Twinkle fairies

二章:突撃、隣のユート様!!

(一体、こんな戦いに何の意味があるんだろうな…)
 大浴場に一人、悠人は湯船に浸かりながら水滴の滴る天井をぼんやりと仰いでいた。
 先の大規模なエーテル・コア暴走により消滅したイースペリア。
 表向きではサルドバルド王国の工作が原因であった痛ましい事件と報じられていた。
 だが、本当の原因が非道なラキオス王の奸計である事は現場に居合わせた悠人が一番知る所であった。
 尤も、今回の事で最も衝撃を受けたのはエスペリアであろう。
 命令とあらば情を排し、自らを道具とすらして任務を遂行する軍人たる彼女である。
 しかし、本当は慈愛に満ちた優しい性格である事は世話をして貰っている悠人自身が一番解っていた。
 今では普段通りに仕事を熟しているが、内心ではどんな良心の呵責に苦しんでいるのか悠人には想像が付かなかった。
「くそっ…」
 あの時の歓喜に染まったラキオス王の顔を思い出すだけで、悠人は腸が煮え返りそうになった。
 蒼白になり、それでも震える拳を握り締めて報告していたエスペリアを悠人は忘れる事が出来なかった。
 それだけではない。イースペリアで見(まみ)えた神聖サーギオス帝国の『漆黒の翼』ウルカ。
 敵対している帝国が有するあのスピリットの存在が、今後の戦況を更に熾烈なものにするであろう事を雄弁に物語っていた。
 山積みになった問題の多さに、悠人は考える事に疲れてしまっていた。
(あんまり風呂の中で考え事するモンじゃないな…)
 悠人は湯船から上がり、体を洗う準備を始めた。
 一応、他に誰も居ないのだが腰巻をしているのは他のスピリットのメンバーが入ってきた時の保険である。
(まぁ、エスペリアに言付けておいたし、脱衣場の扉に貼り紙もしたから誰も入って来ないとは思うけどな…)
 手に洗髪料を伸ばし、悠人は硬質な自分の黒髪を洗い始めた。
 やがて洗髪料が程好く泡立ち始め同時に悠人の視界が遮られ始めた時、浴場の扉が勢い良く開け放たれたのであった。

「―――え…?」
悠人は一瞬何が起こったのか理解出来ずにいた。
「あ、ユート様見っけ♪」
「見つけた~♪」
(確か、エスペリアが俺が風呂に入ってるって知らせてくれてる筈だよな?あと、貼り紙も目立つ様に貼ったつもりだったんだけど…)
 現実から逃げる為、悠人は洗髪の手を止めて黙考し始めていた。

 時は少し遡る。
「ユート様~、ネリーだよ~」
「シアーもだよ~」
 第二詰所から第一詰所に来たネリーとシアーの二人は悠人の部屋の前で悠人を呼び掛けていた。
 続いてネリーが元気良くノックしたが何の反応も返っては来ない。
「居ないの?ユート様。入るよ?」
 ネリーが断って扉を開けると、無人の部屋が二人を迎えた。やはり、悠人は別の場所にいるらしい。
「う~ん、ユート様何処に行ったんだろ?」
「さっき訓練場から出ていくのを見たけど、街には行ってないみたいだったよ?やっぱり、第一詰所の何処かだと思うけど」
「多分、エスペリアなら知ってるかもしれないよ?ネリー」
「そうかも。じゃあ、行こっ、シアー」
 二人は元気良く回れ右をし、開けた扉もそのままに厨房のエスペリアへと向かうのであった。

「ユート様ですか?」
「うん、挨拶しようとしたら部屋に居なかったの」
「ユート様が何処にいるか、教えて欲しいの…」
「ユート様でしたら、大浴場の方にいらっしゃると思いますよ」
 二人の方を見ながら、先程風呂に向かう悠人から他の皆に知らせる様に頼まれていたエスペリアは言われた通りにそう告げた。
 視線は二人に向けられているが、鍋を掻き混ぜる手の動きは淀み無く動いている。
 一見、普段通りのエスペリアであった。

