Twinkle fairies

二章:両手に花

「………」
「………」
「………」
 無言の重圧の中、悠人は途方に暮れていた。
「いや~、やっぱりあの屋台のヨフアルは美味いな」
 悠人がそれと無く言ってみるが、
「うん、そうだね…」
「美味しいね、ユート様…」
 悠人の両脇の二人は何処か歯切れの悪い反応を返すばかりであった。そんな二人を眺め、悠人は内心で首を傾げる事しか出来ない。
(一体、二人ともどうしたんだ?)
 ハリオンたちと別れてからずっとこんな調子なのだが、悠人には皆目見当が付かなかった。
 何と無く二人の機嫌が良くない事は雰囲気で伝わってきたが、離れるどころか益々くっ付いてくる二人の行動に悠人の困惑は増すばかりである。
 それと無く二人の様子を伺ってみるものの、二人が一心不乱にヨフアルを囓っているばかりで何を考えているのか分からなかった。
 寧ろ、考えない様にしている様にも見えてくる。
 と、悠人はある事に気が付いた。
(ん?ネリーの口元にクリームが付いてるな…)
 無心で食べているネリーの口元にはヨフアルのトッピングのクリームが付いていた。
 態度は普段と違うが、そこにいつものネリーを見付けた気がして悠人は安堵した。
「ネリー、ちょっと動かないでくれるか?」
「え、何?ユート様?ひゃうっ!?」
 苦笑を浮かべ、悠人はネリーの口元に指を這わせた。そのままクリームを掬い、自然な動作で指を舐める。
 肌理の細かい、さっぱりとした甘さが舌の上で雪の様に解(ほど)けていく。成程、主役はあくまでヨフアルであると言う屋台の親父の拘りが伝わってくる逸品であった。
「ゆ、ゆ、ユート様…!?」
 魚の様に口はパクパクさせ、ネリーは顔を真っ赤にして悠人を見上げていた。
 そんなネリーの態度に悠人は今更に己が行為の意味に気が付き、顔を真っ赤にして狼狽えたのだった。

「わ、悪い、ネリー。その、考えも無しにやっちゃったから…。えぇっと、嫌だったよな?ゴメン…」
「べ、別に良いよっ!?ね、ネリーはく、くくく、く~るな女なんだから、そそそ、そんな事くらいじゃ全然気にしないんだからねっ!?
いつでも大丈夫なんだからっ!!」
 呂律が回っていない上に、意味不明なネリーであった。
「むぅ~…」
 そんな二人を羨ましそうにシアーが眺めていた。口元をなぞってみても、行儀の良いシアーには取ってくれそうなモノは何も付いていない。
「あ…」
 だが、シアーは閃いた。悠人の口元。そこに釘付けになった。
 そう
「ユート様」
「ん、どうしたんだ?シアー」
 綺麗にして貰えないのなら
「動いちゃダメだよ?」
「え?し、シアー…?」
 れろ、ん…
「―っ!?」
「あーっ!?」
 綺麗にしてあげれば良いのだと。
「えへへ…。これで綺麗になったよ?ユート様」
 ヨフアルの欠片を舐め取り、シアーは得意そうに笑っていた。悠人の食べているヨフアルの味も共有出来るのだからこれ以上の役得は無いだろう。
 目の前の悠人の顔が更に真っ赤になった。そんな困った表情の悠人を見て、シアーは無意識に唇を湿らせた。
(い、今、口の中にっ!?)
 悠人のヨフアルの味が分かって当然のシアーは気付かなかったが、実は悠人もシアーのヨフアルの味が分かってしまっていた。
 つまり、
(え?俺、シアーとキスしちゃったのか!?)
 血が上り、思考が吹き飛びそうになる悠人だが、そんな動揺すら許さない程に事態は加速し始めていた。

