Twinkle fairies

二章:漆黒の翼、再び…

 第一詰所を飛び出した時にはあれ程けたたましく鳴り響いていた半鐘。
 それもラキオス城が見えて来る頃には神剣魔法の爆音と怒号、そして逃げ惑う人々の悲鳴だけに代わっていた。
「クソッ…!!」
 城内を走る悠人は思わず悪態を吐いた。
 噎せ返る様な血の匂い。事切れた数多の兵士たち。
 城内は既に戦場と成り果てていた。
 否、それは戦場ですらない一方的な虐殺である。
 人間よりも遥かに優れた身体能力に加えて神剣による加護。そして幼少より徹底的に戦闘技術を仕込まれたスピリットが相手では人間には抗う術は無かった。
 悠人は改めて戦慄していた。
 スピリットと言う存在に。
 この世界の危うさに。
「ユート様…」
 振り返ると、悠人を怯えた表情でネリーが見上げていた。その隣を走る、同じ色を浮かべたシアー。
 この凄惨な光景に対してか、それとも同じスピリットが人間を襲った事に対してか。
 確かに、それらに対して衝撃を覚えなかったわけではないのだろう。
 しかし、それらに衝撃を覚えたからこそ二人は思い当ったのだ。
 悠人が何を考えてしまったのかを。
 それは、とても恐ろしい想像であった。
 悠人がスピリットを恐れる事が。
 二人を、恐れる事が。
 悠人に見捨てられてしまえば、きっと心が砕けてしまうから。
 振り向いた悠人の目が、黒い瞳が真っ直ぐに二人を捉えていた。
 逸らさずに、見ていた。

「今こんな事言うのは不謹慎かもしれないけど、俺は絶対に二人の事は嫌いになんかならないからな」
 頬を掻きながら悠人が言った。
 その言葉に、二人の中で抑えきれない嬉しさが弾けた。
 恐くないわけがない。戸惑いだってあるのかもしれない。
 それでも、悠人は受け入れてくれようとしてくれているのだ。有りの儘に、在るが儘に。
「さあ、早く敵を倒して皆を助けような!!」
「「うんっ…!!」」
 その言葉に、二人は大きく頷いた。
 手に持つ神剣から敵の気配を伝えてきた。強い、それも相当な手練れの刺客たち。
 それでも、心は揺るがない。
 負ける気がしなかった。
「いくぞ、二人とも!!油断するなよっ!!」
 悠人の檄が飛ぶ。
 神剣からとは違う、魂の高揚が全身に力を漲らせた。
「任せといて、ユート様っ!!」
「シアーだって、頑張るよ…!!」
 頼もしい返事が悠人の背中から聞こえてきた。

「そっか、レスティーナは第二詰所の方に向かってたんだな…」
「うん。他の皆が守ってるから、もう大丈夫だよっ」
「敵もいっぱい倒したから…」
 スピリットの館へと通じる城の中庭からの抜け道の半ばを過ぎた辺りで、悠人は合流したネリーとシアーからの報告に安堵していた。
 途中で第一詰所と第二詰所とに道が分かれていた為、第一詰所のメンバーと残りの第二詰所のメンバーで二手に分かれる事にしたのだが、どうやらあちらで保護されたらしい。
 先程、伝わってきた神剣同士がぶつかり合う気配も今では良く知る馴染みの気配だけになっていた。
 一方、悠人たちは依然として第一詰所に向かって走っていた。
 地下に隠れているとは言え、佳織の安全が絶対に保障されているわけではない。
 一刻も早く佳織の傍に居てあげたかった。
 何故か、悠人の中にじわじわと不安が広がってきていた。
「―っ!?」
「ユート様っ!?」
「~っ!!」
 『求め』の警告に続き、ネリーとシアーが緊張した面持ちで悠人を見た。後続のメンバーも、その事態の急変にその場に立ち止まる。
 悠人の背中に、じっとりと戦慄の汗が滲み出してきた。前を向いて見えないが、恐らく背後のメンバーも同様であろう。
 この神剣の気配、そして重圧感。
 忘れる筈が無かった。
「再び見(まみ)える事になるのも、また縁…」
 漆黒のウィング・ハイロゥをはためかせ、その妖精は悠人たちの前に降り立った。

