Twinkle fairies

二章:その胸に灯るもの

「えぇ~っ!?」
 第一詰所の玄関を潜って居間へと続く廊下。
 その扉越しに聞こえてきた少女の絶叫に、居間に入ろうとしたネリーとシアーは思わず身を竦ませた。
「か、カオリ様なのかな?」
「そうだと思うけど…」
 声を抑え、互いに目配せをした二人はそっと聞き耳を立てた。
 扉越しとは言え、人間のそれより遥かに優れた五感を持つスピリットにとって居間の会話を拾う事など簡単な事である。
 幸いな事に、エトランジェの二人はハイ・ペリアの言葉ではなく聖ヨト語で会話をしていた。
 悠人が佳織と呼んでいる事から悠人と会話している相手は佳織で間違い無いのだろう。
 一体どんな話をしているのだろうか。
 二人の会話に加わろうとしたネリーとシアーが扉に手を掛け様として、
「で、お兄ちゃん。お嫁さんにするなら誰が良いの?」
「……」
「……」
 二人の動きが凍りついた。
「ユート様の…」
「お嫁さん…」
 口に出したその言葉を二人は反芻していた。
 街で何度か見掛けた家族連れの幸せそうな光景。
 その光景を自分と悠人に置き換えてみると、それはとても甘くて温かいものだった。
「ほわ~♪」
「ふえ~♪」
 想像した幸せは想像以上に幸福なもので、紅潮した頬を両手で押さえ、二人は蕩けた表情でイヤイヤと頭を振った。
 ともすれそのまま大空に飛んで行ってしまいたかったが、流石にそこは理性が勝っていた。
 何としてでも悠人の返答を拝聴せねばならないのだから。
「う~ん…」
 思案に暮れている悠人の声を、二人は固唾を呑んで聞き入っていた。
 悠人は今、一体誰の事を思い浮かべているのだろう。

「「あっ…!!」」
 ふと気が付いた。
 悠人が自分たちを選んでくれなかったらどうなるのか。仮に選んでくれたとしても、自分たちの内のどちらを選ぶのか。
 自分だけ幸せにはなれない。少なくとも、目の前の半身が悲しんでいれば絶対に。
 いずれにせよ、悠人が誰かを選ぶ以上、残りの全員は選ばれないのだ。
「いないねぇ…」
 悠人の言葉に、二人は大きく息を吐いた。
 果たしてそれは安堵かそれとも落胆なのか、或いはその両方か。それは本人たちにも分からなかった。
「えぇ~?皆凄く綺麗で良い人たちばかりなのに」
 悠人の答えに佳織は残念そうな、そして少しだけ安心した笑みを浮かべた。
 そんな義妹の反応をどう判断すれば良いのか。分からない悠人には只苦笑するしかなかった。
 しかし、佳織の言った通り、自分の周りには魅力的な女性が多いと悠人は思った。
 スピリット隊に加えてレスティーナ女王までも候補に挙げられているのには驚いたが、容姿も能力も性格もどれもが全て申し分無いだろう。
 個性的ではあるが、それでも理想的であると言えた。
 確かに、誰かに惚れてしまっても不思議では無いのかもしれない。
「でも、今までそんな事考えた事も無かったしなぁ…」
 今日と明日を生きる為に必死だった悠人には恋愛事に関心を向ける余裕など存在していなかった。
 その点で言えばスピリット隊の皆も同じなのだから、お互いに異性として意識する暇など無かったのかもしれない。
 そう考えて、悠人は成程と一人で納得していた。
「まぁ、男と女が一緒に居れば必ず付き合うってワケでもないしな。
そりゃあ仲が良くなる事はあるかもしれないけど、惚れるとかそう言うのとは違うんじゃないか?」

「それはそうだけど…」
 今一つな表情の佳織であったが、この手の話題は長引かせればその分ややこしくなると経験で知っている悠人は出来るだけ素直な感想を吐くしかなかった。
 変に照れたり隠したりすると藪蛇に為りかねないのが恋愛の話題の危うさなのである。
「別に、俺は仲間や家族の絆が恋人の絆に負けてるなんて思わないけどな。
それに、俺は今のままでも充分だと思うし、特に恋人が欲しいとは思ってないよ」
「あはは。お兄ちゃんらしいけど、それじゃ結婚なんて出来ないよ?」
 悠人の言葉に、佳織は少し困った笑みを返した。
 若しかすると、妹である自分や幼馴染との長年の付き合いで悠人は異性に対して恋愛感情を抱き難くなっているのかもしれない。
 更に付け足すのなら、恐らく悠人には好みの女性のタイプは無いと思われた。
 如何に魅力的であっても悠人の心を射止める直接的な原因には無り得ない。
 惚れたから惚れた。悠人の恋とは多分そんなものなのだろう。
 一体、こんな悠人とどうやって恋に落ちれば良いのだろうか。未だに出ないその答えに、佳織は少し切なくなった。
「いや、そんなに俺の将来って心配なのか?」
 佳織の雰囲気の変化を自分への心配と受け取った悠人が気拙そうに頬を掻いていた。
 そんな悠人を見てしまっては佳織は苦笑するしかない。
 全く、大好きな兄は何処まででも疎いのだった。
「でも、やっぱり私としてはお兄ちゃんには素敵な恋をして欲しいな」
「う~ん…。そんな事言われても、やろうと思って出来るものじゃないしなぁ…」
「うん。だから、私はお兄ちゃんのペースで良いと思うんだけどね」
「そうだな、まぁ、のんびり行くさ。今はそれよりも気になる事があるし」
「気になる事?」
 佳織の言葉に、悠人ははにかむ様な表情で返してきた。