 だが、もし本当に彼女が普段通りならば直ぐに気付いたであろう。
「え、そうなの?」
「じゃあ、何の心配も要らないね」
 二人が抱えた着替え一式、言動、性格。これらが組み合わされて導き出される未来に。
「急げ~♪」
「急げ急げ~♪」
 遠ざかってゆく二人の足音を聞き流しながら、エスペリアは無心に鍋の味を調えていた。
 今は何も考えず、目の前の仕事に没頭していたかった。

「あ。『ユート様が使用されています』って書いてあるよ」
「ホントだ。ねぇ、早くしないとユート様が出てきちゃうかもしれないよ?ネリー」
 扉の貼り紙を見るや、二人は急いで脱衣場に飛び込んだ。
 床に畳まれた悠人の服が置かれていたが、二人の脱ぎ散らかした服の下に隠れてしまった。
 兎に角、時間が惜しい二人は脱ぎ終えるや否や勢い良く浴場へと繰り出したのであった。

「うわぁっ!?ふ、二人とも、何で此処に居るんだ!?」
 視界が塞がれているので視認は出来ないが、接近を知らせる足音に悠人は激しく狼狽えた。
 保険を掛けておいて良かったと、心から思う悠人であった。
「え~っと、イースペリアのマナ暴走の影響でネリーたちのお風呂の調子が悪くなっちゃったの」
「厨房とかは使えるみたいだけど、お風呂は水しか出ないの…」
「あぁ、確かエスペリアがそんな事言ってたな。って、俺たちの所の風呂を使いに来たのは解るんだが、何で俺が入ってる時なんだ?
エスペリアや扉の貼り紙で俺が入ってるって分らなかったのか?」
「ううん、分かったよ」
「だから急いで来たの。一緒にお風呂に入りたかったから」
「しまった、逆効果だったのか…」
 満面の笑みで返してきた二人に、悠人は自ら墓穴を掘ってしまった事に気が付いたのだった。

 アセリアやオルファリルもそうであったが、悠人が風呂に入っていようが構わず、否、寧ろ風呂に入っている時を狙って入ってくる事が多々あった。
 最初は、女性だけのスピリット同士で育った為、男女間に於ける羞恥心が無いのが原因だろうと悠人は思っていた。
 しかし、何度も入ってくる彼女たちの言動からそれだけが原因ではないと言う事を悠人は薄々気付き始めたのだった。
 勿論、羞恥心が育っていなかった事も原因の一つであったのだが、最大の原因は別のものであった。
 そう、彼女たちの好奇心である。
 最早それは観察などと言う次元ではなかった。
 ガン見であった。
 しかも、彼女たちの最も興味を惹いたのが悠人の男性器であった。
 自分たちには無いモノである事に加え、悠人が必死になってソレを隠す姿に彼女たちの好奇心が甚く刺激されてしまったのだ。
「…ユート、ソレは何だ?ん、気になる。触ってみても良いか…?」
「パパの体ってどうなってるの~?オルファも見せるから、パパも見せてよ~」
 風呂場から逃げ出した悠人。そして自室の隅でシクシク泣く日々であった。
 その後、エスペリアに頼んで極力悠人の入浴中に入って来ない様に言って貰い、漸く悠人は安心して風呂に入れる様になったのである。

「あ、ユート様。髪を洗ってるの?」
 泡立ち始めていた悠人の頭を見ながら、シアーが悠人の傍まで寄ってきた。
「あ、あぁ…。そうだけど、それがどうかしたのか、シアー?」
「ユート様の髪、洗いたいな…。ダメ?ユート様…」
「いや、髪くらい自分で洗えるから大丈夫だぞ?」
「しゅん…」
 いや、口で言わなくても…。と思いつつも、悠人はシアーの落胆ぶりを肌で感じ取っていた。
 目が開けられない分、かえってシアーの落ち込んだ様子が悠人の瞼の裏にはっきりと浮かび上ってしまっていた。
「ちょこっとだけで良いから、ユート様の髪、洗いたいな…」
 健気である。実に健気である。
 同時に悠人の中に申し訳無さがじんわりと広がっていき、やがてそれは限界に達して悠人を流してしまうのであった。

