Twinkle fairies

二章:その手で守るものは…

「はぁ…」
 頭から湯を被り、セリアは大きな溜息を吐いた。
 顔から火が出そうな失態であった。暫くは悠人とはまともに顔を合わせられそうにないだろう。
(見られたわよね…)
 間近で向き合っていたので全身が視界に入る事は無かったが、互いの上半身は間違い無く見えていた。
 一瞬ではあったが、セリアには強烈な印象が瞼の裏に焼き付いてしまっていた。
 悠人が体を鍛えているのは知っていたが、改めて見てみるとその逞しさにセリアは驚かされた。
 太く力強い腕や盛り上がった肩、鎧の如く体を覆っている隆起した筋肉、そして広くて大きな背中はとても自分たちには持ちえないものであった。
 恐らく、アレが男の子の体なのだろう。女性しかいない自分たちスピリットとは何もかもが違っていた。
(―って、これじゃ私がユート様の裸を見たみたいじゃない。見られたのは私なのよ?)
 我に返り、セリアは気を取り直して自分の体を洗い始めた。
(早くお風呂の調子が直ってくれれば良いんだけど…)
 先のエーテルコア暴走の煽りを受け、ここ連日のラキオスでは至る所でエーテル施設の復旧に大童となっており、当然軍事施設は復旧対象の筆頭でありスピリット関連の施設もこれに含まれていた。
 しかし、あまり影響を受けなかった第一詰所の設備を利用すれば良いと言う事で第二詰所の本格的な復旧は後回しにされていたのであった。
 尤も、火も明かりも儘ならない人々からしてみれば入れる風呂が近くにあるスピリットたちの風呂をわざわざ優先的に直す必要が感じられないのも仕方の無い事である。
(でも、よりにもよってユート様に見られるなんてツイてないわ…)
 同性のスピリットならば今更恥ずかしがる事も無いのだが、初めて異性に肌を晒してしまった事。
 しかも、その相手が悠人であった事はセリアにとって何気にショックであった。

 洗う手を止め、セリアはふと自分の体を見下ろした。
 同僚のあの三人程ではないがそれなりには育ってはいる、と思う。
 街で見かける同年代の娘たちと比べてもそう引けを取ってはいない、筈である。
 スタイルが良ければ恥ずかしくないと言うわけでは無いが、万が一、万が一であるが悠人が自分の体を見て否定的な感情を抱かれるのも癪である。
 別段良く思われたいなどとはつゆにも期待しない様に、セリアは体の隅々をチェックし始めた。
(そうね。余計な脂肪が付いてないのは良いけど、筋肉が付いてるって言うのはどうなのかしら?胸は、まぁ平均的よね?
一応、アセリアよりはあるもの…。手や足は胼胝で堅くなってしまってるけど、ユート様は気にしてないみたいだし…)
 自分の掌を眺めながら、セリアはこの前の訓練の事を思い出した。

当時、悠人は剣の振り過ぎで肉刺を潰してしまったのだが本人は我慢して訓練を続けていた。
 普通は肉刺が潰れたくらいでは周囲に気付く者などいないのだが、悠人の手がマナの燐光を帯び始めたのに気付いたネリーとシアーが見兼ねて手当をしたのである。
 開いた手は血塗れマナ塗れで皮はズルズルの酷い有様になっており、手当をしたシアーなどは思わず涙ぐんでしまっていた程であった。
「も~、見てたネリーたちの方が痛かったんだからね?」
「ちゃんと手当しないと。黴菌が入ったら大変だよ?ユート様」
「痛ててて…。訓練してた時はそこまで痛くなかったんだけど。でも、サンキューな二人とも」
 他の訓練の邪魔にならない様に三人は訓練場の隅で手当をしていたが、その時、悠人の負傷を知ったエスペリアは回復魔法を掛けようと『献身』を携えて駆け寄っていた。
「ユート様。怪我をされたのでしたら、私が―」
「そ~ぉれ~♪」
 のんびりとした掛け声とは裏腹に、紫電を纏った『大樹』がエスペリアのそのブラウンの髪数本をマナの塵に還して鼻先を掠め、訓練場の壁深くに突き刺さった。
「きゃあ!?い、今のは<ライトニング・ストライク>!?」
「え~っと、偶には私の相手をしてくれませんでしょうか?エスペリア」
 突然の妨害に泡を食ったエスペリアが視線を向けると、そこには笑顔を浮かべてこちらに向かって来るハリオンの姿があった。
 後方には今まで相手をしていたのだろうヒミカがいるのだが、何故か諦めた表情で休憩していた。
「ハリオン、貴女はいつもヒミカと訓練なさっているじゃないですか」
「ですから~、偶には、ですよ~?」
 そのままエスペリアの前を横切り、ハリオンは何でも無いと言う調子で壁に刺さった『大樹』を引き抜いた。