 敵地に在りて、泰然自若。
 多勢に揺るがぬ、その闘志。
「やはりお前か、ウルカ…!!」
 イースペリアで対峙した神聖サーギオス帝国最強のスピリット、<漆黒の翼>ウルカであった。
 月の欠片を散りばめた白銀髪の下、その切れ長の鋭い双眸が悠人を見据えていた。
「何でこんな事をしたんだ!?やっぱりお前も、神剣に操られてやっているのか!?」
「神剣の声は手前には聞こえぬ。それ故に戦う意味を探している。この剣を振るう意味を…」
「何言ってやがるっ!!これだけ人が死んだんだぞっ!?」
 悠人の叫びに目を伏せたウルカの表情に一瞬だけ苦い色が浮かんだものの、再び目を開いた時にはもうその色は何処にも無かった。
「ラキオスのユート殿、手合わせを願おう…」
 膨れ上がった武人の、ウルカの闘気に悠人の肌が粟立つ。手元の『求め』がオーラフォトンの燐光を発し、呼応する様に悠人の闘争本能を焚き付け始めた。
 最早語る言葉は尽き、ここから先は力がぶつかり合うだけの世界となる。
 ウルカが鍔元に手を掛け、悠人が『求め』を正眼に構えた。
「手前はウルカ。<漆黒の翼>ウルカ。これ程の使い手と戦える事に感謝する…」
 無言の一拍を置いて、先に動いたのはウルカだった。
「参る…!!」
 神速の抜刀。
 月光に煌めく白刃を、悠人は視認する事が出来なかった。

 悠人の眼前に火花が散った。
 同時に走る腕の痺れがウルカの斬撃の威力を物語っていた。
 見えていたわけではない。悠人自身、どうやって受けたのかすら判らない。
 それでも、悠人の体は動き続けていた。
(ほう…)
 一方、感嘆の念をウルカは禁じ得なかった。
(まさか、この様な手で手前の剣を受けるとは…。読みも、良い…)
 ウルカの居合いを、悠人は悉く弾いていた。
 否、弾いているわけではない。
 悠人は隠れていた。
 如何に超絶の反射神経を有したとしても、悠人の持つ長大な神剣を振り回していれば必ず切り込まれる隙が生まれてしまう。
 打ち合えば、負ける。
 ならば、打ち合わなければ良い。
 『求め』を柱とし、斬撃からの死角を作る。
 悠人の生存本能が見い出した活路であった。
 姑息ではあるが、ウルカは悠人のその発想を評価した。
 技量の無さを機転で補う事も、また戦い方の一つである。
「――っ!?」
 直感が発した警告にウルカが半歩下がった直後、悠人の影から飛び出した二人がウルカに斬り掛かった。
「シアー、いくよっ!!」
「うん…!!」
 変幻自在のネリーの鋭い斬撃。その全てをウルカは捌いた。
(手数は多いが、重さが…。否、これは――)
「え~いっ!!」
 ネリーと入れ替わり、シアーが渾身の一撃をウルカに見舞った。

(受ければ、折られる…!!)
 迫るシアーの一撃に、ウルカは自らの太刀を重ねた。
「ハァッ!!」
 スゥワンッ――
 滑らかに触れ合う互いの刀身からは火花すら出る事は無く。羽で撫でられたかの如き力でシアーの斬撃がいなされた。
 在り得ない迄のウルカの技量とその能力、そして決め手に成り得た一撃を逸らされ、シアーの目が驚きで見開かれた。
 その隙を、ウルカは逃さなかった。
「ふっ!!」
「ぅあぅっ!?」
 踊る様に回り、シアーが倒れた。
「「シアーッ!!」」
 ネリーと悠人がシアーに駆け寄り、ウルカから守る様にして立ちはだかる。
 一方、ウルカは既に剣を鞘に収めて瞠目し、静かに佇んでいた。
「シアー、シアーッ!!大丈夫っ!?」
「うぅ…」
 ネリーの呼びかけにシアーは痛みを堪えて唸った。
 右の肩口から胸元に掛けて大きく切り裂かれ、黒い血染みが広がっていく。
 マナに還り始めた血が、月下に煌めきながら立ち昇った。
「くっ!!」
 『求め』を構えて向き合うが、悠人にはウルカに斬り込む隙を見い出せないでいた。
 居合いに長けたウルカにとって、剣を構える事は構えではない。
 あの力を抜いた自然体が、既に構えなのだ。
 悠人は戦慄していた。
(ここ迄の差があるのか!?)
 神剣の気配から判断して、ウルカの持つ神剣は『求め』より格下であると断言出来る。
 だが、経験と技量によってウルカはそれらの穴を埋め、悠人たちを圧倒していた。
 空気が、その場に重く圧し掛かってきた。