「じ、じゃあ、洗って貰おうかな…?」
「わぁい♪」
 嬉しさを隠そうともせず、シアーは洗髪料を手に伸ばすと悠人の髪にその白く細い指を通してきた。
 もっと勢い良く来るかと思っていたがシアーの優しい手付きに悠人は思わず驚いてしまった。
「ユート様の髪って、やっぱり少し硬いね~」
 上機嫌に悠人の髪を洗い始めたシアーがそんな感想を漏らした。
 悠人としてもそんな嬉しそうなシアーの様子に満更でもない気分にさせられるのであった。
「どう?ユート様、気持ち良い?」
「あ、あぁ。シアーは髪を洗うのが上手なんだな」
「えへへ。ネリーの髪もシアーがよく洗うの」
「へぇ、そうなのか」
「ネリーだって、シアーの髪を洗ってるんだよ?ユート様」
「じゃあ、二人で洗い合ってるのか?」
「そうだよ」
「皆で背中流したりするよ」
「皆って…。まぁ、そうだろうな…」
 第二詰所の風呂を見た事は無いが、第一詰所よりも大所帯であるから今いる大浴場よりは広いのかもしれない。
 それにこれだけ広ければお湯を沸かすのも大変であるだろうし、更に長時間沸かし続けるのを考えれば一度に済ませた方が経済的である。
 尤も、風呂が大きいのは設計者の好みである処が大きいのだが。
「ところで、ネリー。目が開けられないから見えないんだけど、もしかして今何か泡立ててないか?」
「うん、石鹸を泡立ててるよ?ネリーもユート様の体洗いたいし」
 聞こえてくるアブクの音は頭からだけではなかった様である。
 このままでは頭の天辺から爪先まで洗われてしまう。悠人、大いに焦っていた。
 シアーの洗髪に感心している間に、外堀は着々と埋められ始めていたのだ。
「いや、体は自分で洗うから二人とも湯船に浸かってきたらどうだ?体が冷えたら寒いだろ?」
「ネリーはそんなに寒くないから大丈夫だよ、ユート様」
「それに、シアーまだユート様の髪洗い終わってないよ?」
「そんな事言って、二人とも風邪なんか引いたら俺は嫌だからな。ちゃんと体を冷えない様にしっかり温まっておかなきゃ駄目だぞ?」
 言い聞かせる様に、悠人は語気を強めて二人に注意した。
 途端、悠人の頭と隣からアブクの音がピタリと止まった。

「ど、どうしたんだ?二人とも…」
 内心強く言い過ぎたのかと思い、悠人は落ち着かない気持ちになった。
 視界が閉ざされているので二人がどんな表情なのかも判らない。
 もし、目を開けて二人の表情が悲嘆に暮れていれば悠人はどん―
「ユート様、優し~い♪」
「ありがと~♪」
「うわぁっ!?」
 突然抱き付いてきた二人の行動に、悠人は悲鳴にも似た裏返った声を上げた。
 ネリーは脇腹に、シアーは背中に。悠人の感触を楽しむ様に体を摺り寄せてきたのである。
「ユート様の体って大っき~い♪」
「シアーたちとは全然違うね♪」
「ふ、二人とも体に何も巻いてないのかっ!?」
 特にシアーは悠人の背中に凭れ掛かる様にべったりと密着させていた為、胸やその先端、腹部の感触が余す所無く伝わってきてしまっていた。
 これで反応しないのならば男として問題であるが、反応されても悠人は困るばかりである。
 実際、既に困り初めていた。
「そだよ。何で?」
「お風呂に入る時は、皆裸だよ?」
「普通はそうだけど、俺の世界じゃ男と女は一緒の風呂には入らないんだ。
一緒に入る時は混浴って言って、お互いの体を隠して入るのが決まりだったんだ」
 ともすれば霧散してしまう思考を何とか掻き集め、悠人は必死になって言葉を紡いだ。
 一目散に逃げ出したいのが本当の所であったが、迂闊に動けないのが今の悠人の悲しい状況なのである。
「だから、二人もタオルとか巻いて体を隠す事。あと抱き付いたり人の体をジロジロ見ない。
それがハイ・ペリアでの決まりなんだ」
「そうなの?」
「ごめんなさい、ユート様…」
 離れていく二人の感触に、悠人は内心で大きく安堵の息を漏らしていた。
 何とかこれ以上危機的状況に陥る事態は避けられそうである。