「目が離せないって言うか、危なっかしいって言うか…。いや、頼りにしてるし、どっちも俺よりずっと強いんだけどな?」
「どっちも?」
 要領を得ない悠人の説明に佳織は首を傾げ、そんな仕草に悠人も自分の言葉の足りなさに気付いた。
「佳織も絶対覚えてると思うけど、ネリーとシアーって言うそっくりな双子だよ」
 その言葉に佳織が得心の表情を浮かべた。
「うん、ちゃんと覚えてるよ。初めて挨拶した時は私もびっくりしちゃったし。二人ともすっごく良く似てたんだもん」
「それでさ、何か色んな意味で放っておけないと言うか、まぁそんな感じなんだよ」
「へぇ」
 悠人から始まった二人の話題に佳織は思わず聞き入っていた。
 何より、悠人がここまで誰かを気に掛けていると言う事が珍しかったし、悠人が二人をどう思っているのか興味が湧いてしまったのだ。
「今じゃそうでもなくなったんだけど、最初は本当に危なっかしくて冷や冷やしてたな。
まぁ、俺もエスペリアに心配掛けてたから人の事言えないけど…」
「あれ?お兄ちゃん、その手の傷…」
 佳織に指摘され、悠人は自分が右手の甲に刻まれた傷を眺めていた事に気が付いた。
 もう消える事の無い右手の傷。
 それを改めて眺めながら悠人はこの傷と共に刻んだ記憶を思い出していた。
「あぁ、これか?そうだな、まぁ、これがきっかけで二人と良く組む様になったのかもな」
 不条理な世界。愚かな人間たち。使い捨てられる数多の命。悠人にはどれもこれもが受け入れ難い事ばかりであった。
 その中で悠人が一番打ちのめされたもの。それは悲しみに暮れる二人の姿だった。
「絶対守るって決めたんだ。戦いとかだけじゃなくて、もっと色んなものからも…。
佳織や他の皆もそうだけど、俺は俺の大事な人たちが幸せになれない世界なんて間違ってると思う」
 守りたいものは、皆の笑顔だった。その為なら、いくらでも頑張れると悠人は思えた。

「だからさ、今は恋とかそう言うのより守りたいって事で精一杯なんだ」
「そっか、そうだね…。私もそれで良いと思うよ、お兄ちゃん」
 少しだけ眩しそうに、佳織は悠人を眺めた。
 二人を話す時だけに見せる悠人の表情。
 初めて見たその表情は思っていたよりもずっと優しく、温かく、そして微かに胸を刺した。
 その痛みを、佳織は嬉しさの後ろにそっと押し込めた。
 妹として、女性として、悠人の幸せを願っていたかった。

「………」
「………」
 手の甲の傷を眺めながら、ネリーとシアーは悠人の話を聞いていた。
 悠人の言う通り、あの時から二人は悠人の傍にいる様になったのかもしれない。
 否、いたいと思う様になったのだった。
 気が付けばいつも悠人を探し、見付ければ彼の元へ駆けていった。
 会えない時はいつも悠人を想い、会えない程に想いが募っていった。
 傍にいてくれるだけで嬉しくて、撫でてくれればその日はずっと幸せな気分になれた。
 もうどう仕様も無いくらい、二人の心の中は悠人で一杯になってしまっていたのだ。
 痛い程に他の皆とは違う、悠人だけへの『好き』。
 それに気付いてしまった。
「恋…、なのかな?」
「分かんないけど、そうだと良いな…」
 佳織の言っていた恋とはこの気持ちなのだろうか。

 悠人に恋をしている。
 そう思うと、二人に堪らない嬉しさが込み上げてきた。
 悠人に恋をした事が二人にとっては他の何よりも誇らしい。
 好きで好きで堪らなくて、悠人に対してこんな気持ちになれる事が本当に嬉しくて仕方が無かった。
「えへへ~♪」
「ユート様ぁ~♪」
 恋に対する憧れも興味も知識も微塵も無い。
 それでも、ネリーとシアーは一直線に悠人に惚れてしまっていた。
 突発的で修正の利かない、全身全霊の恋。
 恐らく、恋が出来る最も幼い精神で二人は悠人に惚れてしまったのだ。
 だが二人は、間違い無くどう仕様も無く本物の恋に落ちていた。
「あの~、さっきからお二人とも何をなさっているんですか?」
「盗み聞きって言うのは、あまり感心しないわね」
「「~っ!?」」
 背後からの声に、ネリーとシアーの背筋が一気に伸びた。
 と、
「わ、わ、わっ!?」
「ふゃっ!?」
 体を預けていた扉が開き、二人は縺れ合いながら居間へと転がり込んでいた。
「や、やっほ~?ユート様、カオリ様…」
「あ、遊びに来たよ~…」
 突然の二人の登場に悠人と佳織は目を丸くし、そんな二人にネリーとシアーが愛想笑いを浮かべていた。
 そしてその開いた扉の向こうでは、狼狽えるヘリオンの隣で米噛みを抑えて瞠目するセリアが立っていた。