに気が付いたのか、親方はフンと鼻を短く鳴らせた。
「スピリットと普通に接してるのが珍しいってか?『変わりモン』の隊長さん…」
「………」
 悠人の沈黙を肯定と受け取った親方が首を傾げながら頭を掻いた。
「俺も以前はスピリットには良い印象なんて持ってなかったぜ?街の連中の同じで、そいつ等につまんねぇ人間様の思い上がりをぶつけ
てたモンさ」
 自嘲気味に笑う親方を、悠人は真剣な表情で聞いていた。
「そしたらある日な。俺ン処に菓子を買いに来るスピリットが来るじゃねぇか。冗談じゃねぇ、スピリットが来るなんて他の客に知れた
ら、ウチの店は変な噂が立って客が寄り付かなくなるかも知れねぇじゃねぇか、って思ってな。そのスピリットがウチに来るなり人間の
味が分るのかとか皮肉ったり無視したりして。まぁ、今思えばケツの穴の小せぇ事やってたワケだ…」
「親方…」
「…」
 いつに無くシリアスな展開に、ネリーとシアーも思わず聞き入ってしまっていた。

「だけどな、そんな俺にそのスピリットがいつも言うンだぜ?いつも美味い菓子が食べられて自分は幸せだ、ってな。そしたら、ネチネチ
と腐ってた自分が段々馬鹿らしくなってきてな。ふと気付いたンだよ。俺は俺の作ったモンを美味いと言って食ってくれる奴の為にこの商
売やってる。それにゃ、人もスピリットも関係無ぇってな…。」
「………」
「だからよ、俺は期待してンだぜ?そいつ等の自慢の体長さんによ…。アンタが世界で唯一そいつ等を守れる人間なんだ。しっかり守って
やってくれよ」

 菓子を買い終えた悠人たち三人は大通りを歩いていた。ネリーとシアーは幸せそうに菓子を頬張り、悠人はそんな二人を眺めていた。
(守ってやってくれよ、か…)
 菓子を齧りながら、悠人は親方の言葉を反芻していた。
(こんな世の中でも、スピリットを理解してくれる人間がちゃんといてくれてるんだな。まだ、その数は少ないけど、それに気付いた人間
はきっと減らない。そしていつか皆にもその事が伝わって、スピリットが差別されない世界が来ると良いな。いや、来なきゃ駄目なんだ)
「あれ、ユート様?ユート様も親方のお菓子が気に入ったの?何だか凄く幸せそうな顔してるよ」
 ふと、目が合ったネリーがそんな事を言い出した。どうやら考えていた事が悠人の顔に出ていたらしい。
「あぁ、美味いな。流石は親方だな…」
 本当は違うのだけれど、今はそんな事はどうでも良かった。只、目の前の笑顔が嬉しくて、悠人はまた菓子を齧った。
「えへへ~。実は今ユート様が食べてるお菓子はね~、ネリーが一番好きなお菓子の一つなんだよ?」
 そう言うと、ネリーは紙袋から悠人が食べているものと同じ種類の菓子を取り出して、ぱくり、と大きく齧り付いた。
「~~っ♪」
 宣言しただけの様はあった様で。ネリーは零れんばかりの笑みで菓子を噛み締めていた。そんなネリーの仕草に思わず悠人は微笑んだ。
「あ…」
 反対側から聞こえてきた少し沈んだ声。悠人が振り返ると、何やらシアーが紙袋の中を見て残念そうな顔をしていた。

「どうしたの、シアー?」
「お菓子が無くなったのか?」
 ネリーや悠人の質問にシアーは首を振った。
「えっとね…。シアーもユート様と同じお菓子を食べようと思ったんだけど、もう無くなってたの…」
「俺のは…。ゴメン、無いや…」
「ネリーももう無いよ?」
「うん、食べたら無くなっちゃうもんね…」
 自分の紙袋を覗き込む二人に、シアーがそう言って項垂れた。頭では理解しているが、やはり本音では悠人と同じお菓子を三人で一緒に
頬張りたかったのかもしれない。些細な事だが、しょげてしまっているシアーの雰囲気に何となく居た堪れなさが悠人の中に芽生え始めた。
 悠人が持っている菓子に向けられるシアーの視線が、ご褒美を貰えなかった仔犬の様な、それでいて飼い主を恨む事すら思い付かない
無垢な、故に純然たる『しょんぼり』としたシアーの気持ちを伝えていた。
「じゃあ、シアー。俺と半分こしようか?」
 悠人はそう言うと、右手に持っていた齧り掛けの菓子を二つに分け、その半分を左のシアーへと差出して、
(ん?左?)
 寸での所で悠人は気が付いた。悠人を挟んで歩いている今の状況は、右手にネリー、左手にシアーである。普通に割ってシアー側に来る
のは悠人の齧った方であった。
(食べ掛けの方を渡すのは、流石になぁ…)
「わ~い♪ユート様、ありがと~♪」
 しかし、そんな弾んだ声を聞いた時には既に悠人の左手のものはシアーに渡ってしまっていた。
「あ、シアーちょっと待っ―」
「うむぅ?」
 悠人が止める暇(いとま)もあればこそ。悠人から貰った菓子をシアーはその小さな口で齧り、そして不思議そうな視線を返してきたのであった。