「ふ~ん。じゃあ、んっ、しょっと…」
「あ、シアーも~」
 ネリーとシアーが何かの作業をし始めているのは察する事が出来た。
 しかし、未だ視界が閉ざされていのるのでは確認する術はなく、悠人はおずおずと二人に声を掛けた。
「えっと、二人とも何してるんだ?」
「ユート様の言った通り、体にタオルを巻いてるの」
「こうすれば大丈夫だよね?ユート様」
 どうやら、二人は早速悠人の言い付けを守ってくれているらしい。
 こんな所は素直で可愛いと思う悠人であった。
「よ~し、準備完了~っ!」
「ちゃんとタオルで隠したよ」
「お、応。解ってると思うけど、抱き付いたりするのは駄目だからな?」
「うん。でも、ユート様の体を洗うのは良いよね?」
「洗いたいな…」
「…、濫りに触れなければ…」
 暫しの逡巡も後、悠人は渋々合意した。
 何と言うか、二人の声が余りにも不安そうで悲愴な雰囲気を漂わせていたのである。
「やった~っ!じゃあ、洗うね?ユート様」
「ごしごし~♪」
「ね、ネリーは背中だけで良いからな?前は自分で洗うのがハイ・ペリアの決まりなんだ」
「え~?残念~」
 矢張り、前も洗う気満々であったらしい。
 釘を差しておいて良かった。
 そう思わずにはいられなかった。
 やがて二人の作業も終わり、前を自分で洗い終えた悠人は漸く石鹸の泡を洗い流す事が出来たのだった。

「ふう~、サッパリした。二人とも、サンキュ―――、って、うわぁ!?」
 礼を言おうとして振り返った悠人は再び前を向いて絶叫した。
「何で二人とも上を隠してないんだよ!?」
「アレ?」
「ユート様みたいに腰に巻いただけじゃダメなのかなぁ?」
 首を傾げ、二人は確認する様に自分たちの胸に手を当てた。
 それだけの事でいとも容易く隠れてしまう二人の胸である。
 しかし、そんないつ外れてしまうとも分からないもので隠されてしまっても、かえって悠人は落ち着かないのである。
「俺は男だから下だけ隠せば良いけど、二人はちゃんと上も隠さなきゃ駄目だろ」
 見えてしまったモノを払拭する様に、悠人は声を上げて注意した。
 鎮まりかけていたモノも一瞬反応しそうになり、悠人はかなり生きた心地がしなかった。
「それも決まりなの?ユート様」
「街でも胸の肌蹴た男はいても女の人はいないだろ?風呂場でも一緒だ。って言うか、どの世界でもそれは一緒じゃないのか?」
「う~…。でも、ネリーたちユート様と同じ短いタオルしか持ってきてないや」
「ネリー。巻き付けるんじゃなくて、こうやって前に掛ければ大丈夫だよ」
「あ、ソレ良いかも。シアー、頭良い~。ユート様、これで全部隠れたよ」
「シアーもだよ~」
「あぁ、一応二人とも大丈夫だな…」
悠人が怖る怖る振り返ると、そこにはタオルで前を隠したネリーとシアーが立っていた。
 隠す所は隠れているものの、二人とも恥ずかしがっている様子は微塵も見受けられず、ネリーに至っては寧ろ堂々とさえしている感さえ漂っていた。
 今一隠している感じが無いのだが、それでも悠人はやっと出来た目の遣り場に素直に安心したのだった。