「お相手でしたら後程致します。ですから、今は私にユート様の手当を―」
「あらあら~、やっぱりそうだったんですね~。駄目ですよ、回復魔法なんて使っては~」
 依然として笑顔のままのハリオンであったが、エスペリアは放たれるプレッシャーをひしひしと感じていた。
 手元の『献身』が警告を発し、気が付けばシールド・ハイロゥが展開されていた。
「あらあら~?脅かしちゃったんでしょうか~?」
 ハリオンの言葉に、エスペリアの形の良い眉が僅かに上がった。
 本人に悪気は無いのだろうが、本能的に恐れを抱いた事を見透かされた気がしてエスペリアとしては少し面白くない気分になった。
「貴女もユート様の手当をしたいのですか?ハリオン」
「え~?違いますよ~。でも、ユート様を手当して差し上げたいかどうかと言われればしたいですねぇ~」
「違わなくないじゃないですか…」
「そうですね~。ですけど、今は私たちが魔法で治したら駄目なんですよ~?だから、エスペリアには私と一緒に訓練して貰いますね~」
 点が見えた瞬間。それが刺突であると気付いたのはエスペリアのシールドが展開された後であった。
 しかし、超絶の脊髄反射で構築された言わば本能の防御の盾であったそれはハリオンの『大樹』に貫かれ、エスペリアは堪らず『献身』で火花を散らして受け止めていた。
「正気ですか、ハリオン!?今の一撃は本物でしたよ!?」
 戦慄と共に噴き出た汗がエスペリアの背中を流れていった。
 全力と迄はいかないが、まともに入れば怪我どころでは済まない一撃であったのだ。

「あらあら~?私はいつも真面目に訓練してるんですけどね~?エスペリアも本気で打ち合わないと~怪我、しちゃいますよ~?」
 のほほんとした雰囲気はいつもの儘で、ハリオンは怒涛の槍撃を繰り出してきた。
 突いたと思えば薙ぎ払い、弾いたと思えば返しの一撃が来る。
 一見、闇雲に振り回している様に見えるハリオンの攻撃であったが、そのどれもが鋭く、重く、そして巧妙であった。
 機先を取られて防戦に回っていたエスペリアであったが、全てを防ぐのに精一杯で攻撃に転じる機会を図りかねてしまっていた。
「あ、でも~、もし怪我しちゃいましたら私が治しますから大丈夫ですよ~」
 その言葉に、エスペリアの中で何かが、カチン、とキた。
「貴女には負けません。全力でいきます!!」
 全力でシールドを展開し、エスペリアはハリオンを弾き飛ばした。
「やぁん!!」
 間延びした悲鳴を上げたものの、ハリオンは空中で器用に体を捻り、体勢を立て直して綺麗に着地した。
 弾き飛ばされる瞬間に発生させた自分のシールドで相殺し、受けるダメージを完全に無効化していたのであった。
「やぁっ!!」
「え~いっ!!」
 二人の一撃が衝突し、続いて嵐の様な応酬が繰り広げられた。
 刃、柄、石突。指、手甲、肘、腕、脚、踵、脚甲、爪先。
 槍だけではない。彼女たちは自身の全てを武器として戦い、ぶつかり合った。