「あ~っ!!シアー、ズ~ル~い~っ!!」
「ず、ズルくないもん。それに、ネリーだってユート様に綺麗にして貰ってたもん」
「それならネリーが綺麗にしないとダメでしょっ!?何でシアーがやっちゃうの!?」
「し、シアーだってユート様に何かしてあげたいんだもん。お返しだとかそんなの関係無いもん。シアーがしたいからするんだもん!!」
 ネリーの抗議にシアーは真っ向から反論していた。普段の大人しい性格を考えればそれだけで驚くに十分である。
 悠人にはもうワケが解らなくなってきていた。
「えっと、二人とも。少し落ち着―」
「ユート様は黙ってて!!」
「これはシアーたちの問題なの!!」
「ハイ、スイマセン…」
 鎮静化を促そうと試みた悠人の言葉は、二人の一喝に敢え無く打ち砕かれた。
 両側から腕を取られている悠人としては当事者である気がしないでもないのだが、熱くなった二人には言葉では少し届き辛くなっているのかもしれない。
 悠人は小さく嘆息し、反目し合っている二人の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「あぅ…」
「はぅ…」
 少し頭が冷えたのか、二人の態度が落ち着いたものになる。そのまま二人の頭を撫で、悠人は宥める様な口調で話掛けた。
「まぁ、俺としては二人が仲良くしてくれると嬉しいんだけどな?」
「う~…」
「でも~…」
 困惑した表情でネリーとシアーが見上げてきた。その二人の視線に不満ではなく不安を感じ取ったのは悠人の誉れであろう。
 長年、佳織を不安にさせたくないと努めてきた悠人は他人の負の感情に対して覚える事が鋭くなっていたのかもしれない。


「大丈夫だって。何が不安なのかは分からないけど、俺が付いてるからな。って、言ったら不安かな?」
「ユート様…」
「…」
 ネリーとシアーの体から力が抜け、悠人はそのまま体を預けてきた二人の背中に腕を回した。
「えへへ~♪」
「~♪」
 悠人の腕を両手で胸に抱き、二人は悠人の腕の中に納まる様に互いに寄り添った。さっきまでとは違う、嬉しそうな笑顔に悠人は漸く安堵の表情を浮かべた。

「いや~、見ててハラハラしちゃったよ。ユート君」
「れ、レムリア!?いつから居たんだ!?」
 弾かれる様に顔を上げると、そこには紙袋を抱えたレムリアが立っていた。
 袋の口から覗いているヨフアルから察するに、恐らく袋の中身はヨフアル。それも相当な量なのであろう。
 相変わらずのヨフアル中毒である。
「えっと、街でネリーちゃんとシアーちゃんと三人で腕を組んで歩いてる所からかな?
話掛けようとしたんだけど何か気拙そうな雰囲気だったし、でも私もヨフアル食べに来てたからそのまま来ちゃったんだけど…。
気を悪くしちゃったらゴメンね」
「あぁ、別に俺は構わないんだけど…」
 そう言いながらも、悠人の背中にはじっとりと汗が滲み出していた。
 先程と同じ、否、先程よりも更に重くなっていく空気を悠人は感じていた。発生源は悠人の腕の中であった。

「ユート様、この人は?」
「シアーたちの事、知ってるの?」
 悠人にしがみ付きながら二人は訝しむ様にレムリアを見上げた。
 しかし、そんな二人の態度に気を悪くするでも無く、レムリアは寧ろ喜色を浮かべて二人に話し掛けてきた。
「ふふっ、ネリーちゃんとシアーちゃんって割と有名なんだよ?双子のスピリットなんて凄く珍しいからね。
それと、私はレムリア。宜しくね、二人とも」
「う、うん…」
「よ、宜しく…」
 そんな二人の態度に悠人は違和感を覚えた。
「どうしたんだ?二人とも」
 人見知りをしてしまうシアーならまだしも、天衣無縫を絵に描いた様なネリーまでもが萎縮している事に悠人は驚いた。
(もしかして、レムリアを恐がってるのか?)
 一瞬、そんな考えが浮かんだが悠人は直ぐに思い直した。
 レムリアの人柄はよく知っているつもりであったし、何より彼女はスピリットに対して偏見を持たない数少ない人間であった。
 好かれこそすれ、嫌われる理由が無い。悠人自身、レムリアに対する心証は頗る良いとも言えるのだ。
 しかし、レムリアは何故か場都(ばつ)の悪そうな表情で笑っていた。
 一体何の負い目を感じてるのか、悠人にはさっぱり分からなかった。
「あはは…。まぁ、そりゃあ警戒されちゃうよね~?」
「あぅ…」
「むぅ…」
 一応、それで当人たちは納得したらしい。
「女の子には色々と秘密があるんだよ。ユート君」
 一向に話が見えない悠人に、レムリアは悪戯っぽく笑うのであった。