 と、ふと悠人は気が付いた。
「ん?ネリー?」
「ネリーだよ?どうしたの?ユート様。ネリー、何か変?」
 怪訝そうな表情を浮かべた悠人に、ネリーも不思議そうな表情で返した。
 悠人にこんな顔をされるのは初めてなのでネリーは少し戸惑っていたが、内心は期待半分不安半分と言った具合である。
「いや、変と言うか何と言うか…。髪を下ろしたネリーって俺見た事無かったから、その、珍しくて。へぇ、そんな風になるんだな…」
 悠人が感心して指摘した通り。いつも頭頂で結わえられているネリーの髪が見事に解かれ、腰辺り迄真っ直ぐに広がっていた。
 時折流れていく水滴が浴場の明かりを映してネリーの青い髪をキラキラと彩る光景に悠人は思わず見入ってしまい、ふと我に帰った。
「って、悪い。二人にジロジロ見るなって言っておいて、俺が見てたら駄目だよな。体も洗ったし、俺はそろそろ上がる―――っくしっ!」
 浴場から出ようとして、悠人は大きなくしゃみをした。どうやら、少し冷えてしまったらしい。
「ユート様、体が冷えたの?」
「ちゃんと温まらないと風邪引いちゃうの、ユート様」
「あ、あぁ。そうだな…」
 尤もな正論に反論出来ず、悠人は素直に湯船に沈むのであった。

「えへへ~♪」
「~♪」
「ふ、二人とも、ちょっと近過ぎないか?これは…」
 右と左をネリーとシアーに挟まれ、膝を抱えた悠人はひたすら視線を前方に泳がせていた。
 一応前は隠れているものの、二人とも肩迄湯船に浸かっているのでタオルは湯の中を漂ってしまっているのだ。
 つまり、真横に佇んでいる悠人からは揺れるタオルの隙間から色々と零れたものが見れてしまうと言う非常に危険な状況であった。

 元の世界でバイトに明け暮れていた生活の為か、悠人には病気で仕事を休まねばならない事態を無意識に避ける習慣が付いていたのかもしれない。
 頑丈さが取り柄だと悠人自身も思っていたが、世話を焼いてくれる佳織やこの様に己の限界を超えない無意識の安全弁のお陰で健康を維持してきたのだろう。
 加えて、湯船に浸かるや互いの体を洗い始めた二人を見て、悠人は洗い終わる前に体を温めて上がれば良いと思っていたのだ。
 悠人、これが致命的なミスであった。
「よ~っし。シアー?いっくよ~!!」
「うん」
 やけに気合いの入った声であると、そう思った時は遅かった。
「よ~し、終わりっ。じゃあシアー、お願い」
「えぇっ!?」
 二人が洗う為にタオルを外した辺りから悠人はそっぽを向いていたので分からなかったが、どうやら電光石火の早業で洗い終えた様である。
 そんな戸惑う悠人を余所に、今度はシアーがネリーを洗い始めた。
「じゃあ、いくね?えっと、ゴシゴシ…」
 シアーののんびりとした台詞に悠人は少し落ち着きを取り戻した。
 流石にネリーの髪を洗うとなれば時間が掛かるのは当然で、現にさっきのネリーよりも時間が―――
「じゃば~…。ネリー、全部洗ったよ?」
「って、早いだろ!?どう考えてもっ!!」
 悠人が突っ込んだ時には既に時遅く、排水溝には二人の泡が流れ去っていた。
「ユート様~、隣に入るね?」
「シアーも~」
「あ、え…」
 気が付けば再び前をタオルで隠したネリーとシアーが気持ち良さそうに悠人の隣で湯船に浸かり、至福の表情を浮かべていた。
 勿論、言われた通り二人は抱き付いてきたりはしないが、代わりに剥き出しの腕を悠人の腕に密着させてきた。
 その表情はとても幸せそうで悠人と一緒に風呂に入る事を純粋に楽しんでいる様であった。
 一方、目の前に漂ってくるネリーの髪を指先で弄りながら、悠人はこの状況を如何に打開すべきかと悩むばかりであった。

