Twinkle fairies

三章:第一詰所を後にして…

 まだ草木が朝露に濡れる朝。
 悠人は『求め』を腰に差して鞄を背負うと、見納めとばかりに部屋を眺めた。
「さて、そろそろ行かないとな…」
 決して多くはなかった私物の確認も終え、悠人は今まで自室であった部屋を出ると改めてそう呟いた。
 ファンズマゴリアの暦で凡そ一年間。悠人にとって間違い無くこの部屋は自分の部屋であり、そして第一詰所は帰る家であった。
 廊下を渡り、居間から玄関に出ようとした時、悠人は出入り口で待つ人物たちに気が付いた。
「お、皆。見送りしてくれるのか?」
「ん…」
「はい、本当はもっとちゃんとお見送りをしたかったのですけど…」
「………」
 悠人の視線の先には、いつも通りのアセリアと申し訳なさそうなエスペリア、そして寂しそうな表情を浮かべているオルファリルが居た。
「はは、こうやって見送ってくれるだけで充分だよ。エスペリア。そんな大層な事じゃないし、あんまり凝った事をされると出て行く時に俺が寂しいからな…」
 「それじゃ、行くから…」と、悠人が皆の脇を抜けようとして時、不意に悠人の袖が握られた。
「ユート…」
「ん、どうしたんだ?アセリア」
 振り返ると、アセリアが悠人を見詰めていた。
「ユート、偶には、ん、帰って来い。料理、上手くなって、きっとご馳走する…」
「あぁ、それは楽しみだな…。その時は腹一杯食べさせて貰うから、腕を磨いておいてくれよ?」
 悠人が笑うとアセリアは大きく頷き、トン、と胸を叩いて「あぁ、任せろ…」とその手を放した。
 表情が変わらないのは相変わらずであったが、それでも伝わってくるアセリアの気持ちが嬉しかった。

「うぅ~っ…。パパぁ、本当に行っちゃうの?」
 その隣で、オルファリルが離別を惜しむ表情で悠人を見上げてきた。
 悠人としても、慣れ親しんだ場所を離れる寂しさを覚えないわけではない。
 しかし、それも覚悟の上で第一詰所を出ると既に決めたのだ。
「そんな顔するなって。別にもう会えないってわけでもないんだからさ…」
 悠人がオルファリルの頭をくしゃくしゃと撫でるが、それが挨拶なのだと言う事は誰が見ても明らかであった。
「行っちゃ嫌だようぅ…。パパぁ…」
「オルファ、あまりユート様を困らせてはいけませんよ…」
 エスペリアがそっとオルファリルの肩を優しく抱いて宥めた。
「ですが、本当の事を言いますと私も少し寂しいです。ユート様…」
「ん…」
 皆が別れを惜しんでくれているのだと思うと、悠人の中に堪らない嬉しさとそれと同等の切なさが湧き上がってきた。
 だが、そんな想いを胸に仕舞うと、悠人は貰った思い出の返礼にと大きく笑顔を見せた。
「皆、サンキュ…。じゃあ、俺行ってくるから…」
「ん、行ってこい…。ユート…」
「行ってらっしゃいませ。ユート様…」
「パパぁ、オルファたち待ってるからね~」
 手を振って応えると、悠人は第一詰所を後にした。
 新たな一日の始まりを謳う小鳥たちの囀りを聞きながら、悠人はその一歩を踏み出した。

「どぉりゃあぁあぁっ!!」
「え~いっ!!」
「うおぉおぉぉっ!!」
「やぁっ!!」
 訓練場の一角で、悠人とシアーが激しい打ち合いを繰り広げていた。
「ぐぁっ!?」
「たぁっ!!」
「くっ!!」
「はぁっ!!」
 最初は拮抗していた二人であったが、十数合と進むにつれて掛け声に均衡の崩壊が表れ始めた。
「うあっ!!」
「とぁっ!!」
「くあっ!?」
「え、え~と…。次の掛け声は何にしようかな…」
 徐々に優劣が明確になるにつれて、打ち合いの綻びも広がっていく。
「せぇいやぁっ!!」
「あ、そ~だ。『これで終わりだよ~!!』」
 裂帛の気合で繰り出された互いの一撃が火花を上げてぶつかりあった。
 床を鳴らす一振りの模造剣の甲高い金属音が、その儘二人の訓練を終わらせる報せとなった。