「いや~、それよりも、ユート君」
 意地の悪い笑みを浮かべたレムリアが悠人たちを見下ろしていた。
「何とも羨ましい状況だね~」
「いや、これは、その…」
 耳まで真っ赤になりながら、悠人は言葉に詰まった。改めて顧みれば、二人の女の子を両脇に抱えて仲良く抱き合っているこの状態。
 軟派だと罵られて、一体どんな申し開きが出来るだろうか。
「でーとだよ」
「でーとなの」
 悠人に擦り寄りながら、ネリーとシアーが同時にレムリアに言い放った。
 意外と強い二人の口調に悠人は驚いたが、それよりも目の前のレムリアが目を丸くしている方に驚いた。
 何と言うか、ここまではっきりと言われるとは思っていなかった様である。
「へぇ、そうなんだ…」
 それから顎に指を添え何度か小さく頷くと、レムリアはネリーとシアーを眩しそうに眺めた。
「ふふっ。そっか、デートかぁ…。羨ましいな~」
「ゆ、ユート様はネリーたちのだからねっ!?」
「と、取っちゃヤだよぅ?」
 さっきまでの威勢は何処へやら。二人は悠人にしがみ付くと怯え半分、威嚇半分でレムリアを見上げていた。
 そんな二人を見て、レムリアは丸でハリオンの様な笑みを浮かべていた。
「だ、そうだよ?ユート君」
 レムリアの言葉と視線を受け、悠人は何と無くそこに含まれるものを感じた。
 尤も、厭な気配ではなくて祝福の野次とでも言う気配である。
 一秒間、悠人は覚悟を決めた。
「まぁ、『両手に花』ってヤツかな?」
 表情は得意気に、内心は羞恥の呵責に耐えながら悠人は二人の頭を撫でた。

「『リョーテニハナ』?」
「どう言う意味なの?ユート様」
 案の定、耳慣れないその言葉に興味津々の二人が見上げてきた。
「俺の世界って言うか、国の諺かな。『リョウテ』って言うのは両手、『ハナ』って言うのは花って意味。まぁ、そう言う事…」
「へ~、ユート君にしては言うねぇ」
 悠人の説明を聞いて、レムリアがクスクスと笑った。
 からかわれているのだが、そこに下品な雰囲気が漂わない辺りが妙に不思議であった。
「?」
「?」
 理解出来ていない二人に、悠人も少し可笑しくなった。
「まぁ、さっきネリーが俺が二人のだって言ってただろ?だから『二人は俺のだ』って言ったら、その、言い過ぎかな?」
 多分、そんな一言で良かったのだろう。ネリーとシアーが大輪の花の様な笑顔を浮かべた。
 言葉に出さなくても伝わる事はあるが、言葉にする事で伝わったり得られたりするものもあるのかもしれない。
 そう、今の目の前の二人の笑顔の様に。

「ううん、良いよっ!!」
「シアーも~!!」
 これ以上くっ付き様が無いと思っていたが、それは悠人の思い込みであった。
「ふ、二人とも、少し苦しい…」
「あ…」
「ごめんなさい、ユート様…」
 両側から全力で抱き締められ、悠人の肺が絞られていた。もう少しで食べた物が戻りそうであった。
「そっか~、じゃあ仕様が無いね」
 笑顔で頷くと、レムリアは悠人に向き合った。
「二人の事末永く宜しくね、ユート君。二人を泣かせたりしたらこの国の王女様が黙ってないからね?」
「え?ちょっと、レムリア?」
 口調は軽いが、底の知れないレムリアの言葉の重圧に悠人は狼狽した。
 勿論、二人を不幸にするつもりなど更々無いが、もしそうなった場合には本当にレスティーナが出てきそうな予感がした。
 何故だか分からないが、レムリアの言葉を軽んじられない悠人であった。
「ユート様ぁ~♪」
「様ぁ~♪」
 悠人が背中に冷たいものを感じていた一方でネリーとシアーは幸せそうに頬擦りしていたのだった。