「ユート様とおっ風呂~♪」
「おっ風呂~♪」
 そんな悠人の気も知らず、ネリーとシアーは上機嫌にそんな事を口ずさんでいた。
「えぇっと、何で二人ともそんなに俺と風呂に入りたかったんだ?」
「だって、オルファがユート様と一緒にお風呂に入った事があるって言ってたんだもん」
「だから、シアーたちも一緒に入りたくなったの」
「あ~、オルファか…。いや、別にウチではそれが普通ってワケじゃないんだけどな?」
 言いながら、悠人の頭の中にオルファリルと張り合うネリーの姿が浮かんでいた。
 何と無く似た処のある二人なだけに互いにライバル心を抱いているらしく、悠人もそんな二人の遣り取りをよく目にしていた記憶があった。
「それに、カオリ様もユート様と一緒にお風呂に入った事があるって言ってたよ?ねぇ、ユート様。兄妹だったら一緒にお風呂に入ったり寝たりするものなんだよね?」
「ユート様は、シアーたちのお兄ちゃんだもん」
「いや、小さい時はそうかもしれなかったけど、もう今じゃ入らないぞ?
それに、ネリーやシアーくらいの年なら、俺と一緒に風呂って言うのは拙いんじゃないのか?」
「何で?」
「何でって言われても、やっぱり恥ずかしいからじゃないのか?お互い…」
「ネリーは平気だよ?」
「シアーも~」
「いや、俺が平気じゃないから…。それより、二人とももっと恥じらいを持とうな?」
「はじらい?」
「?」
 首を傾げる二人の頭の上に疑問符の幻覚が浮かんで見え、悠人は天井を仰いだ。
 同じスピリットでもエスペリアやヘリオン、セリアやヒミカたちは一般的な羞恥心を持っているのに、何故持つ者と持たざる者の差で出来てしまうのか。
 目の前の二人は無垢と言うには余りにも無防備であった。

「ユート様…」
「シアーたちと一緒にお風呂に入るのは、イヤ…?」
 悠人の雰囲気を感じた二人が途端に不安そうな表情を浮かべた。
 解っている。二人はただ悠人と一緒に風呂に入れればそれで良いのであって、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
 しかし、それを手放しに受け入れる事は悠人の倫理感が許さないのである。
 悠人は何とか二人に納得して貰うべく、必死になって頭を働かせていたのだった。
「別にネリーやシアーとこうやって風呂に入るのは嫌ってワケじゃないさ。
風呂に限らなくても一緒に飯食ったり買い物したりするもの全然嫌じゃない。
だけどさ、いくら仲が良くても何でも一緒ってワケにはいかないんだ」
「どうして?ユート様」
「それも決まりなの?」
「う~ん?決まりとは違う気がするな…」
 明確な答えを知っているわけでもないが、それでも悠人は気の赴く儘に言葉を続けた。
 多分、答えなんて人それぞれなのであろう。
 ならば、思った事を正直に二人に言ってしまおうと悠人は考えた。
 それ以外に二人に語る言葉を悠人は持っていはいない。
 何処まで伝わるかは分らないが、言わないよりは遙かにマシだと思ったのだ。
「何て言えば良いんだろうな?え~っとそうだな。『違い』、かな?」
「『違い』?」
「人間とスピリットの?」
「違う違う。男と女の違い。まぁ、スピリットには男がいないからアレだけど、それでも男と女の違いって言うのはあると思うんだ。
だから、人間とかスピリットとかは関係無くて、俺は男で二人は女の子だろ?
その違いが微妙なんだけど、何でも一緒に出来ない理由を作っているんだと思う」
「男と女の違い?」
「それが無いとどうなるの?ユート様…」
「さぁ?多分、俺とこうして風呂に入るのと、他の皆と入るのが同じになるんじゃないのか?取り敢えず…」
「皆と同じ?」
「?」
 悠人の抽象的なモノ言いに今一つ真意を掴めない二人は首を傾げるばかりであった。