「はい、ユート様」
「お、サンキュ。ネリー」
 濡れたタオルで汗を拭きながら、悠人は今だに痺れの残る自分の手を眺めていた。
「あの…。ユート様、大丈夫…?」
 そんな仕草が気になったのだろう。シアーが不安そうな表情で覗き込んできた。
 しかし、悠人はヒラヒラと手を振ると都合(ばつ)の悪い表情で笑い掛けた。
「いや、大丈夫だから。それより、シアーの一撃ってどうして俺のより重いんだろうな?」
 互いの得物は神剣ではない刃の潰された模造剣。
 しかも、背丈に見合った大きさを使っている為に悠人よりも二回りも三回りも小さいシアーの得物である。
 当然、シアー自身も小柄であるので普通に打ち合って悠人が力負けする道理は無い筈であった。

「それは、『力』を込めてるからだよ。ユート様…」
 模造剣を構えて、シアーがそう答えた。
「『力』?」
 悠人の呟きに、シアーがこくんと頷いた。
「俺だって力一杯打ち合ったんだけど…?」
「ううん、それは違うよ?ユート様」
「?」
 理解出来ない悠人を見てシアーは困った表情を浮かべたが、何かを思い付いたのか「ユート様、ちょっとシアーを抱っこしてみて」と言って悠人を立たせた。
「?まぁ、良いけど…」
 今一解らなかったが、悠人は言われた通りにシアーを抱き抱えた。
「ふふ~♪」
 結果は予想通り。羽の様に軽いシアーは簡単に悠人に持ち上げられ、シアーは満足そうな表情で悠人を見下ろしていた。
「あ~!!ネリーも、ネリーも~!!」
 案の定、隣で見ていたネリーが声を上げてきた。
「あ~…。分かった、分かったから…」
 そう言ってシアーを下すと、今度はネリーを高い高いする悠人であった。
「別にシアーは遊んでるわけじゃないよ?」
「えへへへ~♪でも、ネリーは羨ましかったんだもん」
 一頻り楽しんで満足したのか、下されたネリーはすっかり上機嫌になっていた。
「それじゃあ、ユート様。今度は仰向けになって寝てみて」
「こうか?」
「うん」
 悠人が横になった事を確認すると、シアーは悠人の体を暫く眺め「あ、多分ここかな?」と、悠人の体に圧し掛かった。
 シアーの尻や太腿が悠人の腹部に押し付けられ、そこから伝わってくる形や柔らかさ、そして体温に悠人の心臓が思わず高鳴った。
「し、シアー?」
「ほら、もう動けないよ?ユート様…」
 焦った悠人と対照的に、シアーは仕掛けた罠に獲物が捕まった様な何処か悪戯っぽい表情で悠人を見下ろしていた。
「え?」
 身を起こそうとした悠人であったが、驚くべき事に先程まで難無く持ち上げたシアーの体がいくら力を込めても持ち上げられなくなっていた。

「アレ、さっきは普通に持ち上げられたのに?」
 腕や足を使って?く悠人であったが、まるで縫い付けられた標本の様に動く事が出来なくなっていた。
「えっとね、今シアーはユート様に只乗ってるんじゃなくて『力』を掛けてるからだよ?」
 腹筋、背筋、その他の筋肉を駆使して起き上がろうと試みるが、結局悠人はシアーを退かす事はおろか、体の向きすら変える事は出来なかった。
「『力』を込めるって言うのは、単に力を出すのとは違うんだよ?力比べでは負けても、こうすればシアーだって負けないもん」
 悠人を『力』で押さえ込めた事に少し得意になったのか、シアーが意地悪そうな表情を浮かべていた。
 成程、『力』は単純に出すのではなくこうやって要所に集中させる方が効率的なのだと悠人は理解した。
 とは言っても、悠人にシアーの様な『力』の扱い方など一朝一夕で身に付きそうにないのだが…。
「ネリーもやる~!!」
「うわっ!?」
「わわっ!?もう、ネリー」
 二人の遣り取りを見ていたネリーが堪らずにシアーの前、つまり悠人の上腹部に圧し掛かった。
「えっへっへっへ~♪どう、ユート様?これでもう逃げられない?」
 『力』を込めてグリグリと押し付けてくるネリーであったが、それは同時にネリーの服の下をそのまま悠人に押し付ける行為であった。
 つまり、大きく開かれた太腿やその根元の白い三角の丘の頂の膨らみの形やら。
 下からモロに見えている部分が、見せ付けられる様に悠人の腹部に擦り付けられていた。
「ネリー、狭いよう」
「ね、ネリーっ!?み、見えてるからっ!?下着が――、むぅっ!?」
「ひゃうんっ!?」
 悠人の言葉はシアーから背中を押されたネリーによって封じられた。
 真っ暗な視界で形が分かる程に密着したネリーの丘に完全に口が塞がれた悠人は鼻でしか呼吸が出来ず、その布一枚越しの感触と匂いが否応無しに悠人の脳髄を焼いていた。