「へぇ~、エスペリアたち凄く気合い入ってるなぁ…」
 よもや原因が自分だとは夢にも思っていない悠人は、そんなふたりの遣り取りを眺めながら呑気な台詞を吐いていた。
 エスペリアが相当の使い手である事は悠人自身が身を以て知っていたが、まさかのハリオンのあの強さに悠人は驚いてしまった。
「ハリオンって守ったり回復してるイメージがあったけど、本当はあんなに強かったんだな」
「アレ?ユート様知らないの?ハリオンの『大樹』は六位だからヒミカやファーレーンと一緒で、ラキオスのスピリットの中じゃ一番位が高いんだよ?」
「そうなのか?でも、いくら神剣の位が高いって言ってもあの強さは本人のものだと思うけどな。
実際、俺の『求め』は四位だけどあんな戦いなんてまだ無理だし。―っ痛っ!?」
「あ…、痛かった?ごめんなさい、ユート様…」
 悠人の声に手当をしていたシアーが申し訳なさそうな表情を浮かべたが、悠人は首を振って苦笑で済ませた。
「消毒が少し染みただけだから、気にせず続けてくれ…」
「うん、ちょっと我慢してね?ユート様」
 そうは言ったものの、その後は特に痛みを感じる事も無くシアーは手際良く悠人の手当を済ませた。その見事と言っても良い手際に、悠人は素直に感心してしまう。
「へぇ、上手いモンだな。シアーってこう言うのが得意だったんだな」
「得意ってわけじゃないけど、一応一通りの手当は出来るの」
 悠人に褒められて嬉しいのか、謙遜しながらもシアーははにかんだ笑みでそう答えた。
「ネリーも出来るよ?ユート様。包帯でグルグル巻くと楽しいよね~?」
「ネリーの手当が大体判った様な気がするな…」
「アレ?何か期待してた反応と違う?」
 そんなネリーに苦笑しつつ、悠人は手を開閉して手当の具合を確かめていた。

「けど、肉刺が出来るのってちょっと懐かしいかも。ネリーたちも訓練し始めた頃はいっぱい作ってたよ?」
「シアーも出来てたよ」
 悠人の仕草を見た二人が懐かしそうにそう言った。
「今はもう堅くなって平気なんだけどね。触ってみる?ユート様」
 手甲を外し、ネリーは手の平を悠人に差し出した。その手には、悠人の肉刺と同じ場所にすっかり堅くなった胼胝が出来ていた。
「あぁ、堅いな…」
 ネリーの手を悠人は包み込む様にして触った。
 部活やバイトではない、長年の訓練に因って出来た胼胝の堅さに悠人は驚き、そして遣る瀬無い気持ちになった。
 剣を握らされ、血に染められてきたスピリットたちの手。
 生きてきた世界が違うとは言え、この世界の常識は未だ悠人には受け入れられそうになかった。
「えっと、ユート様?」
 悠人の雰囲気の変化を感じ取ったのか、ネリーが視線を泳がせながらシアーを見た。
 だが、シアーも何が原因なのか、どうすれば良いのか分からずに不安気な視線を返す事しか出来ない。
 居た堪れなさに耐え切れず、ネリーは茶化す様に口を開いた。
「もしかしてユート様は堅い手って嫌い?」
 ネリーの問いに、悠人は頚を振って否定した。
「嫌いじゃないさ。それだけネリーが頑張ってきたって事だからな…。シアーも、他の皆もきっといっぱい頑張ってきたんだと思う…」
 戦争の道具として運命られたかの様に神剣を手にして生まれてくるスピリットたち。
 人間たちによって血に塗れた道を歩かせられている彼女たちだが、悠人は彼女たちを不幸な存在だとは思いたくなかった。
 思った瞬間、悠人自身が彼女たちを不幸にしてしまうと思ったのだ。同情でも憐れみでも良い。
 だが、不幸な存在と決め付けて彼女たちに接したくはない。
 笑って欲しい、幸せになって欲しい。
 誰よりもそれ願うが故に、悠人は尚更に彼女たちの存在を受け入れたかった。