「どうしたの、ユート様?」
「い、いや…。どうせなら、俺が食べてない方の方が良かったかもって思ってさ…。シアーも俺の食べ掛けなんて嫌だろ?」
「?」
 悠人の言葉に、シアーはきょとんとした表情を浮かべた。どうやら、悠人の言葉の意味が今一つ理解しかねている様である。
「いやさ…。その…、何て言うか…。俺が口を付けたものをシアーが口を付けるのは…」
「ユート様は、シアーだと嫌…?」
 悠人の言葉を拒絶と受け取ったのか、シアーが零れ落ちそうな大きな瞳を潤ませて悠人を見上げてきた。
「いや、嫌じゃないけど…」
「本当、ユート様…?」
 シアーの言葉に悠人はコクコクと首を縦に振った。ここで否定的な言葉を口にする事など、一体誰が出来ただろうか。少なくとも、悠人
には不可能であった。
「じゃぁ、はい…。ユート様…」
「う゛…」
 差し出された菓子を見た悠人は思わず唸った。シアーの小さな噛み跡が残る菓子。食べ粕が零れない様に口を付けて食べる所為か、口を
付けた付近はやや湿っていた。
(これは間接キスとか言う程、生易しいものじゃない気がする…)
「ユート様…?」
 固まった悠人の態度に不安を感じてしまったシアーの瞳が、切実な色を帯び始めてきた。
 悠人、こちらも内心かなり切実であった。
 縦(よ)しんば、目の前の菓子を齧ったとしても、シアーが食べた箇所を故意に避ければその行為は間違い無くシアーを傷付けてしまうで
あろう。しかし、躊躇無く間接キスをしてしまうのも道義的に間違っている気がしてならない。
 そう、買い物の途中で二人の『お兄ちゃん』になってしまった今の悠人には非常に難しい問題である。
「………うぅ…」
「い、頂きます…」
 だが、シアーの瞳の表面張力が限界を超えようした瞬間、もう悠人は菓子に齧り付く以外の道は残されていなかったのであった。

(多分、俺はバルガ・ロアーに堕ちるかもな…)
 口腔に広がる甘い風味と香りを感じながら、悠人はそんな事を考えた。
「えへへ~、シアーもユート様だったら全然嫌じゃないよ♪」
 悠人の行為に機嫌を良くしたのか。悠人の葛藤など露知らず、シアーは悠人の齧った菓子を再びその小さな口で食(は)み始めた。
「やっぱり美味しいね~、ユート様~」
 悠人の腕を取りながら、シアーが頭を擦り寄せてきた。そんなシアーの好意に、悠人も諦めの苦笑いを浮かべるしかなかった。
「あーっ、良いなぁ~!!ネリーもユート様の齧りた~いっ!!」
「えぇっ!?ネリーは自分のがあるだろう?」
 突然のネリー台詞に、悠人が素っ頓狂な声を上げた。
「もう、食べちゃったから無いよ?」
「早っ!?」
 言葉通り。見ればネリーの紙袋はすっかり空になっていた。
「ユート様がずぅ~っと悩んでたからだよ~。も~、ネリーだったら直ぐに貰っちゃうのに、何で直ぐ食べなかったの~?」
「いや、流石に間接キスはまずいだろ?一応、女の子なんだし…」
「間接キス?」
「それって何~?」
 悠人は、自ら藪を突付いてしまった事に気が付いた。だが既に時遅く、二人の好奇心は首を擡(もた)げた蛇になってしまっていた。
「えぇっと、その…」
「教えて~、ユート様~」
「知りたいな…」
 悠人は逃げ出したい気持ちに駆られたが、生憎と悠人の腕は既にネリーとシアーによって捕縛されていた。逃げ場は、何処にも無かった。
 結局、悠人は間接キスについて説明させられ、二人は熱心にその話を聞いていたのであった。正直な所、二人があまり良く理解していない
事を内心期待していたが、
「えへへ~♪ネリーたちは女の子だって~♪」
「ユート様は~、男の子~♪」
 どうやら、妙な方向で覚えられた事を確信する悠人であった。
 結局、その日は陽が傾くまで街を歩き回り、三人一緒に家路を辿っていた。腕を組んで歩く二人の頬が少し紅く見えたのは、夕陽の所為で
あろうか。
 幸せそうに甘えてくる二人の体温を感じながら、悠人は偶にはこんな日があっても悪くないと思っていた。