「あ、あぅっ…!?わわっ、ちょっとシアー!?押さないで!!ふやぁっ…!?」
「?」
「~~~っ!!」
 珍しく赤面したネリーが悲鳴の様な声を上げるが、前が見えないシアーは何やら慌てているネリーともごもご唸っている悠人の声に首を傾げていた。
 やがて、二人の下で暴れていた悠人が力尽きて静かになった頃、漸く事態に気が付いたシアーがネリーの背中から手を放したのであった。

「ごめんなさい、ユート様…」
「もう、怒ってない…?」
「いや、何か俺の方が謝らなくちゃいけない気がするンだけど?」
 一日の訓練を無事(?)に終えた三人は帰るべき家に帰るべく、夕焼けの家路に着いていた。
 幸い、あの『力比べ』は休憩時間であった為に他のメンバーの目に触れる事は無かったが、それでも今日は何処か緊張しっ放しの訓練になってしまっていった。
 何と言うか、二人を見るだけで感触やら体温やら匂いやらを思い出してしまい、終始腰が引けた状態で訓練をせざる得なかった。
 親友の生臭坊主ではあるまいし、と己に喝を入れてみたが、いくら年下とは言え結局二人はれっきとした女の子であったと痛感させられたのだ。
 悠人は二人に対する自分の認識を改めて思い知らされてしまっていた。
 そして、それに反応する自分の中の雄の存在にも…。
(って、何を考えているんだ俺は?二人とも佳織くらいの歳なんだぞ?)
 邪念を振り払うかの様に悠人は頭を振ってみたが、余計に頭が混乱するだけであった。
「あれ?ユート様、こっちで良いの?」
「この儘だと、第二詰所に着いちゃうよ?」
 と、第一詰所と第二詰所へと分かれる道を少し過ぎた辺りでネリーとシアーが悠人に尋ねて来た。
「あぁ、別に大丈夫なんじゃないかな?」
「え?そうなの?」
「泊まっていくの?ユート様?」
 途端に二人の表情が輝いた。
 そんな二人を見て、悠人の中で不安が募った。
(本当に大丈夫なんだろうか?俺は…)
 と、そう考えて、悠人はある事に気が付いた。

「ん?って言うか、二人は知らないのか?」
「?何が?」
「どうしたの?ユート様?」
 首を傾げる二人の反応を見て、悠人は己の推測が当たっている事を確信した。
「ホラ、第一詰所ってこの前燃えちゃっただろ?」
「うん、知ってるよ」
「でも、少し燃えちゃっただけで済んだって聞いてたよ?」
「いや、まぁそうなんだけど…」
 迅速な消化活動により、放火の憂き目に遭った第一詰所は全焼どころか半焼にも届かぬ程度の小火で済んだ。
 これ自体は不幸中の幸いであったと言えるであろう。しかし、全てが無事であったわけではなかったのも事実であった。
「何て言うか、俺の部屋だけ綺麗に燃えちゃってさ…」
「え…?」
「それって…?」
 驚きに見開かれた二人の目の前に、悠人は今日第一詰所から持ってきた私物の入った鞄を出した。
「今日から第二詰所の方で暮らす事になったんだけど…。その、宜しくな?」
「………」
「………」
 しかし、悠人の言葉を聞いた二人は凍り付いたかの如く微動だにしなかった。

「えぇっと、二人とも?」
 悠人が心配になって二人を覗き込もうとして、
「やあぁあぁぁあぁっっったあぁぁあぁぁっっ!!」
「ユート様と一緒だよぉおぉぉっ!!」
「わわっ!?二人とも…!!」
 突然の大歓声と共に、二人は悠人に抱き付いた。
 余程興奮しているのか、背中からは純白のウィング・ハイロゥまで広がっていた。
「一緒!!一緒だよ!?ユート様っ!!」
「ユート様、ユート様~!!」
 幸せそうな、否、幸せの表情を浮かべて二人は悠人にしがみ付いた。
「えへへへ~♪」
「にゅう~♪」
 二人は新しい家族を連れて、悠人は新しい家へと三人で腕を組んで歩いた。
「それじゃ、早く俺たちの家に帰ろうな?腹も減ったし…」
「うん!!」
「今日は何のご飯なのかな~?」
(ま、何とかなるのかもな…)
 二人の笑顔を見ながら、悠人も笑いながらそう楽観する事にしたのであった。