「だからさ、俺は皆の手がどんなに堅くっても全然気にしないから。その手で皆は大切なものを守ってきたんだろ?
そりゃあ取り零したり落っことしてきたものだってあるかもしれないけど、少なくとも皆はこうして俺に会ってくれた。生き伸びててくれたんだ。
俺だって皆が助けてくれたからこの世界で生きてこられた。立派な手なんだ。それに比べたら俺の手なんてまだまだだよ」
 自分を叱咤する様に、悠人は手当てされた自分の手を眺めた。
「違うよ、ユート様!ユート様の手はね、いっぱい、い~っぱいネリーたちに元気をくれてるよ!」
 握られていた手を握り返し、ネリーは悠人に詰め寄った。
「ユート様の手はね、どんなに美味しいお菓子やマナよりもネリーたちを元気にしてくれるんだよ?
どんなに訓練が辛くても、戦場で死にそうでも、ユート様がネリーたちに手を差し伸べてくれるから頑張れるんだよ?
だから、ユート様はまだまだなんかじゃないよ。ユート様はね、ちゃんとネリーたちを守ってくれてるの」
 そう言うとネリーは悠人の手を自分の胸元に押し当てた。
 そうして心に触れさせるかの様に、守らせるかの様に。そして信頼の証を示すかの様に。
 悠人は、ささやかだがそれでもちゃんと女の子を感じさせる柔らかさにドキリとさせられてしまっていた。
 しかしその一方で、同時に伝わってくるネリーの体温や心臓の鼓動に不思議と穏やかな気分にもなっていた。
「シアーもね、ユート様の手は大好きだよ。大きくて、温かくて、優しくて…。こうしてるだけでシアーの中に幸せが広がっていくんだよ?
だから、もっといっぱい撫でて欲しいな、ユート様…」
 空いていたもう一方の悠人の手を取って、シアーは自分の頭に載せてそう呟いた。
 ふわふわした髪に感触を楽しむ様に悠人が頭を撫でると、シアーも目を細めて頭を摺り寄せてきた。
「あ~、ネリーも、ネリーも~」
「分かった分かった、俺で良かったら幾らでも撫でてやるからな?」
 せがんで来たネリーに苦笑しながら、悠人はネリーの頭を撫で始めた。
「二人とも、サンキュ…」
「えへへ~♪」
「~♪」
 悠人は微笑み、二人の頭を暫くの間撫で続けていた。

 もし、ハイ・ペリアの世界の人々が悠人の様な人間ばかりならば、本当にハイ・ペリアは理想郷なのかもしれない。
 そんな想いを抱かずにはいられない出来事だった。
 戦う事でしか存在を認められないスピリットたちを在りの儘に受け入れようとしてくれる悠人。
 ネリーの言う通り、悠人の存在はスピリットたる自分たちにとって確かに救いであった。
 自分はもう素直な態度は取れないけれど、代わりにあの子たちが悠人を助けてくれるだろう。その時は出来る限り応援してあげたい。
 何故か胸が少し痛かったが、セリアはそれに気付かない事にした。
 でも、この思い出と一緒にいつまでも大切に覚えていよう。
 いつかマナに還るその日まで、自分たちスピリットに愛情を注いでくれた心優しき勇者がいた事を。
 訓練場の隅で、後から来たニムントールに回復魔法を掛けられていた二人の緑は記憶の片隅に置いといて…。