「ここ迄としよう…。手前には別の使命がある故…」
 しかし、膠着の最中、突如ウルカがその闘気を収めた。
 それが隙ではないと知るが故に、悠人たちは動けない。
「………またの機会を、待つ」
 二つ名である漆黒の翼を広げ、ウルカは飛び去った。
 その目に僅かな憐憫を浮かべて。
 悠人は全身から汗を噴出した。
 あの儘戦っていれば、間違い無く最悪の結果が訪れていただろう。
 悔しいが、自分たちは見逃されて貰ったのだ。
「…ゥトさま…」
 か細いシアーの声に、悠人は我に返った。
「シアー、大丈夫かっ!!」
 傷は深かったが、既にエスペリアの治癒の魔法によって大分直りかけていた。
 だが、シアーは何処か怯えた表情で、それでも何かを言おうとしていた。
「無理して喋らなくて良いから、今は――」
「違うの、ユート様っ!!」
 シアーの大声に、悠人は驚いた。
 ウルカに斬られた事に怯えているのではないのならば、一体シアーは何を恐れていると言うのか。
「か、カオリ様が危ないの…」
 まだ残る痛みに耐えながら、シアーはウルカの飛び去って行った方角を、佳織が居る第一詰所を指差した。
「――っ!?」
 悠人は己が失念していた事を恥じた。
 ウルカは別の使命があると言っていた。ならばまだ敵の任務は終わってはいない筈だった。
 一時の安堵に気を奪われ、大局を見誤ってしまったのだ。
「皆、館へ急ぐぞっ!!エスペリアたちは手当てが済んだら後から来てくれ!!」
「畏まりました、ユート様」
 エスペリアの返事を背中で聞き、悠人たちは森の中を疾走した。
(無事でいてくれ、佳織っ!!)
 悠人の内に、不吉な予感が広がり初めていた。

「ユート様、アレっ!!」
「――なっ!?」
 ネリーの言葉に、悠人も思わず驚愕の声を上げた。
 煌々と上がり始めた火の手。敵は第一詰所に火を放ったのだ。
(あの中には、佳織が居るんだっ!!)
 館へ突入しようとした悠人に、手元の『求め』が鋭くマナの気配を知らせた。
(上だ…)
 弾かれる様に顔を上げ、悠人はその光景に目を見張った。
「佳織ぃ~っ!!」
 漆黒の翼を生やしたウルカの腕の中。そこには、ぐったりとして気を失っている佳織の姿があった。
「気を失っているだけ故、安心されよ…」
「ふざけるな!!佳織を返せ!!」
 怒声に表情一つ変える事は無く、ウルカは真っ直ぐ悠人を見据えてきた。
「ユート殿に、我が主からの伝言がある」
「主だと…!?そいつの命令で佳織を攫うって言うのかっ!?」
「『佳織は僕のものだ。取り戻したかったら、追って来い』」
 その内容に、悠人の中で遂に不吉が形を成した。
 信じられないと言う一方で、ウルカの伝える言葉が否応無しにそれを確信へと変えていく。
「ウルカ、お前は瞬の手先なのか!?」
「シュン殿は我等の主。手前どもは『誓い』の下に集う剣」
 悠人の手元から、焼ける様な激しい憎悪が全身へ駆け巡った。
(砕け、契約者よ…!!『誓い』を砕くのだっ…!!)
 衝動が、悠人を冥い底へと引き摺り込んだ。
(瞬が、奴がこの世界に居るって言うのか…!!)
(『誓い』を砕け…!!『誓い』を滅ぼせ…!!)
 瞬への、『誓い』への憎悪が境界を無くし、どろどろに混ざり合った。
(俺から、佳織を奪おうって言うのかっ!?)
(『誓い』を、その眷属を砕くのだ…!!)
「うおぁああぁあぁあっ!!」
 咆哮と同時に悠人の体から金色のマナが、『求め』の刀身から蒼いオーラが立ち昇った。