 そんな二人であったが、悠人も感覚で語ってしまった自分の言葉に内心首を傾げていたのであった。
(まぁ、俺も自分で何を言ったのか良く解ってないしなぁ…)
 考えて物を喋らない自分に呆れつつも、悠人は何やら考え始めた二人から静かに離れて湯船から出た。
 体は既に温まっていたし、撤退するなら今が好機であろう。
 悠人は手早く体を拭き上げ、脱衣所の扉へと手を伸ばした。
 と、
「ネリー、シアー。脱衣場の扉が開けっ放しだったわよ。廊下に湿気が漏れると建物が傷むからいつも閉めなさいって言ってるでしょ?
それに、脱いだ服はちゃんと棚に仕舞いなさい。一応、棚に入れておいたけど、どれがどっちの服か判らなかったから纏めといたわよ。
大体、お風呂を借りに来てるんだから、こんな振舞いじゃユー―――…」
 開かれた浴場の扉の向こう。
 悠人の視線の先では、目が合ったセリアが一糸纏わぬ姿でポカンとした表情を浮かべて固まっていた。
 勿論、髪は解かれ、手にはタオルが握られており、いかにもこれから一っ風呂浴びようかと言う出で立ちである。
(へぇ、セリアって髪を下ろしたらこんな感じになるのか…)
 などと暢気に現実逃避をする一方で、悠人の頭の中では激しく警鐘が鳴り響いているのであった。

「きゃあっ!?ゆ、ユート様っ!?」
「うわぁっ!?せ、セリア、ご、ゴメン!!直ぐ上がるからっ!!」
 局所を隠して叫ぶセリアの脇を通り抜け、悠人は脱衣所へと飛び込んだ。
 しかし、置いてあった筈の自分の着替えが見当たらず、悠人はからり情けない格好で脱衣所を探し歩く羽目になっていた。
「ゆ、ユート様。どうして此処に?」
「いや、一応俺が風呂に入ってるって貼り紙がしてあった筈なんだけど?」
「わ、私は入る時に扉を閉めただけで、気が付きませんでした」
「じ、じゃあ俺の服は?脱衣場の目立つ所に置いといたんだケド」
「た、多分、二人の服と一緒に棚入れたのかも知れません。それ以外には何も見当たりませんでしたから…」
「そっか。じ、じゃあ、セリアも風呂を楽しんでこいよ?俺はもう上がるから」
「言われなくてもそうしますっ!!」
 そう言うと、セリアは大浴場へ入り、ぴしゃりと扉を閉めた。
 一方、心臓は未だ驚いているものの、悠人は一応の事態の収束に安堵の溜息を吐いた。
 扉の向こうから何やら話し声が聞こえてきたが、一刻も早くこの場を退散したかった。
 二人の服の詰まった棚を見据え、悠人は急いで自分の着替えを探し始めた。
「ユート様、申し訳ありません」
 悠人が探し始めた直後、そんな台詞とともに勢い良く脱衣場の扉が開かれた。
 手にお玉を持った必死な表情のエスペリアであった。
「料理の支度に夢中になって、ユート様の言い付けをちゃんと守れませんでし―――た?」
「いや、これは別にヤマシイ事をしているワケではなくてだな…」
 背中に冷や汗が流れるのを感じながら、悠人は懸命に弁解を試みていた。
 たとえ腰巻一丁で女の子の服の塊に手を突っ込む姿であろうと、話し合えばきっと解って貰えると信じて。
「………」
「………、っくし!!」
 寒い。
 そう思う悠人であった。