 足元から湧き上がる光条によって緻密な文様の巨大な魔方陣が展開されていく。
 その光景にウルカも、味方迄もが驚愕していた。
「これは、シュン殿と同じ力っ…!!」
 右手に収束したマナの光球を、悠人は魔方陣の中心に叩き付けた。
「瞬の、『誓い』の手先…」
 マナが魔方陣の文様を駆け巡り、神剣魔法を完全に発動させた。
「滅びろぉぉぉ!!」
 幾多の蒼い光の矢がウルカへと襲い掛かった。
「ハアァァァァァッ!!」
 裂帛の気合と共に、ウルカの神速の剣がこれを弾いた。捌けなかったものは全て漆黒のウィング・ハイロゥに刺さったが、際どい所で防ぎ切っていた。
「まだだっ!!」
 悠人の声に、弾かれて消えかかっていた矢はまるで意思を持つかの様に集まり、再びウルカへと襲い掛かった。
 気力も体力も尽きた今のウルカならば、易々と貫けるだろう。
 ウルカが覚悟を決めた瞬間。ウルカの前に純白のウィング・ハイロゥが広がった。
「ダメーッ!!ユート様―っ!!」
 ネリーが、その身を盾にしてウルカの前に立ち塞がった。
(我の邪魔をするか、妖精…!!ならば、そやつ諸共打ち砕いてくれよう…!!)
 その『求め』の言葉に、悠人の中で新たな怒りが爆発した。
「ふざけるなぁぁぁっ!!バカ剣っ!!」
 瞬や『誓い』への憎悪すら塗り潰す、『求め』への悠人の凄まじい怒りであった。
「ぐぅ、がぁぁぁっ!!」
 一つになっていた意識がベリベリと剥がれた。だが、その脳が千切れる様な痛みを悠人は撥ね退けた。
 悠人は意識を手放さない。手放すわけにはいかなかった。
「曲が、れぇぇぇっ!!」
 血走った目で、悠人は叫んだ。

(何だと…!?)
 ネリーに届くその直前、光の矢が放射状に拡散して虚空に霧散した。
 手元の『求め』の驚愕が悠人に伝わってきた。
「へっ、見たかバカ剣…」
 そう吐き捨て、悠人の意識は落ちた。
「ユート様ぁ!!」
 崩れ落ちた悠人にネリーが飛び付いた。
 無防備な背中に生えた白い翼を眩しそうに一瞥し、ウルカはボロボロになったウィング・ハイロゥを再構築した。
「この娘は頂いていく。シュン殿の言葉、確かに伝えた」
 夜の明け始めた空の中を、ウルカは南へと飛び去って行った。

「ひっく、うぅ、ユート様…」
「ユート様、ユート様ぁ…」
 覗き込んでいる誰かが泣いている。そう気付いて悠人は目を覚ました。
「ネリーとシアーか…。何で泣いてるんだよ?二人とも…」
 思考も記憶も混乱していたが、それでも悠人は何とか二人に話し掛けた。
「ごめんなさい、ユート様…」
「シアーたち、カオリ様を助けられなくて…」
 その言葉に、悠人は少し頭の中で整理が着いた。
 悠人が首を傾けると少し焼けた第一詰所が見えた。どうやらあの後、気を失っていたらしい。
「泣くなよ、二人とも…」
「でも、ネリーたち…」
「何も出来なくて…」
 悲しかった。悔しかった。
 悠人が辛い思いをするのを止められなかった事が。
 何もしてあげられない無力さが。
 何もかもが悠人に対して申し訳無かった。

「二人の所為じゃないって…」
 悠人の言葉に、二人はふるふると首を振った。
 そんな二人に、悠人はやれやれと嘆息して手を伸ばした。
「シアー、敵の目的に良く気が付いたな。偉かったぞ…。ネリーも、佳織を守ってくれてサンキューな…」
 大地に寝た儘、悠人は二人の頭を胸に抱いた。
「大丈夫、佳織は無事だって。佳織を攫った奴は許せないけど、絶対に佳織に危害加える様な奴じゃないんだ」
 悠人に重なりながら、二人は黙って悠人の言葉を聞いていた。
「奪われたら取り返せば良いんだ。まだ何も終わってない。終わってないんだ。だからさ、二人とも俺に力を貸してくれないか?佳織を取り戻す為に…」
「うん…。ネリーたち絶対カオリ様を助け出すから…」
「シアーたち、頑張るから…」
 頷いてきた二人の瞳には、既に新たな決意が灯っていた。
「あぁ…。頼りにしてるからな、二人とも…」
 そう言うと、悠人は再び瞼を閉じた。
 今はもう疲れて動けそうに無い。
 二人の体温を感じながら、悠人は深い眠りに落ちた。